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2.掛軸の歴史


前回は、掛軸とはそもそも何ぞや?!について解説しました。現代掛軸には様々な用途があること、掛軸の3要素「鑑賞性」「収縮性」「保存性」の2点を押さえて頂ければ十分です。

前回も少し触れましたが、今回は「掛軸の歴史」を深掘りします。掛軸の発祥は古代中国で、日本には仏教とともに飛鳥時代に伝来し、日本文化に欠かせない伝統工芸品として今日に至ります。それでは、掛軸の歴史をめぐる旅にタイムスリップしてみましょう!

2-1.掛軸の発祥(古代中国)

掛軸は、古代中国の文化として生まれました。その起源は、中国の仏教文化と深く結びついています。仏教がインドから中国に伝わった際、多くの教義、習慣や芸術が伝来する過程で、仏教の教えや仏像を描いた絵や文章を展示するための方法として掛軸が考案されました。

当初は仏教的な意味合いが強く、仏教徒が仏画を排する用途として普及していました。掛軸は仏画を簡単に展示でき、仏像や絵画などと違い、丸めて保存・持ち運びできる点が非常に便利だったのです。

時が移ろうと、掛軸は仏教の寺院だけでなく、一般家庭でも使用されるようになりました。家庭での掛軸は、家族の安寧や繁栄を願うためのものや、季節の移り変わりを楽しむためのものなど、様々な題材が描かれるようになり、宗教的なアイテムから、芸術品としての価値を持つようになりました。

このように、掛軸は中国の仏教文化とともに生まれ、その後、人々の日常生活に溶け込んでいった歴史があります。

2-2.中国から日本へ伝来(飛鳥時代)

日本には飛鳥時代に掛軸が伝来したと言われています。飛鳥時代(592年-710年)は、日本の歴史の中で仏教が盛んになり始めた時期です。中国や朝鮮半島から多くの文化や技術が日本に伝わり、掛軸も多くの文化の一つでした。

掛軸が日本に伝わった当初、主に仏画として使用されました。中国でも掛軸黎明期には仏画用途がメインだったのと同じく、日本の飛鳥時代でも礼拝用の道具としての意味合いが濃く、仏教徒の屋敷や寺院で使われることが多かったようです。

この時期の掛軸は、現在のものとは少し異なる形状やデザインを持っていたと考えられますが、現存するものは非常に少ないため、詳しいことはわかっていません。しかし、飛鳥時代の掛軸が日本の掛軸文化の基盤を築いたことは間違いありません。

2-3.日本掛軸の洗練(平安時代)

平安時代(794年-1185年)は文化や芸術が栄えた時期であり、掛軸もその一部として発展しました。飛鳥時代に仏教とともに日本に伝わった掛軸は、平安時代に入ると更に独自の形式やデザインを備えるようになりました。

掛軸は仏画だけでなく、風景画や人物画、物語の一場面を描いたものなど、様々なジャンルの絵画が描かれるようになりました。また、貴族や寺院だけでなく、一般家庭でも掛軸が飾られるようになり、日常生活の中での掛軸の役割も大きくなりました。掛軸の発展の仕方(仏画から一般家庭への普及)は、中国と同じ途を歩んでいると言えます。

平安時代の掛軸は、繊細な筆使いや色彩が特徴的で、当時の人々の生活や価値観を反映しています。加えてこの時代の掛軸は、後の時代の掛軸や日本画の基盤となる技法やデザインが多く取り入れられていました。日本の掛軸文化の発展に大きく寄与し、日本の伝統的な美術の中で重要な位置を占めているのです。

2-4.日本独自の掛軸に進化(鎌倉〜室町時代)

鎌倉時代(1185年-1333年)・室町時代(1336年-1573年)は、日本の文化や芸術が益々発展した時期であり、先の時代と同様に掛軸も日本独自の芸術美を磨き上げていきます。

鎌倉時代以降に中国からの水墨画の輸入が始まり、日本国内でも水墨画が非常に流行しました。この影響を受けて、掛軸にも水墨画が多く取り入れられるようになったのです。今でも表具屋さんに足を運ぶと、本紙が水墨画の掛軸をたくさん見かけると思います。

室町時代には、住宅様式が「書院造」というスタイルへと変わり、床の間の起源となる「押板」(おしいた)が取り入れられました。この変化に伴い、掛軸は礼拝の対象から絵画芸術としての側面が強調されるようになりました。特に、室町時代後半には、床の間に飾られる掛軸が絵画芸術として注目されるようになりました。「掛軸=床間」のイメージは室町時代に出来上がったのです。

総じて鎌倉〜室町時代の掛軸は、新しい住宅様式や外国からの影響を受けつつ、日本独自の美意識や技法を持つ芸術品として発展していったのです。

2-5.芸術性の深化(江戸時代)

江戸時代(1603年-1868年)は、200年にわたる平和な時代であり、文化や芸術が大いに発展しました。この時代の掛軸は、その文化的な背景を反映して、多様なテーマや技法で制作されました。

掛軸は江戸時代には更に普及し、多くの家庭で飾られるようになりました。庶民の間でも掛軸が手に入るようになり、日常の生活の中で掛軸を楽しむ文化が根付きました。まさに日本掛軸の華の時代と言えるでしょう。

江戸時代には絵師や書家が活躍し、彼らの作品が掛軸として多くの人々に親しまれました。例えば、「高砂図」(結納や長寿の祝いの席でよく用いられる題材で、兵庫県高砂市の高砂神社に伝わる社伝が起源)のようなテーマは、この時代に描かれた掛軸としてよく知られています。庶民だけでなく、武士階級の間でも、天神信仰(菅原道真を「天神様」として崇め、畏怖・祈願の対象とする神道の信仰)に関連した掛軸が使用されるなど、宗教や信仰と結びついた掛軸も見られました。

2-6.新しいスタイルの掛軸へ(明治時代)

明治時代(1868年-1912年)は、日本が西洋の文化や技術を取り入れ、急速に近代化を進めた時代です。この変革の中で掛軸もその形や内容に変化が見られました。

明治時代の掛軸は、伝統的な日本の美術や書道の技法を継承しつつ、西洋の芸術や技法の影響を受けて新しいスタイルが生まれました。新しい印刷技術の導入や洋画家の起用、写真の利用など、多様な試みが行われ、掛軸のデザインや色彩が豊かになり、より現代的なスタイルが生まれたのです。高砂図のような伝統的なテーマの掛軸も、明治時代には新しい技法や表現で描かれるようになりました。

また、明治時代には国の近代化や文化の振興を目的として、多くの文化財の保存や復元が行われました。掛軸もその価値が再評価され、保存や展示の対象となりました。

2-7.現代的な感性・価値観との融合(〜現代)

長い掛軸の旅もいよいよ最終章です。明治時代に西洋文化との融合がなされた掛軸文化ですが、その後の昭和・平成・令和の時代においても、一般家庭の床間をはじめ様々な場所で飾られる芸術品として普及しています。

昭和時代には、日本の伝統とモダンな文化が融合する中で、掛軸も多様なデザインやスタイルが生まれました。昭和には戦争や高度経済成長を経験したため、その時代の歴史や背景を反映した掛軸も多く作られました。

平成時代には、日本の伝統文化への関心が再び高まり、掛軸もその一部として注目されるようになりました。日本画や書の技法を学ぶ人々が増え、新しいアーティストや作品が生まれる中で、掛軸のデザインやスタイルも進化し続けました。

そして令和時代に入り、日本の伝統文化を尊重しつつも、新しい価値観や感性を取り入れた掛軸が作られるようになりました。特に若い世代のアーティストが掛軸を通じて自らのメッセージやビジョンを表現することが増えています。

掛軸の歴史の旅、いかがだったでしょうか。掛軸は古代中国から始まり、日本に伝わってからも独自の発展を遂げてきました。長い歴史の中で、掛軸はただの装飾品から、芸術品、そして心の豊かさを感じさせるアイテムへと変わってきました。今後も掛軸の文化は更なる発展を遂げると確信していますし、弊社もその一助を担えればと強く願っています。

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