「いじめっ子になりたいと欲望しない元いじめられっ子」の強さ


 昨晩の興奮がひとまず一過しまして、「そういえば私は、度重なるフランスでの暴動に対しあれほど冷淡だったのに、アイルランド首相自らの辞任に対しては激賞を送ったのだな」といきなり気付いて微笑しましたが、でもこれにだって筋が通ってるでしょ。以前書いた通り、私がフランスでのデモに対してのみ冷淡なのは、あの行動が「自身を吸収している国民国家の運営をこれからも円滑に保ち続けるための無料メンテナンス」以外の何事をも意味しないからです。本当に自国の政府が陋劣な状態に陥ってるのだとしたら、既存の政治体制ごと転覆しなきゃおかしいでしょ。にも拘らず、事あるごとに「醜聞」をネタに集まっては、荒らすだけ荒らして解散し、その一方で根本の政治体制には何らの影響も及ぼさないってのは、いい歳こいて軽症のファザコンすら治せない甘ったれのボンボンが、いつまでも優しく面倒を見てくれて好きなだけ文句も言わせてくれる親=〈超自我〉の存在を国民国家の制度自体に求めてしまっているとしか解釈しようがありません。前稿末でジュネを引用したからって、フランスに対して好意的だなんて思わないでくださいよ。私が20世紀のフランス人でジュネとフーコーの2名のみを贔屓にしているのは、彼らは同時代のイスラームにおける政治的鳴動を敏感に察して行動したし、そのことによって国民国家の構成員としての単なるフランス人で在り続けることを拒絶したし、何よりゲイだったからです。彼らは祖国という腐った畑に一粒の種も落とさずに・しかし輝かんばかりの著作は克明に残して死んでいった。これは予めアニメ化された身体で「反出生主義」などという暗黒微笑を垂れ流すことしかできない21世紀前半の幼児たちとは遠く隔たった生き方ですよ。
 もちろん私は、「国民国家に資しない存在であるから同性愛者は革命的な存在に成る」なんて謂ってるんじゃないですよ。逆です。前段落末で出した「反出生主義」の幼稚さとは反対に、革命的な主体は積極的に親(とくに母親)にならなければいけないの。男性さえもが母親になる必要がある。これはゲイの女性性なんて退屈な要素とは特に関係ないですよ。単に、概念を受胎する存在=母親であるという、語源的な意義を確認してるだけです。というか、こんなのイスラームの内部者なら誰でも解ってることですよ。アラビア語で umm の語根から派生する概念を踏まえなければ、我らが聖預言者ﷺが世界史上に及ぼされた未曾有の偉大さの意味も理解できないんだから。

 さて話を戻しますが、フランスのような永遠の思春期に対し、現在のアイルランドの人々の心裡を満たしているのは、(ボードレールの「世界の外ならどこでもいい!」を捩って言えば)「アイルランドならなんでもいい!」の理念だと思うのね。これは政治家だの国民だのといった区別をもはや前提としない、 πόλις または cīvitās の原義に忠実な意味での政治的集団性ですよ。もちろん民族主義や国家主義とも別様な(何となれば、インド移民の裔であるレオが首相になった時点で「アイルランドの民族主義」を代謝する準備は既に整っていたのだから)、「それがアイルランドであるならば国家でなかろうが政府でなかろうがなんでもいい!」の精神。レオがホワイトハウスでの演説で「(イスラエルに対し)生まれ変わった国民国家」の実現可能性を示唆していたのはこの意味においてですよ。「もはや我々のアイルランドは国籍や宗派や人種的ルーツなど一切問題としない。しかしイングランドによる地理的支配が及んでいる状況だけは断固拒絶し、全的な自治の回復を要求する」ってこと。
 もちろん私は、パレスティナとイスラエルにおいて Two-state solution を前提とした決着なんて一切認めませんよ(何故なら nation state の存在自体が多神教崇拝の対象でイスラームの統治性とは根本的に相容れないことは勿論、その Two-state を前提とした時点で国民国家イスラエルによるパレスティナ搾取と自治の妨害は永遠に温存され続けるんだから)。でも、ジョンブルどもの虐待から自力で立ち直ったアイルランドの人々が言うと話が違ってくるわけ。かつての(国民国家でない)パレスティナがそうであったような、宗教や人種の区別なく平和的に共存し得た土地の在り方を、アイルランドの人々は現在形で実践しているんだから。絶えざる逆行によって失望を生産し続けた所謂「パレスティナ問題」において、進歩の方途を示せる立場はアイルランドの人々以外に無いでしょう。その体制はもちろん、アメリカ合衆国のような大統領制の「代表選出」にすら依らない、またフランスのような「主権者」の駄々によって国民国家の体制だけは温存される茶番すら許さず、さらには「(全く民主的でない)民主制」や「(全く共和的でない)共和制」の温存・改良すら主眼に据えていない。なぜなら首相たるレオは自らが国を率いることを突然に放棄したのだから。しかもその男がインド移民の血を引いたゲイでしょう。なんというかもう、完璧ですよ。

 私はもちろん凡庸なムスリムですから、そもそも国民国家そのものが地上から廃絶される世界の到来しか認めないのね。でもそんな私でさえ、「事によると、しばらくこれらの国々は存立していたほうがいいかもしれない」と思う名が3つあるの。アイルランド、大韓民国、ポーランド。これら3名の共通点は言うまでもないですよね、二度の世界大戦の最中において、「帝國」からの熾烈な侵略を受けたが、戦後には自治を回復した国々ですよ。言うなればこれらは、現状の世界史上における「元いじめられっ子」なの。以前私が書いた所謂「パレスティナ問題」にまつわる諸考でもこのアナロジーは出てきたでしょ。そう、「元いじめられっ子」はかつての外傷記憶が転じて「いじめっ子になりたいという欲望」に取り憑かれやすいの。敢えて国家を個人として喩えてますが、こんなの誰にでも憶えがある話ですよね。前にも書いた通り、現在のイスラエルは世界史上における「いじめっ子になりたい元いじめられっ子」という卑屈な不良グループの、無惨な新入生そのものですよ。さらにはドイツなんかさ、かつてのび太(イスラエル)をいじめた事実から止まぬ罪責感を引き出されちゃった「元いじめっ子」で、今や「いじめっ子になりたい元いじめられっ子」として不断にヒステリーを起こすようになってしまった・しかもライフルで武装しているのび太(イスラエル)からずーっとカツアゲされてるジャイアンですよ。双方ともになんて惨めな国だ。そんな全米ライフル協会とも懇意なのび太(イスラエル)が、都合の良い「解決策」を示してくれるドラえもん(イングランド)に導かれて、いきなり出来杉(パレスティナ)の家を襲って我が物顔で寄生するようになってしまった。所謂「パレスティナ問題」なんて、徹頭徹尾いじめの力学でしか動いてないですよ。
 にも拘らず、先に挙げたアイルランド、大韓民国、ポーランドの3名は違うの。これらの国々は言うなれば「いじめっ子になりたいと欲望しない元いじめられっ子」として現在までやってきたの(ポーランドだけ半年くらい前からちょっと危ないけど)ね。東アジア人としての肌感覚で理解できるでしょう、今まで散々侵略してきた相手に対して報復の軍を起こさないって凄すぎるよ。それはもちろんアイルランドにとってのイングランドであり、大韓民国にとっての大日本帝國であり、ポーランドにとってのソヴィエト連邦とナチス・ドイツの両方である。これら加害者側に対して等量の報復をぶつけずにかろうじて自治を回復した、それが「いじめっ子になりたいと欲望しない元いじめられっ子」の在り方なのよ。逆に言えば、イスラエルにはどうしてもこれができなかった。前稿で引用したジュネの言を踏まえれば、シオニストたちはナチス・ドイツに直接的な復讐をしなかったからパレスティナにあのような惨事を押し付けた。「然るべき相手に然るべき復讐をしなかったせいで、非当事者までもが次の惨禍に巻き込まれる」という力学が厳然として在るにも拘らず、アイルランド、大韓民国、ポーランドはイスラエルと同じ轍を踏まなかった。

 いいですかね、本当の希望はここにあるんですよ。「いじめっ子になりたい元いじめられっ子」組の新入生ことイスラエルがヒステリーに駆られて銃乱射事件を起こし続けようと、それより遥かに気高い「いじめっ子になりたいと欲望しない元いじめられっ子」の姿が地上には在るわけ、しかも3名。去年の秋から何か思い出したように「パレスティナで起こってる事に関してワタシたちは無力だ」って泣き咽んでた人々はさ、未だに泣いてるんですかね? それとも「なんとなく最近起こった、グロくてエグい事件」をデミアン・チャゼルやアリ・アスターの映画みたいに消費すること自体に飽きましたか? そりゃ飽きるでしょうよ。然るべき問題に然るべき向き合い方をしてないからそんなことになるわけ。そんな論外な人たちを置き去りにして、物事はちゃんと動いてゆく。私10年くらい前からずっと不思議だったよ、「そもそもパレスティナがああいう事態になるきっかけを作ったイングランドの罪責が公に批判されないのは何故なの?」と。ニーチェを引用すれば「墓たちは現在の思うがままにされている」とでもなるでしょうが、しかし同時に現在においては、ジョンブルどもによる世紀またぎの犯罪を真正面から断罪するに足る者が居ますよね。アイルランドです。ホワイトハウスにおけるレオのスピーチを聴けば明らかですが、彼は同じアイリッシュである耄碌バイデンに十分すぎるほどの礼を尽くしつつも、イングランドに対しては全く擦り寄っていない。どころかベルファストの自治回復を具体的に宣言してすらいる。本稿の前半で書きましたね、現在のアイルランドの人々の裡を満たしているのは「アイルランドならなんでもいい!」の理念だと。そしてそのアイルランドは、もはや国民国家ですらなく、「(全く民主的でない)民主制」や「(全く共和的でない)共和制」など一切相手にしない、新しい、しかし πόλις や cīvitās の統治に近いという意味では古臭い在り方へ移行するのかもしれない。それは勿論、多神教崇拝=国民国家の全面的廃絶を前提とするイスラームの政治性と共鳴するものですらある。そして現に、アイルランドではパレスティナでの虐殺を正当に非難する声が上がり続けている。これが現実であり、本当の希望なのです。

“──もう取り返しがつかないことをしなければならない、と思いつめたら、その時、「ある時間、待ってみる力」をふるい起こすように!/それには勇気がいるし、日ごろからその力をきたえておかなければならないのでもあります。しかし、その力は、あなた方にあるのです。” この引用は大江健三郎さんのエッセイ集のなかでも屈指の至言ですが、加えて私は、「いじめっ子になりたいと欲望しない元いじめられっ子」の力をふるい起こすよう、皆さんに伝えておきたいと思います。これは21世紀の世界史上、枢要に据えられた問題ですらある。もちろん国家のみならず、個々人のレベルにおいても。どれだけあなたが政治や歴史に関して無力または無関心な態度を保とうとも、その力学は既に人と人とが触れあう欲望の社交場のなかに在るのです。そして我々は同時に、如何なる規模のレベルにおいても、「いっそいじめる側になってしまえばいい、だってワタシをいじめたのはアイツらだ」という合理化を許す邪な欲望との具体的な闘争を続けることができる。ならば、当然いつの日か勝利が輝くこともあるでしょう。それはもちろん、いじめっ子/いじめられっ子いずれかの一方的な圧制ではない。その惨めな区分自体を解消してしまう、共に同一の地平で生きることの勝利です。


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