中学生に「聞き手の気持ちを考え構成する演説原稿の作り方」を教えたら・・・
我が家は、息子への父からの、認知心理学等の学問的な知見を織り交ぜた実際に交わされた「お説教」が多い。なぜなら私が最初、大学院で専攻した分野だから、自分の人格や人生と一体化してしまっているのだ。
日常生活を共にする親から、いちいち何か言われる度に学問的に解説される子どもというのは、先生と一緒に住んでいるようで、窮屈かも知れないと思う。ただでさえ反抗期の真っ盛りだった長男のことだから、相当、我慢していたはずだ。
でも、今回は意外なほど素直に聞いている。これまでならある程度の期間は耐えても決裂していたのに。おそらくは高校入試が視野に入り、これまでのような生活をしていたら、お先が真っ暗であることがわかったのだろう。そのためここはパパの言うことを信じて取り組むしかないと諦めたのかな。
人の内面は本人でもわからないので、推測を深追いはしないことにして、コミュニケーションの観点から頭の働かせ方をトレーニングしてきたことによる彼の変化については、客観的で具体的な事実を観察し、それらを記述するのが適当であろう。
彼は、学校が始まるまでは、塾の春期講習の体験レッスンに毎日、参加していたが、そこに正式に入ることを彼は決心した。そこで改めて親が申し込む際に面接で先生から聞いた話では、彼は勉強に取り組む姿勢が素晴らしく、宿題を毎回、きちんとこなしてきて、他の生徒の模範であり、伸びしろがとても大きいと感じる、とのことであった。そうであるなら幸いだが、直接、見ていないので、そこは信じることにしよう。
家ではどうか。都立高校の英語の入試では、リスニングがあるから、NHKのラジオ講座を、あえて中2の「基礎英語2」から聴くといいと勧めたら、6時15分からの放送に間にあうように、なんとか起きている。たまに起きられない時もあるが、そんな時は夜に2回、聴いている。これまでは、よく夜更かしをし、学校に時々、遅刻していた彼からすれば、激変である。
また、家事の手伝いを積極的にするようになった。お腹が空いたというので初めて自分でパスタを作り、それも親の分まで用意したし、明日の学校の着るシャツがないからといって、洗濯も自分から進んで行うようになった。それまで全部、母親にやらせて、自分では一切、やったことがないのに。
これまでは、部屋でおとなしくしていたら寝ているか、注意すべきことをしているかで、常に気になっていたが、最近はいつも起きていて、塾や学校の宿題をしている。
このような変化により、もう一々、彼のことを気にしなくてよくなってきた。ベッドで私が横になって天井を見ていたら、彼の自立性に信頼できることの開放感が、次第に幸福感になっていった。久しぶりに味わう感覚である。
先週は、その幸福感がさらに充実感とでもいうべきものに進展した。木曜の21時ごろ、長男が「明日、保健委員の委員長を選ぶ選挙があるんだけど、絶対になりたいんで、スピーチ考えるの、手伝ってくんない?」と頼まれた。小論文やスピーチの原稿を考えるのは、社会人や研究者からも指導や支援を頼まれることが少なくない私にとっては、得意中の得意なことだ。そこで、2時間ほど一緒に考えてやり、翌朝も、簡単に事前練習をした。
対抗馬は、すでにこれまでも委員長をしてきた彼の小学校からの同級生で、私も知る好青年である。おそらくはそちらに決まるだろうと息子の帰宅を待ち、慰める言葉を用意して出迎えたところ、ドアが空いた途端、「パパーーー! 委員長に圧勝で選ばれたよーーー!」との声が聞こえてきた。
興奮気味に解説する彼の話から要点を抽出すれば、決め手は、投票した1年から3年の各クラスの委員の生徒の心を掴めたことにあるようだ。その演説の内容や技法は、まさに、コミュニケーションにおいて、聞き手のメタ認知を意識した頭の働かせ方の勝利と言えるものだ。
だとすれば、選挙の前日の短時間のアドバイスだけで理解し、自分のものに出来たのは、春休みから日々、訓練したことが基礎にあったのかも知れない。これまでの長男と私の関係からは想像もつかない出来事だが、彼はたいへん喜んでいる。そこで今後にも期待して、週末は多いに祝ってやった。
それにしても、なぜ学びや生活面の行動が、こうも激変したのか、今後のためにも、きっかけや理由、今後の進展の可能性などを考察しておくのは楽しい。