見出し画像

インドネシア女性ヘヴィメタルバンドの素晴らしさとインドネシア男性声優オタクのキモさ




 有料サポーター諸氏限定の音源・動画アップロードが3件続いたので、今回は久々に全体公開の記事となる。
 2曲ぶんのデモを仕上げて動画を見直して編集してメンバー各位に必要なデータを送るなどの作業が済み、ようやく平常通りのボーカル練習ができるようになったところ。「デモの編集って演奏のステレオミックスにボーカルトラック乗せるだけでいいんじゃないの?」と思われるかもしれないが、私の場合は入り組んでいる。実際に Cubase のプロジェクトファイルをご覧いただきたいくらいだ、デモにも拘らずどれだけ執拗な編集が加えられているか。もっとも、その作業の大半は「防音加工無しの部屋で収録したボーカルトラックから可能な限りノイズを除去するためのイコライジング」に費やされているのだが。


 そして平常通り新たな音楽を聴いてみる余裕も戻り、 Q/N/K の『21世紀の火星』(本当に凄まじいアルバム。ヒップホップの現在と未来と、加えておそらくは映画音楽の過去とが同時に鳴っている)はもちろんのこと、昨晩 The Guardian の記事で知ったインドネシア出身のムスリマ3人組によるヘヴィメタルバンド Voice of Baceprot のアルバムも聴きじゃくっている。メタルヘッズの間では既に知れ渡っている名前だろうが(旧聞ばかりまとめて受け取るようになると、我ながら歳をとりつつあるなと思わされる。なにしろ私はモンゴル出身の The HU が Alice in Chains や Serj Tankian と演った曲の存在でさえつい先週知ったほどなのだ)、 Voice of Baceprot は本当に良い。どの曲を聴いていても、さながら Deftones と Muse の間違いない要素が一挙に流れ込んでくるかのようだ(一方で System of a Down からの影響は、彼女らが公言し評者から指摘されているほどには感じない。というかまんまSOADの曲をカバーしているときでさえ、VoBは全然SOADっぽくならない。これは「そもそも人々が"中東的"と呼びたがるフレーズとは、実際にはどんなリズム、どんなスケールで構成されているものなのか?」の問題系にまつわるのだが、ここでは詳論しない)(←ちなみに私は、一度『Kashmir』の分析を通してこの問題系に解答の一端を与えたことがある)(←さらに私は、先週アップしたばかりの新曲デモの後半にて『Kashmir』分析から得られた知見を具体的に活用する機会に恵まれたのだが、これについては有料サポーター限定公開の音源なので詳しく書けない。あああ、言いてえ。「結局、移動ドで考えて白鍵だけで弾けるフレーズが一番ヤバい」って言いてえ。「普通のメジャースケール=イオニアンの、どの度数をシャープまたはフラットさせるかってだけの話で、これはつまりポップスの技巧とも関わるんだ」ってバラしてえええ)。さらには、やはり King's X を最初に聴いたときの印象に最も近いだろう。共通するのは、「ヘヴィメタルというジャンルから出発したバンドたちが嬉々として囚われてしまっている不毛から軽々と遠ざかっている」点に他ならない。前括弧で述べた特性において、King's X と VoB はリズムとハーモニーの両要素で同じく徹底している。「ヘヴィメタルというジャンルから出発したバンドたちが嬉々として囚われてしまっている不毛」とはもちろん、たとえば Soilwork や Katatonia は現在においても堅実に遠ざけているが、Ne Obliviscaris のような情けない小金持ちバンドはその硬直した「メタルらしさ(それは「男らしさ」・「女らしさ」などと同様に無意味かつ空虚であるのは言うまでもない)」を既得権的でもあるかのように後生大事に抱えたままダメになってゆき、あまつさえ Fates Warning や Symphony X のような「一度ダニエル・ギルデンロウにディスられたバンド」系列の輩どもはもはやその正当性を疑うことすらしなくなってしまった悪弊(=ヘヴィメタルミュージシャンのサラリーマン化)を指しているなどと詳論するまでもあるまい。そのような瘴気とは無縁のすがしさで演奏していたバンドとして King's X が存在し、彼らのデビュー30年後にインドネシアから出てきた VoB が同じイズムを継いで聴こえるという、この麗らかさ。極めつけには、ゲイで長痩躯で笑顔がステキなダグ・ピニック(ご存知なければ彼の Facebook アカウントをチェックしてみてほしい。彼ほど笑顔がステキな男性を私は知らない)が、インドネシアのムスリマ3人組の音楽的親族であるかのように響いてしまうこの事実に言及できなければ、西暦2023年時点でのヘヴィメタル係累における VoB の意義について何を述べたことにもならないだろう(私が以前述べたとおり、イスラームが世界思想史上に及ぼした最大の革新性とは「男性による懐妊」なのだから。 VoB は彼女ら自身の存在によって、国籍も年代も性別も異なるダグ・ピニックを遡行的に妊娠させたとも言いうるのだ。この時系と性差を撹乱する創造性の営みに思いを致すことができなければ、音楽を筆頭とするあらゆる藝術表現から何を受け取ったことにもなるまい)。


 さて、インドネシア出身のムスリマ3人組たる Voice of Baceprot の話題から移って、インドネシアのムスリムがどれだけキモいかについても注意を促しておこう。ムスリムとしてシャハーダを遂げた者である私がこのような指摘をすること自体の意味を考えてもらいたい。共同体ウンマは国民国家などよりもはるかに巨大な版図を持つものであり、その内部における慕わしい兄弟に他ならない者を、私は今から批判に晒そうとしているのだから。
 Raja Darajat Nusatal Hasan という、おそらく実名公開なのであろう、インドネシア出身の男性がここに可視化されている。この者のバイオグラフィには "Ceo & Founder of Appstar, Xino and Atlas" とある以上、まあ東南アジアといわずどこにでも簇生するIT成金(ウォナビー)だと解釈しておけばよいのだろう。が、彼のバイオグラフィには "I will definitely achieve my dream and marry Amamiya Sora" という一文が続けられているのだ。そして現に彼は、 Instagram 上にて42,000人以上のフォロワーを抱える雨宮天ファンアカウントの運営者なのである

 実際私は、このファンアカウントさえ無ければ Raja 某の素性など知りもしなかったに違いない。たぶん当時の私は、ファイルーズあいさんがエジプト出身であると知り、たぶん彼女自身はムスリマではないのだろうがところで日本の声優業界におけるムスリマ人口はどのような感じなのだろうか、と薄く興味が湧いて検索した結果、あのアカウントのこの投稿に行き着いたのだろう。お人好しにも「へえっ、この人『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン』に出てた声優さんよね? ムスリムと結婚予定なのかあ。仕事か学業の場で知り合ったのかな、いい話だ」と思った私は、いちおう【雨宮天 結婚相手】と検索した。ら、そこに表示されたトピックスには彼女の結婚予定云々にまつわる情報は一切無く、その時点でようやく私は件のあれが公式ではないファンアカウントであり(フォロワー数の説得力とアカウントの構えがいかにも公式然としていたので、インスタ慣れしていない私などには見破れなかったのだ)、それも「いつか雨宮天と結婚する」という藤子不二雄漫画の登場人物のように無邪気な、しかしはっきり病的と言って差し支えない「夢」を画像投稿として垂れ流している男によって運営されていることを知ったのだ。そして Raja Darajat Nusatal Hasan は、ムスリム(ムスリマ)人口が87%を占めるというインドネシア出身なのである。

 繰り返すが、これは「日本人によるインドネシア人への悪口」ではない。「同じウンマに属する兄弟から同じウンマに属する兄弟への叱咤」である。 Raja Darajat Nusatal Hasan とやらが雨宮天さんの画像を(文字通り)偶像、というよりほとんどポルノ同然に使っており、それらの妄念を World Wide Web 上に公開して恥じるそぶりもない愚挙ぶりを咎めるに、ひとまず私ほど最適な人物はいないだろう。現にムスリムであり、日本語を解することができるのだから。 私から Raja Darajat Nusatal Hasan に対しては、一息にこう言うのみにとどめよう。「いくらお前が "日本の文化" とやらを愛していようと、日本育ちのムスリムがお前の妄動まで気軽に容認してくれるなどと思うな。お前は女性の図像を自分にとって都合のよいファンタスムの投影先としてのみ利用しており、それは偶像崇拝の禁止と女性への蔑視の両方において許されざる犯罪だ。もちろん、アニメという日本国産の文化的病原菌がお前の心身を蝕んでしまった結果として発症したのだと解ってはいる。しかし、なればこそ、私はお前の酔態を許すことができない。いいか? 田畑佑樹という日本人名で生まれ Abdul Nasir というムスリム名でシャハーダを遂げた私はな、お前が期待するような "普通にアニメを愛する普通の日本人" ではないんだ。 "普通にアニメを愛する普通の日本人" ってのはな、 "普通に西部劇を愛する普通のアメリカ白人" と同じくらいヤバい人種だ。お前は一般的なアニメ作品に蔵されているレイシズムまたはセクシズムの甚だしさにすら気付けず、その現場で仕事をしていた女性声優のひとりを前にして何かの制御が外れてしまったのだろうが、そのこと自体はもはや責めまい。しかし、いいか? それでも俺はお前の魔を祓ってやるつもりだ。お前みたいな "普通のインドネシア男性" には思いつきもしない、しかし Voice of Baceprot のような "優れたインドネシア女性" は既にして取り組んでいるような方法でな。それは音楽だ。音楽の力によって、日本国産の病原菌にヤラれたお前みたいな輩の心身も、あっという間に壊して、治して、また新たに踊り出させてやる。お前の眼前で、陽気な舞いを見せてやるよ。」と。


 さて、現在バンドとしての仕込みも大詰めに入っている我が Parvāne の当面の目標は、Voice of Baceprot が来日した際の前座を務めさせていただくことだ。彼女らのような「新しい人々」への良性の貢献自体が、そのまま私の生であらねばならない。
 前にも書いたが、音楽は、物質を前提とせず抽象的な理性ratio比率ratioへの理路を拓き、アッラーが創造し賜うた世界の奥義を深く探究するための藝術として、数学と並び称されるべきである。彼女らの明晰極まりない理性と感性を開花させ、そして現にいま同時代のヘヴィメタルバンドとして比類なく傑出させるにいたった、これらすべての運命を配剤し賜うた全能なるアッラーに絶えざる賞讃あれ。そして私は自らも同じ音楽家として、しかし無数の贖罪され得ない世界史的過誤を犯してきた日本人男性であり国民国家内のムスリムとして、これら二重の有罪性において彼女らのような「新しい人々」が歩む道の敷石になろうと思う。詩と舞踏が携わるのは建築と整地である。そして詩人=舞踏家によって絶えず作り直される場における闘争の持続こそ、大地の本義であるのだ。





Integral Verse Patreon channel


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?