一年ぶりの無職になるまで
2021年の10月末、唐突に無職になった。
一年ぶりの無職である。
その無職が、一年前無職になった経緯と、そこから何をしていたのかを書きます。
就活丸投げノービジョン
まずは2019年、大学四年にして右足の靭帯を痛めて酒も飲めず、将来のビジョンも何もないままタラタラと過ごし、気づけばなんの就活もしないまま9月を迎えていた。正直就活自体やる気もなかったし危機感もなかった。今までの人生、「なんとかなるだろ」でこなしてきてしまったクセがここでも遺憾無く発揮された。
いや9月か。
流石に焦った。あと少しで大学から放り出されるのに内定の一つもないのか。金髪クソロン毛を切って黒髪にしただけで就活をやった気になっていた俺は、企業を探すのも面倒で就活エージェントに投げた。とりあえず投げた。なんか内定もらった。今思い返せば9月でまだ新卒求人出してる会社なんてヤバいのは考えればわかるのに、就活という行為もしたくなかったからその内定で満足してやめた。いや、思い返さなくても当時からヤバいとは思っていた。だって親会社が超有名ブラック企業だったから。
ブラック企業は時代に適応する
ちょっとしたアトラクション感覚でブラック企業に入社したものの、予想していたタイプの、言ってしまえば社名で検索して出てくるような「液晶が宙を舞う」「電卓が飛んでくる」「ボッコボコの事務机がある」「大声で毎朝社訓を叫ぶ」タイプのドライブ感のあるブラックではなかった。そこが間違ってた。覚悟の方向性が間違っていた。過去のブラック企業として名を馳せた会社は、時代に合わせてブラックの系統が変わっていた。理不尽が横行する、社員を消耗品と捉えて使えるなら使う、ジメジメとしたドットダメージを食らわせる陰湿なブラック企業になっていた。
2ヶ月の研修(同期がみんなパソコン使えなかったのでタイピングを教える、社内の謎の資格を勉強するなど)を終え、決まった配属先はBtoBの保険代理店だった。
え?ちょっと待って?保険ですか?俺が企業説明聞いた時保険のホの時も言ってなかったじゃん。格安SIMキャリアにサービスOEMで卸してるって言ってたじゃん。保険?知らないんだけど?え?
言われてないよ!保険売るなんて!
流されるままに保険の販売資格(募集人資格ってやつ)を生損両方取った。ここから世のシャッチョさん達に媚びを売り売り保険を売り売り契約を取り取りしてくんだろうなあと思ったら、テレアポのコールセンターに組み込まれた。
全部聞いてないよ。なんなら企業説明の時にテレアポは今はあんまりやんないよって言ってたじゃん。なんで俺はヘッドセット付けて帝国データバンク見ながら同じセリフを機械のように繰り返しているんだ。
配属1ヶ月で泣いた。職場で。22歳新卒成人男性がオフィスで上長と面談しながら号泣してしまった。テレアポを外れて営業事務のお手伝いをすることになった。事務職って最高だなって思ってた。
翌月、テレアポの時の上長が飛んだ。俺が実質の管理事務を引き継ぐことになった。ちなみに上長がいた座には、テレアポチームの叩き上げの人が収まった。どういうことかわかるか、これが。新卒平社員なのに一部署の管理を実質的にやっているんだ。肩書きが何もないのに管理職をやってるんだ。新卒が。当たり前に給料は変わらないし、残業代は見込み48時間ついていたので出ない。挿げ変わった上長は「プレイングマネージャーだから」という理由で管理事務をほぼ俺に任せていた。ちなみに前任の上長から引き継ぎはほとんどされていなかった。今こうして書き起こすととんでもないことしてるな。ちなみに新卒なので新卒特有の雑務と、営業事務をやっていたときの流れで営業チームの事務も引きずっていた。抱え込みすぎていたが同期も部下もいないので仕事を投げる相手が一人もいなかった。
人間性の喪失、ニコチンとアルコール、ローカルに保存したままの3000件強の営業リスト
結果、3ヶ月経った朝、「もう無理だな」と感じて会社に病欠のメールを送って、午後にメンクリの予約をして、寝た。鬱っていわれた。
鬱か、なるほどね、通りで夜寝れなかったり上長のくすぐり程度の軽いジョークにも感情の死んだ愛想笑いしか返せないし、土日も出勤時間に勝手に目が覚めたり、おんなじ曲を永遠に聴いたりしてたわけだ。出勤の電車の中でTHE BLUE HEARTSの”人にやさしく”を聴いて泣いちゃったり、毎晩THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの”世界の終わり”を聴きながら9パー500缶を開けて号泣しながら気絶したりしてたわけだ。
その日のうちから休職になり、10/1〜12/31の3ヶ月、休職した。傷病手当が3ヶ月しかもらえなかったので、2月に文無しになった。
休職中は本当にやることもないし、やる気も出なかったので殆ど何もしなかったが、元来ヘビースモーカーの俺は家でシーシャもやるようになった。多分煙の出るもので手が出せるのは、シーシャの上ってボングしかないと思うから、ほぼ全ての喫煙方法を網羅した結果シーシャに行き着いた。ほんでシーシャ吸いながらツイッター見てたらシーシャ屋の求人が流れてきた。渡りに船じゃんと思って応募したら受かった。3月末である。ひと月分は親の脛を齧り取った。
ネオンぎらつく不夜城、パセラの前にいる黒人、夜勤明けの暴動後みたいなゴミの量と寝てる人
雇ってくれたシーシャ屋はかの有名な歓楽街、椎名林檎曰く私の庭、向井秀徳曰く冷凍都市、俺に言わせれば日本社会のすり鉢の一番底、新宿歌舞伎町にあった。イッツライクア自問自答。大遊戯場でぼくもおしごとするのかあと思いながら働き始めた。
店には本当に色んなお客さんが来た。服飾学生の女子会、普通のカップル、スカウトのお兄さん、仕事終わりのキャバ嬢、それから大半を占めるホストの人たちとそのお客のお姉さん方。伊弉冉 一二三みたいな人間って現実で初めて見た。水商売はやってないのに水商売の世界にいる不思議な空間で7ヶ月働いた。なんだかお客さんたちの、ドロドロしながらも楽しく過ごしてる様子を見るたびに、「ああ、俺とは完全に違う世界の人間だな」と思って無駄に疲れたりした。最後まで俺はカブキの人間になれなかった。まあなる気もなかったけど。やっぱり自分の育った文化圏は中野高円寺あたりなんだなと再確認した。でも、それくらい違う世界の人たちと多少なりとも交流できたのは貴重だった。だってホストのお兄さんなんて、男だったら自分がホストにならないと喋ったりしなくない?だから面白かった。ライフは削られるけど。
パンを焼きながら待ち焦がれた、やってくる時
10月末、やらかしちゃった。放流の運びとなった。
そして、今再びの無職。
で?結局俺はどうすんの?
これからどうするのか、それはある程度決まってはいるので、ちゃんと決まり次第ちゃんと書く。あとここで書いたら面白くないし。
そんなこんなで一年ぶりに無職になっています。今一番怖いことは今月の様々な引き落としです。マジで怖い。日雇いバイトとか出前館とかやって今月のキャッシュを作ろうと思ってます。ていうかやらないとマジでヤバい。引き落としの焦げ付きだけは避けたい。最悪親の脛をまた齧り取るしかない。頼れるうちが親孝行。社会の歯車に組み込めない部品になっちゃった息子を許しておくれ、ママとパパ。
また気が向いたら書く。