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”あるべき姿”という悪魔の囁き

サラリーマン企業家である「レニー」が中途半端に成熟した日本企業においての気づきを書き溜める備忘録だ。

さて、表題の件について本書を書き進める。
本日は『”あるべき姿”という悪魔の囁き』というお話。


まずは本書の内容を要約する。

企業の中で企画を進める際に、取り扱い注意なワードが”あるべき姿”だ。3~5年後の姿を見据えるために、このワードを選ぶのは良い。しかし、担当レベルが、プロジェクトや企画を進めていく際には、頭の片隅にも置かない方が良い。

”あるべき姿”が悪魔のささやきである所以

  1. あるべき姿という概念を知ると「彼ら(一般社員)には見えていない世界」を見えた気になってしまう。

  2. あるべき姿を意識してプロジェクトを進めると、進まない原因を環境に見出す傾向がある。他責思考の始まりだ。

【再掲】こんなnoteを読もうと思った稀有なサラリーマン諸君は、きっと私と同類なのだと思う。本質を追求し、”あるべき姿”へと邁進し、社会変容の一助になりたいと考えているはずだ。しかし、これは非常に危険な思想だと私は考えているが、それ故、私は私自身を危険分子と判断している。

現状の姿から”あるべき姿”を定義し、そのギャップを課題と設定する。この過程によって課題を得る行為はとても尊い。しかし、”あるべき姿”が固執してはならない。

少し噛み砕いて解説していく。

抽象度が高い表現になってしまったので、詳細に説明を付け加えていく。

まずは「1」についてだ。

1) あるべき姿という概念を「彼ら(一般社員)には見えていない世界」を見えた気になってしまう。

当事者にマウンティングマウンテンを登っているつもりはないだろう。なぜなら、山そのものを形成しているからだ。この状態になってしまうと、対立構造から抜け出すことは決してできない。彼らは「バカ」で私は「賢い」と思いたくなってしまう。
※詳細は別のnoteで書き記したい。

前述の通りだが、ギャップを特定することは重要だ。しかし、多くの場合で目的をはき違え、過程に意味があると曲解してしまう。それ故、”あるべき姿”なんてワードがあちらこちらから聞こえてくる。

改めて、はっきりとここに記すが
”あるべき姿”なんて物は無価値だ。偶像に過ぎない。

富士山に登りもせず、AIで生成した「富士山の山頂から見た朝陽」の画像を眺めていていることに価値があるだろうか。
「富士山の山頂にたどり着こう」と決めた事は尊いことだ。だが、しかし、それは日本人全員が掲げるべき目標ではないし、仮にどこぞの大学でワンダーフォーゲル部に所属していようとも、どの山を目指すかは、部員一人一人が自分で決めるべきだ。
勿論、企業という組織である以上、ベクトルを合わせる必要はある。しかし、どこまで行っても企業は利益追求するための組織だ。定義した”あるべき姿”が利益追求と直結するなんてことはあり得ない。

続いては「2」について説明していく。

2) あるべき姿を意識してプロジェクトを進めると、進まない原因を環境に見出す傾向がある。他責思考の始まりだ。

こちらも散見されるケースだ。企画やプロジェクトを進めていく上で、必ずどこかで本業の業務遂行する社員の協力が必要になってしまう。非常に厄介で面倒くさいことは筆者も同意するところだ。
ここで起こるフラストレーションの原因を探り始めると、完全に滑落してしまう。

現状の姿とは、過去の延長上にある今な訳だ。故に、一般社員たちのこれまでの積み重ねの結果とも読み取れる。彼らのやってきたことでは、あるべき姿に届いていないし、今後も届かないと定義している。この思想に辿り着くと、見事な対立構造を作り出せたことになる。
1) の前提がある上で、この構図になると輪をかけて他責思考に邁進することになる。悪いのは現在の”環境”。

前述の通り、”あるべき姿”を定義するのは良いことだ。それによって課題が見えてくる。しかしその課題を生み出している原因を特定しても、その原因に矛先を向けてはダメだ。これは賢い人ほどやってしまう。

現状の姿とは、過去の延長上にある今な訳だ。故に、一般社員たちのこれまでの積み重ねの結果であり、彼らのやってきたことでは、あるべき姿に届かないとも読み取れてしまう。
「あいつらは何もわかってない」「バカだ」「やっても意味がない」などなどこの手のワードは耳にたこができるほど聞いてきたし、私も発言してきた。恥ずかしげもなくいうが、私もボロカスに罵ってきた。

成人君主になれとは言わないが、彼らを理解し正面ではなく横に立つ努力をするべきなのは、企画職である我々だ。なぜなら利益追求に直結していない活動だからだ。

半端じゃなく難しいから、価値がある。

これを読み進める読者の企画職の方には、かなり耳の痛いことを書いてきたように思う。誠に申し訳ない。

我々企画職は、あるべき姿を実現するために、課題を定義して解決策を実行していく。その過程において、現状を作り出している課題の根源に向き合うことになる。残念ながらその多くの課題を作り出しているのは、その企業で働いている「人」なのだ。

「人」とは社内の政治、権力、いわゆるパワーバランスなんて物も含む。これらを全て含んだものが、課題なのだ。課題を見誤ってはいけない。

そして、企業における生命維持活動を変えるレベルのことを企画職は要求されている。なので半端じゃなく難しい。企画職に”簡単”な仕事はほぼないだろう。「このシステム入れれば終わり」なんてフェーズまで来ていたら、上司のお膳立てに感謝しよう。

だが、そんな仕込み済みの案件なんてほとんどない。日々半端じゃなく難しい業務を遂行し、なかなか結果にも辿り着けず、外野からは好き勝手言われる。企画職の日常だ。貴方だけじゃないことを忘れないでほしい。

そんな日々を過ごしていると、冒頭で述べた悪魔の囁きが聞こえてきてしまう。
悪魔「”あるべき姿”こそ正義」
悪魔「理解できない奴らは全員バカだ」
悪魔「君は悪くない」
天使「あいつらが居るから上手くいかない」
悪魔「君に協力しないなんて意味が分からない」
悪魔「彼らは会社のことを考えていない」

囁きが聞こえてきても、心を落ち着かせ冷静に状況把握に努めて欲しい。論理的ではなく、社内合理性に寄り添うことだ。

本書の内容は以上となる。最後まで読んでいただきありがとうございました。同士諸君においては、今日もどこかで社会にとって価値のある仕事に携わり、自信と勇気を持ち邁進されることを切に願う。


あとがき

悪魔の囁きで思い出すのは、進撃の巨人のエレンイエーガーだ。彼の名言として「いいから黙って、全部俺に投資しろ」だ。

企画職の皆さんは、全員この発言を過去にしたはずだ。少なくとも私はそこそこしてきた。未熟なレニーを許してほしい。逆にこのパターンで投資を受けても上手くいったケースは見たことがない。急がば回れ。


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