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資本主義に限界を感じないのか(供給)

資本主義において供給側の人たちの目的は利潤を最大化することである。

これの原則としては1の財やサービスを供給するさいに1以上の利潤を得るようにしようというとする動きである。

この仕組み自体は次の財やサービスを供給する際に投資や雇用を作る。
簡易的に考えていくと、1供給する際に2を得て、次の1を供給する際に必要な材料や投資をもらった2の内1を使い整えていき、残りの1は需要に変わる。

この際に思うのがこの供給1を得る需要側は1を得るのに2を与えることになる。需要する側は供給1を得るために2必要なのでこの人は2を得るために上記の行動を2回行うかもしくは、1を供給する際に2を得るのではなく3が得られるように供給することになります。この流れが永遠とつづいていくのが今の経済だと思います。

このときに供給側の命題である利潤を最大化しようとした際にはどのようなことが考えられるだろうか、1つ目は需要側に1の財を与える際に2超過の多くの財を払ってもらうことです。2つ目は需要側に1の財を与えるのではなく0.5の財を与え2の財をもらうことです。

これらのことをしようとした際1つ目と2つ目は需要側が損をしたように感じます。まあ、その財を得たとき感じる価値観は人それぞれなので損を感じにくいのかもしれませんが。

これまで話した供給の話は需要側の人が多い場合で、逆の供給側の人が多い場合には1の財を供給した際には需要側がいないことになりますので、2の財なんか得られることができず、供給側が得られるものが1以下なので利潤の最大化なんてできずに、需要側のほうが多くなるまで供給側がいなくなることになるのが経済としての動きだとおまいます。

需要を爆発的に増やすことができたらまたみんなが明るい未来を見れる日が来るのか、それよりもこの経済のルールをどうにかしたほうがいいのかなとおもいます。

※未満の対義語は超過らしいです。

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