“あなただけが知らないのだ、家の外は嵐であると。”


 メイナード・ジェイムズ・キーナンのファンなら誰もが知っていると信じたいが、 A Perfect Circle の楽曲『The Outsider』の歌詞は「自滅的な境遇にある者を冷たく突き放す」内容ではない。 Wikipedia にすらメイナード本人によるコメンタリーが引用されているように、「相手が置かれている苦境を理解できない者」の視点から辛辣な物言いが一方的に吐かれているのがあの歌詞である。詞中の主話者から「薬漬けのドラマクイーン」または「自滅的な馬鹿者」への厭悪または軽蔑を引き出している事由は、その対象が浸っている状況の愚劣さよりもむしろ、主話者自身が対象を鏡として見ることで浮かび上がった罪責感にある。精神分析的に謂うならば、「主話者が対象の境遇を改善させる手立てを持たないため、辛辣な罵倒を吐くことで自らの罪責感を霧消させようとしている」となるだろう。メイナード本人のコメンタリーに基けば、この詞における主話者は「友人・または愛する者」を前にしているのだから、社会通念上、赤の他人としての無下な突き放しは相応しからぬ態度として断罪されかねない。むしろここでの主話者は「友人・または愛する者」が置かれている状況への無力を自覚しており、何も善性のものを捧げられない自身の所在無さを合理化すべく罵倒を吐き続けている、そのような状態にあると読むのが至当である。

 前段落の内容のみで、「他責(的)」と一言で表現される人間の心的機制が、思いのほか混み入った構造を持っていると理解されたろう。引き続き『The Outsider』の内容に準えるなら、詞中の主話者は対象(=友人・または愛する者)を複数回にわたって「ドラマクイーン」呼ばわりしており、これは主話者にとっての対象が「ギャアギャア自己愛的なたわごとを並べてこっちを困らせる」存在として認識されている証に他ならない。つまり主話者の主観としては「あっちがこっちを責め続けている(から今すぐにでも縁を切りたい)」状態にあるわけだが、(先に確認した通り)この曲では「相手が置かれている苦境を理解できない者」の様体がテーマに据えられている。その詞の書き手たるメイナードは、(自らのボーカルワークを「好ましからざる精神性の声」として用いてまで)他者に助けの手を差し伸べることができない人間が粉飾的に生産する言辞を明らかにしているのだ。つまり『The Outsider』の歌詞において「他責的」なのは対象(=友人・または愛する者)ではなく、その相手を「ドラマクイーン」呼ばわりする主話者のほうなのである。「頑なな拒絶や嫌悪を表明する者は、その対象を鏡として見ているため、自ずから内面に在るものを明らかにする」という、精神分析の初歩的理論がここにも顕れている。


 前段落で述べたように、ただ「他責(的)」とだけ述べて対象の人間的欠陥を暴いたとでも考えているかのような者は、「他責(的)」の属性がその者自身に撥ね返って貼り付いていることに全く気がついていない。


〔後略〕


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