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エルザ フォルテとベベウ・ジルベルト、および『Forever Dream』アコースティック版と『August Day Song』について (radioGA: 2024 01/02)



◎マクラ

 
〔前略〕
 今回はさすがに手短に進めますよ。前回30分で済ませようと思ったものを2時間にしてしまったので、30分以内で区切るっていうのを目標にやりますよ。
 ちなみに皆さん調子はいかがですかね? これ録ってるの1月2日の夜ですが、私さっき買い物に行った時に自転車のチェーンが外れて。買い物に駆け出した瞬間にチェーンが外れましてね、「うわーいきなりかー」って思いながらどうしよう、近場の自転車工房もいつ営業再開するのかわかんないよって思いながらね。ただ手で押して物を運ぶだけの車と化した自転車をね、押しながらとりあえず買い物済ませたわけですが。もうしょうがないなぁと思って、軍手とドライバーと潤滑油のスプレー持ってアパートのエントランスに行きまして、自分で自転車ひっくり返して、ドライバー駆使してとりあえずネジ外しながらね、うちの祖父っていうのが孫たちの自転車がパンクしたら全部自分の手作業で直してた人なんで、それ思い出しながらチェーンを元に戻そうと思ったわけですが。これがねーなんと、あんな複雑な巻き込み方をしてたチェーンが……力業でドライバーでガンガンって無理矢理外して、前と後ろの歯車にいけるかな、いけるかなって調整しながら回ったときのあの感じね。それで油差してカラカラカラっていつもより快活に回った、あの感じに持っていけた瞬間に「エーィ」って叫びましたよね、アパートの入り口でね。人通りの全く無い1月2日、冬の誰も通らない路地で独りの軍手つけた男が「エーィ」ってなってる姿を、皆さん是非ありありと想像していただきたいと思うんですが。いやー良い気分ですねー。こいつはもう幸先がいいぜと思いましたよ。
 皆さんも普通に生きててね、飲み会とかじゃないですよ、あらかじめ自分に話を合わせてくれるオタクの飲み会とかじゃなくて、独りの生活を地道にこなしていて、執拗な持続の中でいきなり「エーィ」って叫びたくなるような瞬間っていうのがありますかね? 私さっきありましたがね、こういうのがあるべきですよ。「自己肯定感」とかね、ほんとにアホらしいこと言ってないで、そういう人達はまず外に出てですね、自転車をこいで、チェーンが外れて、そのチェーンも仕方ないなって言いながら自分で直せてしまうっていうね。その瞬間に「エーィ」になりますからね。
 ちなみにあの、さっきそれの作業を経て風呂入ったんですが、右手の一箇所すごい擦り剥きかたしたのはまぁいいとして、部屋に入る瞬間、自転車の修理作業とは別に何の関係もない所作で右足をね、ちょっとすごいぶつけ方してしまって。いま右足の親指の爪が割れてるんですよね。なぜか血が出てたんですよね、これを見て「エーィ」ってなったらさすがに病気の人なのでそれはやめときますが。まぁさすがに、私も軽い躁病の人ですから、こういうの見ても気持ちがアガっちゃうんですよね。右手の足の親指が鬱血してるのを見て「おぉ」ってなってる躁病の人ね。この鬱血と躁病の感じがこう、文字の上で面白いんじゃないですかね、っていうことがさっきありました。で、今回の特集やるって決めたのはその事件の前ですが。


◎『Forever Dream』原曲版


 今回のトピック行きますよ。『Forever Dream』、『アイカツスターズ!』というアニメシリーズの中で出てきた楽曲と、モダンボサノヴァの人ということにすればいいのだろうか、ベベウ・ジルベルトという歌手が2000年に出したアルバム『Tanto Tempo』に入っている曲『August Day Song』の比較っていうか、この2曲を続けて聴くだけの話なんで30分に収まると思いますが。この『Forever Dream』っていう楽曲が『アイカツスターズ!』の2年目に出てくる曲なんですね。
『アイカツスターズ!』って作品については私もう散々話してるしさ、文にもしてるっていうか、このアニメが放送されてた当時に私が書き連ねた、合計32万字になった文章を今っていうか、何年か前からちょくちょく note のほうに分けて上げてるんですけどね。言いたくないですけど、この『アイカツスターズ!』の「再評価」が始まっているので。私のリアルタイムで見た段階では、ちょっとびっくりするくらいね、口幅ったい言い方に聞こえたらアレだけど、全然理解されてなかった作品だったんですが。もう5年半ぐらい経って「おうおうこれって何なんだよ、リアルタイムでは全然知らなかったよ」って人たちがちゃんと追いついてきてるので、私もまた上げ直すことにしましたが、とくに書かれていることも間違ってなかったのでですね。
『スターズ!』について今この特集で色々言ってもしょうがないから、もう簡潔に済ませますよ。日本にとっての『アイカツスターズ!』はアイルランドにとっての『ユリシーズ』と同じくらい偉大です。それくらいの作品ですね、簡単にわかったでしょう。ちなみにこの『Forever Dream』という曲を担っている、特にキャラソンってわけでもないのが『アイカツ!』フランチャイズのポイントなんですけどね、その『Forever Dream』って曲を担っているエルザ フォルテさん……なんてかっこいいお名前だ。エルザ フォルテさんっていう人がいるんですが。その人もね、やっぱこのエルザ フォルテがひじょうにジョイス的人物なんですよね。どういう特性かというと、「周りの人々すべてを創造的にしてしまう人間」ていうのはまぁ解りますよね。ジョイスにとってのパウンドやエリオットやその他大勢の人々……伝記読めばわかりますよね。あの人の周りにいると、単に本屋の仕事してた人たちでさえ、もう歴史に携わってしまうんだよね、恐ろしいことに。シルヴィア・ビーチとか、ハリエット・ショー・ウィーヴァーとか、そんな平凡な人たちまでも、自分の小説という宇宙の中に活かしてしまった人ですから、ジェイムス・ジョイスは。だから『ユリシーズ』はあんな凄いわけですが。周りの平凡な人たちすべてを創造的にしてしまう人ですね、このエルザ フォルテさんも。そしてもうひとつ、ルシファー的人物だということが挙げられます。 “non serviam” ですね、これはジョイスの『若き藝術家の肖像』の主人公スティーヴン・デッダラス、『ユリシーズ』とは違う若き日の主人公のセリフですが “non serviam”, 「我は仕えぬ」。これがねー、エルザ フォルテさんも若々しい人でねぇ。だって中学3年生だから仕方ないですけどね、若いねーっていうか幼いねーっていうところが『若き藝術家の肖像』の頃のスティーヴンとも似てるわけですが。「金星のドレス」を持ってる人ですからね、ルシファーと関係があるんですが。
 いきましょうか、もう既に長いんじゃないか? 『Forever Dream』の原曲をまず聴いてきてもらいましょうかね。もう片方の『August Day Song』に関しては後で時間割くので、『Forever Dream』アコースティック版のほうも後でまた話題にしますが、一回聴いてきてもらいましょう。今回 Spotify のほうに上げることにしたんで、この音声が途切れた後、そっちの楽曲の音声が始まると思うので聴いてきてくださいね。じゃあ『Forever Dream』原曲です。


◎『Forever Dream』アコースティック再編曲版


 おかえりなさい。言うまでもなく良い曲ですね、素晴らしいですね。堂々たる曲です。この楽曲が『アイカツスターズ!』2年目の第51話の中でどれだけ異例な使われ方をしたか、っていう話はここではしませんけどね。『Forever Dream』の原曲版に関しては、夜明けから徐々に日光が照らし始めるようにして、クレッシェンドでサビで爆発して1コーラスを終えますよね。その1コーラスが終わった後にフェードインみたいな迫力の音があった後、Aメロに即座に入るわけですけど、その2番Aメロに入った瞬間のキックの強さね。4つ打ちのドゥッ ドゥッ っていうのが来るんですけど、これ1番目のAメロでは静かに始まってるから、こんなキックが強気じゃないんですよ。『Forever Dream』のフルバージョン聴く時は、2番キックの威風堂々たる音量と音圧でドゥッ ドゥッ って来るときの瞬間がね、もう恍惚としますよね。素晴らしい曲です、それ以外も全部素晴らしいんですけどね。で、2017年4月から放送された2年目で使われ始めた曲です『Forever Dream』原曲は。
 これのアコースティック編曲版が、2022年3月23日にCDでとりあえず出たんですよ。さっき言ったでしょ、「再評価」が始まってると。なんだろうねぇ「コロナが落ち着きつつあるので、もうちょっとレイドバックして聴けるものを皆さんに提供したいです」っていう感じで、ボーカル担当の皆さんたちも物凄く上達してらっしゃるので。ほんとにねー虹野ゆめさん役の人と桜庭ローラさん役の人はね、びっくりするくらい1年目と2年目で違いますよ。ビブラートの仕方とかがもう全然変わってるのね。それで2年目に使われてたこの曲も再編曲されて、ボーカルをやってる方が でんぱ組.inc りささんでよろしいのだろうか? この方がボーカル担当していらっしゃいます。で、そのアコースティック版の『Forever Dream』っていう曲がね、さっき言った『August Day Song』、2000年に出たべべウ・ジルベルトのアルバムに入ってる楽曲とそっくりなのね。ほぼ同じとまで言ってしまいたいですが、細かい解説する前に『Forever Dream』アコースティック版を Spotify で聴いてきてもらいましょうか。いってらっしゃい。


 おかえりなさい。とりあえずこのアコースティック版の話をしますがね、素晴らしいでしょう。イントロから「あ、フラメンコだ!」ってお思いになったでしょう。このフラメンコ要素っていうのが「おお!」って思ったんですよ、私もまず別件でね。なぜならエルザ フォルテさんはラテンのほうの人なのですよ。モナコの王妃の娘なんですよね、そのモナコの王妃が日系人ぽい名前なんですよ。ユキエ グレース フォルテさんていうんですけど、言うまでもないですよね、この20世紀の文化史に準えれば、グレース・ケリーのことですよね。モナコ王妃に実際になった人ですね。その方がアイドルという場に置き換えられてね、もう言うまでもなくっていうふうに活かされてるわけですが。
 ちなみに後で話しますが、「偉大な母と娘の関係」っていうのが今回の特集の共通テーマなんですが……この『Grace』つながりで思い出しちゃいますよね、ジェフ・バックリィのことをね。いつに死んじゃったのか忘れましたが、川で泳いでるときに溺死しちゃった、ちょっと双極性障害傾向があったらしい人ですが。物凄いボーカリストでありギタリスト、ギターの腕前が過小評価されすぎている人ですが。そのジェフ・バックリィのお父さんがティム・バックリィですね。この人もサイケデリックフォークっていうか、ボブ・ディランと同時代人? ウッドストックあたりのフォークロックの文脈で評価されて有名だった人ですが。そのお父さんが早死にしたんですかね、トリビュートコンサートで息子のジェフ・バックリィがパフォーマンスして、それでソニーと契約するきっかけになったみたいな話らしいですけどね。で、「偉大な親とそれを超えんとする子」の話であるわけで、このバックリィ親子も。それが『Grace』で繋がってるんじゃないのっていうね。ユキエとエルザの関係が、ティムとジェフ・バックリィ親子の関係とも『Grace』つながりで響き合わせてるんじゃないの? おぉいシリーズ構成担当:柿原優子どうですか? って思うわけですが、それはね『アイカツスターズ!』が持つ非常に恐ろしい複層性の中のひとつに過ぎないので、話戻しますがね。
 で、モナコの人なので、このエルザさんもラテン……このカタカナ3文字の定義っていうのがひじょうにフワフワしてますが、私は「ロマンス語圏の余波を受けた地理および国家」と定義してます。つまりスペインやフランスやイタリアに植民地化されかけた・された土地なので、イタリア語とかフランス語とかスペイン語とかの影響が残っている土地、遡ればラテンの語源に当然行き着いてしまう土地ということで、私はラテン系の人って呼んでますが。モナコの人であるエルザおよびユキエもラテンの人なので、まぁフラメンコ感は出るよねってこのイントロ聴いた時点で思いましたが。
 さらに加えてこのBメロね、ちょっと私のスピーカーが死んでる iPhone で流しますが、この『Forever Dream』アコースティック版のBメロ、ここです。まずギター聴いていただきたいんですけど、アルペジオで弾いてるこのフレーズね。掻き鳴らし感が抑えられているので、やっぱフラメンコ一辺倒で来てるわけではないんですよね、このアコースティック版は。このBメロでのギターの奏で方が非常に美しい、この「私でさえ」……と朗々と唄う感じの、一旦落ちるところがね、聴かせどころですよね。そこに合った、後に尾を引くこの分散和音がひじょうに効いてるわけですが、このねぇアコースティック版『Forever Dream』のBメロのアルペジオが、ベベウ・ジルベルトの『August Day Song』のイントロにそっくりなんですよ。はい聴いてきてください。


◎ベベウ・ジルベルトとエルザ フォルテ


 おかえりなさい。どうでしたかねぇ、「おお!」って思いましたかねぇ。っていうかエルザ フォルテとベベウ・ジルベルトの名前を並べた時点でもう解ってらっしゃる方……いないか。『スターズ!』全話観てモダンボサノヴァの音源も聴いてる人って0.0n%だって話になりますか? 居てほしいなと思いますが、まぁとりあえず私は居たわけですが。もっかいアコースティック版『Forever Dream』のBメロ聴いてみましょうか、こうです。このアルペジオね……
 さてベベウ・ジルベルトの『August Day Song』に変えてみましょう。カホン、このカホンがもうね……ここね、さっきのBメロ思い出してくださいね。
「同じじゃねーかよ!」って私は思ったわけですよ。2022年3月にとりあえず試聴動画が公式に出たんですよ、それでさっき述べたような反応を返したわけですよね私は、「おおフラメンコだぜ」っていうふうに。それでBメロに差し掛かってあのアルペジオが来た瞬間、「『August Day Song』だ!」って別の反応になったわけですよね。
 私あらかじめねぇ、この『アイカツスターズ!』2年目が放送されてた時点から、エルザ フォルテさんのある種のテーマソングとして『August Day Song』を結びつけてたんですよ。何故かといえば、このエルザさんの誕生日が8月1日なのね。言うまでもないですよね、『August Day Song』なので。私この『August Day Song』を初めて聴いたのが2016年の夏で、とある大学で何らかの資格を取得するための講習に従事してたんですよ、2ヶ月間。それでちょっと特殊な物件契約で間借りして、2016年の夏ですからまさに『アイカツスターズ!』1年目の……あの伝説の劇場版がかかってた時期ですよ。で、その最中に私も常にいろんな音楽聴きたいと思ってるから、ベベウ・ジルベルトの『Tanto Tempo』ってアルバムも、前もって TSUTAYA で借りてきてたのか、それ iPod に入れといて聴き直したんですが。『August Day Song』素晴らしいーと思いながら2016年8月、まさに聴いてたわけですよね。講習が休みの日にこの曲流しながら二度寝する感じとかね、良いもんでしたね。私、常に現在が最高だと思ってるから、今も本当に良い時代に生まれたなぁと思ってますが、2016年夏も今と変わらず良かったわけですな。あらかじめ出会ってたので『August Day Song』に。それで『アイカツスターズ!』2年目にエルザ フォルテさんていう物凄い名前の人が出てきて、8月1日生まれだっていうプロフィールがあって、当然結びつけますよね私は。「エルザさんには『August Day Song』合うなぁ」って結びつけますよね。それで私の楽しみとして iPod で『August Day Song』聴きながら、エルザさんがこの2年目の、もう凄まじいとしか言いようがない旅路で巡り会った色々を思い出しながら、こう胸を打たれるっていうのは、私の楽しみとして取っておけばいいだけの話だったわけですが……2022年3月末に出た『Forever Dream』アコースティック版のBメロが『August Day Song』まんまじゃないすかってことになって、またねーあの……これは私の予想が当たったとか、私の深読みが正しかったとか言いたいんじゃないんですよ、単にそうだった話なんですよ。エルザ フォルテさんの関連楽曲をアコースティックアレンジするならベベウになるよって、公式の方々も解ってらっしゃっただけの話で、単にそうであったと。 Run DMC 的に言えば “It’s like that, and that's the way it is” なわけですよ。「それはそれでそういうわけだった」というこの何も言ってないね、でも「それはそれでそういうわけだった」って事は真理なので。アコースティック版の編曲なさった方がどんなツイートとかしてらっしゃるのか私、検索もしてないので特に知る気もないんですが、でもそうよね、引かれあうよねっていう。なぜ引かれあうかって説明は今からしますが。


◎「偉大な母と娘」の関係、そして「8」の永遠性


 もう列挙したほうが早いですかね、言いますよ。この皆さん耳馴染みのない方でしょうね、エルザ フォルテさんも必ず知ってるとは限らないけど、ベベウ・ジルベルトさんにも説明が必要でしょうね。この方はジョアン・ジルベルトの血の繋がった娘で、アストラッド・ジルベルトの義理の娘に相当する人です。アストラッド・ジルベルトについては説明要らないですよね。ジョアン・ジルベルトが最初に結婚した人がこのアストラッドで、後にジョアンは Miúcha って方と結婚、アストラッドとは離婚したわけですよね……ちなみに改めて見たら、ジョアンっていうカタカナ表記で通ってるんですが、アルファベット表記見たら João なのでジョアンって呼んでいいのかな? っていう、このスペイン語に不案内な感じね……違うか、ポルトガル語か? いま一緒にやってるドラマーさんがスペイン語めっちゃできる人なんでその人に訊けばいいと思うんですが、ジョアンってポルトガル語なのかスペイン語なのかちょっとわかんないですが、とりあえずジョアン・ジルベルトの血の繋がった娘であり、アストラッドとは義理の娘に当たります、このベベウさんは。義理の娘っていうのも正しい表現なのかっていう……離婚したらそれきりではないかということもあるんですが、さすがにねぇこのジョアンとアストラッドの間にある紐帯っていうのは、引き裂き難いものがありまして、音楽史上レベルでね。とりあえずアストラッドの義理の娘としますが、その偉大なる母親アストラッドを父との関連で義理の母として持ってるわけですよね、このベベウは生まれた時から。偉大な母を同業者として……歌手ですよ、ベベウもアストラッドも。偉大な母を同業者として持っている、これまずベベウ・ジルベルトとエルザ フォルテの共通点のひとつです。エルザのほうはユキエ グレースでしたね。この人はモナコ王妃であり、かつアイドルであり、太陽ドレスの所持者であったというふうに本編ではなってます。偉大な母を同業者として持っている。そして言うまでもなく8月ですね。ベベウさんの誕生日は8月ではないはずですが、エルザ フォルテさんはさっき言ったように8月1日生まれなんですね。そして『August Day Song』を代表曲として持つベベウがいますね。
 この8っていう……8月っていうのが癖者でねぇ。『アイカツスターズ!』2年目本編の話に関わるからちょっと簡潔に済ませますけど、8っていう数字は自分のしっぽを咬んだ蛇の形であり、無限性・永遠性を象徴しますよね。 Slipknot のメンバーは全員自分のパーソナルナンバーを持つんですけど、コリィ・テイラーは加入したときに「絶対に8がいい」って主張したのね。「なぜなら8は永遠を意味する数字だからだ」ってコリィ・テイラー言ってるんですが。そういうふうに8= eternity と結びついているわけですよ。で、エルザさんの曲が『Forever Dream』なわけですよ。eternity を志向する人なのね、この人はあらかじめ。それが太陽ドレスへの渇望とつながっているわけですけども、これ2年目のね、『アイカツスターズ!』のえげつないとこ際限なく挙げられるんだけど、エルザさんの誕生日が8月1日じゃないですか。で、このエルザさんにほとんど唯一対抗できる存在として最後まで残るのが、1年目の主人公である虹野ゆめさんって人なんですけど。このねー、虹野ゆめさんの誕生日が何月何日であるかっていうことは……まだ全く『アイカツスターズ!』のことを知らない方は、全話観た後でとりあえず知ってください。あの、吐くと思うよ多分。私は吐きそうになりましたよ、この設定の意味に気づいたとき。「8が真っぷたつに裂かれてる! 永遠性が両断されてる!」っていうね、それと全く同じ展開になったでしょう2年目も。それ知った時ゾゾって……あの、こういうこと言うとアラン・ムーア『フロム・ヘル』の人みたいになっちゃうのであんまいけないんですけども、そういうとこまで拾っちゃえるんですよ。凄すぎるんですよちょっと『アイカツスターズ!』は。
 ベベウとエルザの話に戻しますね。そして今回の『August Day Song』に似てるっていう極めつけのやつが来ましたね。2022年3月末まで全く気づいてなかった、しかし公式的には「当然こういうことになるでしょう」っていうの出されて「はいそうです」って私も言うしかなかった。なのであの私もね、こういう風にいろいろ『アイカツスターズ!』の物凄さについてリアルタイムでブログ書いてましたし、今でもことあるごとに強調してますけど、何よりもね本編が凄すぎるから、さすがにあれは。私が音楽理論とか歌詞論とかシリーズ構成分析とかについて詳らかにした記事はありますけど、そんなもんはねぇ100話全部観れば解っちゃうんですよ。「とんでもないものが来たなぁ」って皆さん今からでも思いますよ。なのでこういう後付けの褒め称えみたいなのは本編と比べればどうでもよいことなんですが、それにしてもベベウ・ジルベルトとエルザ フォルテさんの、私がうっすら気づいていたこの組み合わせにお墨付きとは言わないが、「当然そういうことでしょう」というふうに、アコースティック版の内容が念押しするものになっていたので非常にびっくりしたし。で、この『Resound Stars!』ってアルバムがサブスプリクションに来たのが最近なので、私も全曲「すごい出来だなぁ」と思いながら聴いてましたが。特にやっぱりこの『Forever Dream』について話しておきたいなと思って今回特集やりましたが。
 あの『裸足のルネサンス』っていう、エルザ様に傅く騎士、言うまでもなく Amour Courtois, 宮廷愛的な存在であり……私ことあるごとに強調してますよね、セルバンテスが『ドン・キホーテ』でパロディした Amour Courtois, 宮廷愛っていうのはアラビア由来であり、フランスの南の方であり、スペインのほうに根付いた、ゲルマン的なマッチョイズムとは全く関係ない女性上位の騎士の世界だって話はしましたね。騎咲レイって人はもうそんなことね、一言の説明も要らないくらい、もう生き方で証明しちゃってる人で。その人に付いた『裸足のルネサンス』っていう曲があるんですが、その曲のサビがアレクサンドル・デュマの『三銃士』、ダルタニャン物語の一番有名なフレーズからの引用であるっていうね。デュマって黒人ですよねー。南のヨーロッパはイスラーム圏であり、今みんなが思っているような西欧帝国主義に漂白された世界ではなかったんだよってことをね、『裸足のルネサンス』ひとつで気づいちゃえるから怖いぜ。子供たちがこんなことに気づいて育っちゃうんだからもうどうなっちゃうのかって思いますが、『裸足のルネサンス』の編曲はそんな南欧感は無いっていうか、あんまりフラメンコ感も無いんですが、すごく良い曲です。なんたってダルタニャンですからね。


◎母乳が出そうになった


 それで、エルザ様の辿ってきた話もしますかね。この「偉大な母を同業者として持つ」っていう共通点挙げましたけど、やっぱねー歌をやってるわけで、親の七光りとか無神経な言葉をぶつけられてしまう可能性もあるわけですよ。実際に七光り野郎は居るからね、世の中には。自分の偉大な母と同じ仕事をして、それで別の存在になって・別の超え方をしなきゃいけないわけですね、ベベウもエルザも。このねー、さっきスティーヴン・デッダラスに似たところがあるって言いましたが、幼いところがある人でね……ものすごく眼が視えてるのにそんな肝心のところを見落としてしまっている、特に第60話は観るたびにやばいですが。「この人気づいてない、真顔でこんなこと言ってる」っていう……気になったら私のブログ記事でも読んでいただきたいですが、非常に危ういところがある人でね、このエルザさんは。そしてユキエ グレース=お母さんはさすがにモナコの公務があるから、ちょっと忙しすぎて娘にはかまってあげられないみたいなお母さんで、仕方ないんですけどね。それで2年目の後半でいろいろ起こるわけですが……そのエルザ様の危うい姿を、こんな才気煥発の人であるのにもかかわらず、自分の身近なところではいろいろ見落としているっていう、この危うさを見せられながらね、私はもうねぇ母乳が出るかと思いましたね。「母乳が出るかと思った」っていうのはジョン・カーニー監督の Amazon でやってるはずの『Modern Love』っていうドラマシリーズの中のアフロアメリカンのゲイの方が言うんですけど、そのスクリーンショット私持ってるはずなんですけど、「母乳が出るかと思った」っていうね。私も同じこと思いました、エルザを見ながらね。「あぁもうエルザぁそんな危ないところに行っちゃダメよぉ」とか思いながらね、母乳が出まくってて、心の搾乳器がすごいことになってしまったわけですが。そんな彼女がどのようにして落着を、ひとつの青春の終わりを迎えるかってことに関しては、ぜひ皆さん本編を観て・もしくは観返してくださいね。白鳥ひめがえげつなすぎるっていう話に結局はなると思いますが。

『モダン・ラブ』シーズン1エピソード7「僕らが見つけた家族のカタチ」より
©️ 2019 Amazon Studios

 で、2018年3月末に放送が終了した(1年と4ヶ月)後、私は『χορός』っていう小説を始めて、その後 Parvāne っていう現在続けている音楽プロジェクトも始めることになったわけですが。差し出がましい言い方かもしれないですが、『χορός』っていう64万字の小説と・現在やってる Parvāne という音楽プロジェクトのふたつは、『アイカツスターズ!』を超えたとは言わないまでも、匹敵するとこまでいけたと思います。だってそこまでいけないと失礼でしょう。『アイカツスターズ!』に影響受けたって言うんならそれぐらいのもの作らないと失礼なので、エルザ様がそういう人なので。「あなたモデルとして最低よ」とか普通に言ってくる人なんで、それに負けないように私も頑張って小説と音楽プロジェクトを立ち上げましたが、で、現在も続けてるわけですがね。


◎ブラジルはゲイ(スペインもゲイ)


 ベベウ・ジルベルトの国籍、アメリカってことでいいのか? いやニューヨーク生まれで、リオデジャネイロ中心に活動ってことかなぁ。このブラジルっていう国がね、非常に癖者で。まぁ西欧帝国主義の悪しき行いに加担してしまった側、ポルトガルとスペインですが。このねー、ボサノヴァって音楽も非常に複雑で。「カフェでかかってるやつでしょ」ってバサッと一刀両断してしまえるような感じではないんですよね、ちょっと頭のイカれた人たちがやってる音楽なんですよ。『Getz / Gilberto』って……この2つの名前ほんとにねぇ、狂人ふたりがよく組んだわって思うんですけども。スタン・ゲッツのヤバい話とかしませんよ、面白すぎるから、ちょっと思い出しただけで笑えてきちゃったから、スタン・ゲッツのヤバい話とかは本読んだり検索したりしてくださいね。で、そのブラジル音楽として20世紀の音楽史上に名を残したボサノヴァ=ニューウェーヴと同じ意味、ポルトガル語だと思いますが。ブラジルっていうのも非常に不思議な国で。ブラジルのキリスト教も植民地支配も人種的なバランスも、ちょっといろいろ絡み合いすぎてて不思議なんですよね。それが Angra っていうブラジル出身のヘヴィメタルバンドの、初期の「大航海時代万歳」みたいな曲が徐々に変わって、西欧の十字軍的な文化支配を糾弾していくようなアルバムを作っていくようになるわけですね。『Temple of Shadows』ってアルバムがそうですが、そのことについても私一回ブログで書きましたけどね、そういうふうに音楽にも表れてくるわけですね。
 で、私みたいな者からすれば、「ブラジルはゲイ」っていう。わかりますかね、「ブラジルはゲイ」ってことになってるんですが。90年代にジョージ・マイケルが出した『Older』というあの素晴らしいアルバム、ブラジルで出会った同性の恋人との死別を経て、ものすごく傷ついたジョージ・マイケルがボサノヴァに取材して作り上げたあのアルバム、私のオールタイムベストの中のひとつですが。そういうジョージ・マイケルの『Older』や王家衛の『ブエノスアイレス』って映画をこよなく愛する私からすれば、「ブラジルはゲイ」ってことになってるわけですね、文化的に。

〔註:ここで評者は、あたかもブエノスアイレスがブラジルの富裕都市のひとつであるかのように語っている。もちろんブエノスアイレスはアルゼンチン共和国の首都であり、そこでの公用語はポルトガル語でなくスペイン語である。このあたりに評者のフワッとした中南米観が表出している。〕

 そうですね、スペインもゲイですね。スペインのゲイ性についてはガルシア・ロルカとかリッキー・マーティンとかいろいろ思い出して納得してくださいね。そしてスペインっていうのはイスラーム圏の一部で、その中でもとりわけゲイ感が強いですね。マグリブとかペルシアとかと比べてもだいぶゲイ感が強いですから。「ブラジルはゲイだし、スペインもゲイ」っていうこのフレーズをとりあえず皆さん持ち帰って、何かしらに活かしてもらえればいいわけですが。
 この『August Day Song』と『Forever Dream』って2曲はどちらも同じ調なのね。厳密に言えば『August Day Song』はEマイナーキーで『Forever Dream』はGメジャーなんですが、このふたつの調は並行調といいまして、どちらも同じ7音で構成されてる・始まり方が違うだけ。CイオニアンとAエオリアンの違い、モードで説明すればそうなりますが。同じ7音で構成されているので同じ調だと判断してしまっていいです。で、『August Day Song』のイントロと『Forever Dream』のBメロがほとんど同じアルペジオ。私、さっき思いついて今回この話しようって思っただけなんで、チェーンが外れて横槍が入りましたが、その横槍さえも「エーィ」ってなりましたが、厳密なアナリーゼをする時間もなかったしさ。コード進行まで同じなのかってとこまでは具体的に検証してませんが、私が耳で聴いたうえでは、もう明らかに『Forever Dream』アコースティック版の編曲なさった方は、絶対に『August Day Song』を前提にしてらっしゃるんですよ。それで出来たアレンジです、確実に。別に確かめようとかインタビューしようとかは思いませんが。このようにして、私が今回述べたような共通点を沢山あらかじめ持っていたベベウ・ジルベルトとエルザ フォルテさんっていう、このふたりの人生が音楽上で交差する瞬間が訪れたことに関する特集なんですね。それに関して言及してるわけです。


◎サゲ(混ぜて喰いましょう)


 あの、アニメのファンの方には特にありがちなんだけど、「片方だけ喰いすぎ」っていうか、「1つのものを1つのものとして崇拝しすぎ」っていうのがあると思ってて、私はそれがすごく良くないと思うわけですね。混ぜて喰ったほうがいいと思ってます。なぜ? って言われても……なぜも何もなく、音楽や文化はすべて混ざり合って出来てるので、「こういう風に混ざってる!」っていうのを、普通に踊ったり嗅いだり聴いたりしながら解ったほうがいいに決まってるんですが、あんまりこういうこと言っても解られないんですが、まぁ知ったこっちゃないと思うわけですが。1つのことに関して1つの崇拝を、モノラルの情熱をね、モノラルのエモを垂れ流して事足れりとしてる人たちがちょっと多くて良くないと思うので、双子座生まれの私としてはいろんなものが混ざっていて、いろんなものが揃っていて、複数の物事がこういう風に絡み合っている、生きているとこういうことがあるよなー面白い、ってふうになってアガるわけです、双子座生まれの私としては。ガルシア・ロルカと誕生日同じなんで、私はこういう南欧性についても敏感になってしまうわけですよね。
『アイカツスターズ!』最高っていうのはもちろん私だって思ってますよ。そしてこのベベウ・ジルベルトだって素晴らしいミュージシャンだなぁって思ってますよ。このふたつを交錯させるっていうのができたら世界はもっと素晴らしくなるし、ボサノヴァのファンとか女児向けアイドルアニメのファンとか、交わりそうにもない2点をサクサクと交錯させればもっといろんな楽しいことが生まれると思うので。私はそういう、合わせて喰う楽しみ方を奨励していきますし、そもそもそういう生き方しかできません。今回の特集もその一環です。

 今回私がしたこの辺の、ベベウとエルザの話は、実は前もってしてたんですよね。私2017年の夏に Twitter のアカウントを消して、「もうこんなところに留まること自体がバカの行いだ」っていう完全に正しい選択をして、その正しさがいま刻々と証明されているわけなんで、やめたんですが。さすがに Twitter にもバカばっかりいるわけじゃないから、その中で知り合った、特に映画や文学や、その方ゲーム制作関連に興味を抱いていらっしゃる方だと思うんですが、そういう人がいて、その人と個人的なメール(ツイートなんかじゃないですよ)でいろいろ文通があったわけですよ。その人も『アイカツスターズ!』に深甚な影響を受けた方だったので、私が文通の中で2018年8月31日の時点で送った履歴があるんですね。その中でベベウとエルザとそして『August Day Song』の件について書いていた履歴を、いま Evernote の中に確認しました。そんなことを思ってたら、公式のアコースティック版で「そういうことですよ」って念押しされてしまうので面白いですよね。
 ちなみにその、私の文通相手の方っていうのは本当にね、聡明そのもののような方で。たとえば映画についての感想、(その人いまでもTwitterやってらっしゃるから)誰でも映画の感想書くでしょう。それに関してもその方はね、今ヒステリー的にさぁ崇拝されるっていうか、褒めるのも貶すのもヒステリーになってるじゃん、 Twitter 上の映画感想の言論って? そのどちらでもない、「ここまではいいけどここは明らかに失調してますよね」っていう風な分析を、その方 Pixiv のページでだったと思うんですけど、展開してらっしゃるんですよ。映画評ひとつとっても非常に明晰な方なんですよ。そういう方があの、なんかゲーム制作の現場にもし何か積極的に携われてないのだとしたら、それちょっと日本の業界はどうなってんだって話になってくるので、まぁ今ね、私がその方の名前挙げたとしても、逆に失礼になっちゃうかもしれないので伏せたままにしますが。私は自分の好きなように音楽作って過去に小説書いただけの人なのでいいんですが、その方みたいな非常に明晰な才能を持ってらっしゃる方がねぇ、何かメジャーな現場でその才覚活かせないのだとしたらそれ何なんだと思うので、ちょっとね、この非常に遠回しなシャウトアウトをしておこうと思いますが。その方との応対の中で、『アイカツスターズ!』とか続く『アイカツフレンズ!』の話とかしてる中でね、『August Day Song』の名前も出したわけですが、今回このように『Resound Stars!』の音源を交えて言及することにもなりました。こういうことがあります。皆さんもいろんなものを混ぜて喰いましょうね。

 はい、そんな感じかな。私から接続できることがあるとすれば、『アイカツスターズ!』をまだご存じない方は是非いろんな方法でご覧になってください、全話ね。凄まじい体験になりますから。そして何かいろいろ感想があったとしたらこれラジオなので、コメントですとかメール機能だとか使って寄せてくださいね。いろいろ混ぜて喰いましょう。そのことに気づいていくうちに、実はあなた自身の存在も混ざっていたのだ、ということがお解りいただけると思います。じゃあ今回の特集以上でした。またね。



付録:

上述の文通相手との往復で評者側が書き送ったエルザ フォルテ関連の文〔2018 7/18〕

 当時の私は、エルザビーフの「自分の名前が刻印された肉を皆で共食する」という絵面のインパクトに圧倒されて「なんてことだ、これはほとんどロシア正教だ、ラテンの人なのに」と呻くくらいしかできなかったのですが、『スターズ!』全話をあらためて観直してようやく気づきました。かつて「母のように」なりたいと欲望していたエルザの喪の作業がこのシーンで行われていたのだと。
 
 喪の作業という言葉は、通俗化されすぎたきらいがあってあまり使いたくはないのですが、このシーンについては他に思いつかないほど本質を衝いている言葉なので使うことにします。
『神域にあろうと』のRESPECT8-10で詳しく書きましたが、「母のように」なりたいエルザの欲望は「階梯の踏み越え(母と娘、というカテゴリーの消失)」を意味していたのであって、オイディプスであると同時にナルシスの狂気にまつわるものでもありました。ここでラカンを云々するようなタマキンみたいなことはしたくないのですべて省略しますが、「母のように」なりたいエルザは鏡に映った自分の姿(AS!ep78の回想シーン)が自分ではないことも知らなかったし、かつての母の姿が自分のものになり得ないことも知らなかった、幾重にも入り組んだ無知を抱えていました(実際、エルザがAS!ep86で手にした太陽ドレスがかつての母のものとは異なる意匠だった以上、自分は「母のように」はなれていない。し、異なる意匠の太陽ドレスが複数存在するなら、虹野も太陽ドレスを獲得する可能性は十分にある。このことに全く気づいていないエルザの盲目性が容赦無く突きつけられていたのがAS!ep86のラストでもあったのです)。ナルシスが水面に映えた美貌が自分自身の姿であることを知らなかった(し、その鏡像は左右逆層なので本当は自分自身の姿ですらないことも知らなかった)、決定的な無知によって入水してしまったように、「母のように」なりたいエルザがその欲望を成就させてしまった場合、そこから出来するのは「もはや自分と自分が欲望するもの(=母親)との区別がつかない」発狂状態だけだったはずです。エルザがこっそりエルザビーフを生産していたというのは、「もしかしたら引退したあと畜産業でもやるつもりだったのかな」と少し笑ってしまいそうになりますが、しかし「母のように」なる過程が発狂の階梯でしかなかった以上、引退後の余生など彼女には残されていなかったでしょう。よって虹野に敗北して「母のように」なりたい欲望を断念することはエルザにとって生死の分かれ目だったのであり、それを執行されて初めて生身の人間として生きることができたのです。

(実際、今回全話を観直して初めて気づいたのですが、AS!ep96でのフォルテ母娘対面シーンではエルザの死が映像文法として明確に描かれていました。ユキエが花束を持って会いにくるのですが、これを手渡すかと思ったら放り投げてエルザを抱きしめるのですね。母娘の周りには花弁が散らばります。文字通り「散華」です。『The only sun light』のステージセットに蓮の華のようなものが回っているなとは思っていましたが、まさかこういうやりかたで1人の人間の死を描いてしまうとは……『アイカツスターズ!』には「この映像コードでこれだけエグいことをやるには」の智慧が無限に散りばめられていますが、この「散華」は特に物凄い描写のひとつです。)

 そして、ここで初めてエルザビーフの共食が意味を持ちはじめますね。あらゆる意味で「最後の晩餐」の具となるようつくってきたものですから、これをおとなしく食べるというのは、とても難しいことのはずです。この難しさはとてつもないものです。難しいに違いありません。先ほどちょっと書いたように、「自分の名前が刻印された肉を皆で共食する」のはロシア正教の聖体拝領を思わせ、もう聖なる・神的な・全能な存在ではなくなった自分自身を受け入れる、喪の作業でもあったのですから。しかしここに捻りがあります。聖体拝領で肉を食べるのは信徒たちであって、キリストは肉そのものであるはずです。AS!ep97でのエルザビーフ共食は、無理やり聖体拝領になぞらえるなら「キリストが復活したあと、救い主とかではなくただの人間としてあらわれて、信徒たちと一緒に肉を食う」みたいなことになってしまいます。キリストがそんなことしますか? 「自分は神の子ではありませんでした」と言うためにわざわざ自分の肉を共食するなんてこと? この難しさはとてつもないものですよ。かつての自分自身の欲望を否定しつつ、しかしそれでも人間として群れを率いる役目を受け入れるというのは。
 
 これはある意味で、ナルシス的全能にあったエルザから人間エルザを分娩する過程でもあります。生身の人間として分娩されてはじめてエルザは自分の身体[corpus: 身体・共同体]を持ちうるようになった。AS!ep97では白鳥が「ハァーイ」と船内に侵入してくるシーンもありますが、ここでの白鳥の訪問は「ここはもうあなただけの場所じゃない」ことを告げる、受胎告知のような意味合いもあったのだと思います(白鳥はAS!ep51で「あなたと同じ船には乗れない」と断っているので、彼女がAS!ep97でVAに乗り込むことは「ここはもうあなただけの場所じゃない」ことをエルザに念押しする意味を持ちます)。白鳥はエルザとポーカーを遊んでもいますが、ここでポーカーという模擬的な闘いを通してエルザを敗北から立ち直らせる、リハビリの役目もさりげなく果たしています。かつて自分自身と虹野を医[いや]した人ならではの面目です。「患者にとってもっとも助けになるのは、みずから自身を癒した者をその目で見ることだ」の言葉どおりです。そう、ここで行われているのは医術です。「藝術は長く、人生は短い」という言葉は医学の祖とされるヒポクラテスに帰されており、この藝術とは端的に医術のことです。『アイカツスターズ!』は、歌や劇や美や舞などの藝術も直接医[いや]しにかかわることから目を背けなかった。それについては『幻聴試論』で書きましたが、2年目ではついに「藝術」を「分娩と葬礼」の領域にまで押し広げた。その過程が容赦無く描かれていたのがエルザの欲望の挫折だったのです。

 もう、ここで、ひとつ大きく詠嘆することが許されるでしょう。なんと、なんと勇敢な作品か。自己啓発だの癒しだの、もし自分が傷を負っているとしてなぜ・どこに傷があるのか考えることすらできなくなってしまった、目的や嗜癖として自分の傷に中毒している人々の退行ぶりを尻目に、ここまで「藝術」の政治性に寄り添い続けた作品があったとは。『アイカツスターズ!』から持ち帰るべき最大の収穫物はここにあります。「藝術」は人間の生き死ににかかわるものであって、単にきれいなだけの高級品や気持ちいいだけの嗜好品では断じてない。分娩や葬礼もふくめた、人間が生き永らえるために絞られるべき智慧の総称が「藝術」であり、それは人為的に造られ続けなければならない。その「藝術」を担うための人間生産をふたつのトライブで描き続けた『アイカツスターズ!』という作品があった。なんと、なんと勇敢な試みであったことか。

「分娩と葬礼」、これは「歌と踊り」と同じで、最も古くて根本的な「藝術」であり、絶対に消滅しないカップルです。これから私は、「藝術」を自称しながら歌も踊りも分娩も葬礼もなにひとつ担っていないような、気取り散らかした、痩せっぽちの、テクノロジーにあぐらをかいた体力不足の作品たちを前にしたら、片っ端から無価値と決めつけようと思います。我々は「病気の部分を探求する」「傷つけられた外科医」でなくてはなりません。実際、Twitterをやめたあとでも〔相手〕さんと〔また別の相手〕さんに連絡を取り続けている理由は、死のなかに「藝術」を見出す技巧を持っていると思ったからです。他の有象無象、Twitterやってる間に知り合ったそこそこ有名でしかし内輪受けの目配りばかり気にしているようなどうでもいい人たちのことはすっかり忘れてしまいました。私は『アイカツ!』がらみの同人イベントに2度ほど参加したことがありますが、ああいう場所に集まるのは、エルザのような人間的な盲目すら持っていない、「ぼくは絵が描けるし漫画も描けるしデザインもできるし曲も作れるし文も書ける、そんな友達がいっぱいいる、とーってもクリエイティブな人間なんだ」みたいなヌルい全能感に淫しているような輩ばかりですよ。自分自身もそういう巷に入り浸ってしまっていたので、とても反省していますけど。

 全能感を捨てるってことですね。〔相手〕さんは絵を描かれるので身に染みて実感されていると思いますが、自分の頭の中にあるものをなんとかして手を尽くして彫り出す、その過程で全能感が失われる瞬間が確実にありますよね。これは中井久夫さんが『執筆過程の生理学』でものすごく見事に描き出していることですが、音楽にだってあります。優れたドキュメンタリー作品を観ていると、ミュージシャンがトラックを製作する過程で「うん、じゃあ、よし、これでいきます」と無限の可能性を削ぎ落としていく過程がかならず映し出されています。その削ぎ落としに耐えられる人間ってやっぱり強いんですよ。
 そして『アイカツスターズ!』もそういう作品になっている。虹野やエルザは言うに及ばず、如月ツバサが歌か劇かの分岐路で劇を選ぶ(AS!ep62)、あの自分の将来の可能性をひとつ削ぎ落とす瞬間。自分の能力が有限であることを受け入れる、全能(中井久夫さんが好む用語なら「デーモン」)であることを諦める瞬間。これはある意味で「人間であることの病い」からの医[いや]しでもあります。この瞬間に耐えることができない、自分が属する内輪のサークルの全能感で権力欲を満たしているような輩からは、注意深く遠ざかるべきでしょう。「孤独をおそれない女の子がいる」。有限を受け入れつつ自分の仕事を黙々と続けることと、無限に誰かと繋がって全能であり続けたいと欲望することは、全く別のことです。


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