生産性をあげようという悪魔の囁き
これ以上生産性を上げる意味はあるのだろうか。
このタイトルの言葉の意味はとてもいいこととしてメディアなどで取り上げられていると思います。
生産性が上がるとはどういうことなのかをもう一度世界全体で考えていくことが大切だと思う。
まず生産性の定義としてはある投下したコストにたいてどのくらい生産物が作られるかという話だと思います。
生産性=生産物÷コスト
生産物は現代だと価格と置き換えても現実的になんなら違いはないと思うので。
生産性=価格÷コスト
だと言ってもそこまで間違った表現ではないと思う。
これを式に置き換えると少し見方が変わってこないでしょうか。
生産性を上げるには価格を上げるかコストを下げれば生産性は上がる。
当たり前のことを言っているがよく考えてほしい。
価格が上がるというのは現実にはどのようなことなのか、コストを下げるというのはどのようなことなのか。
自分が感じた価格が上がるということで疑問に感じたことは欧米諸国の朝食の値段である。
ちょっとした朝ごはん、特段豪華でもない朝食で日本円にして4,000円ぐらいする朝ごはんをYouTubeでみた。
朝ごはんに対してのコストは何年の前の時代でも代わりはないと思うのですが値段がめちゃめちゃ上がっていると思うので生産性はすごく上がっていると思う。
でもおそらく生産物(朝ごはん)の質や量はそこまで増えたり良いものになってたりはしないと思う。
それでもおそらく生産性でみたときに高くなっていると思う。
生産性は上がっている。数字上では成長しているのかもしれないが現実に得られる生産物は特に変わってないと思うのですがいかがでしょうか。
この現象が世の中豊かになっているというのでしょうか。
コストを下げることでも生産性は高くなるというのは最近のコンピューターや、ロボットに代替したり、安い労働力で生産物を作ることだが、現実にはこれを行うことで今の社会ではお金によって生活が行われているため、コストを下げるために労働力を安く手に入れられたり、ロボットや、コンピューターの導入がすぐにできた業種はいいのだが、それができない業種では人手不足や労働条件の悪化、などという問題が起きている。
これらの数字の目標を達成することで現実にはあまり良くないことも多々起きている。
もちろん数字上生産性が上がれば他の生産物を生み出す余力が生まれ、新たな生産物が作られて世の中が良くなるという計算なのだが現代においてあまりそれはうまく機能してないように思える。
自分だけがうまく機能してないように見えしまっているだけなのかもしれないが。
現実を数字で理解しようとした際には大きな乖離が起きているような気がするのは私だけなのでしょうか。
人間が数字のみによって判断する生き物だったらもっとよい社会になっていたのかな。
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