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当事者意識とノートパソコン

今回のお話はフィクション(創作)です。


同僚が当事者意識とノートパソコンを持てと言われていた。
ノートパソコンは実際に持たされていた。

当事者意識を持て。とは、何とも論理矛盾をはらんだ指示ではありますが、興味深くもあり、私の仕事にも関係するので、さりげなくしっかりと聞き耳を立てて聞きいてみた。
聞けばその同僚から上司に対して、主体的に提案や改善の報告をなされたことが一度もない。
なので、今回求人案件に対して上司が仕事の指示をするので、それを自分で進めていけ。求人を探して、費用と特性と掲載期間等々を調べて、担当と打ち合わせをして、まとまったものを上司のところに持ってこい、と。

それをするためには、ノートパソコンが必要だろうから、とノートパソコンを支給されていた。

今まで、仕事上ノートパソコンを使ってもいなかった。
「当事者意識を持て」と言われる。
その心は、、、

ただ持ってたって意味ないよね。

そんな気持ちをグッと抑えて、ドカンと一発...…
ではなく、同僚から「求人探すのってどうやってたんですか?」
との質問に、とりあえずの初動を説明する私。

まず、募集する対象がどういうカテゴリーなのか確認する必要があります。アルバイトなのか社員なのか、ランチなのかディナーなのか。
採用人数は?いつまでに採用が必要なのか?
そして掲載費用の予算はいくらくらい検討できるのか。
その後、採用媒体を検討します。比較表を作成して私はだいたい5媒体を検討対象にしました。費用・期間・その媒体の特性・登録者数etc…
そこから「これがいいな」と思う2媒体の担当の方と打ち合わせをして詳しい話を聞いて、見積もりを取り、上司にプレゼンしましたよ。

そう、これが出来るツールが「ノートパソコン」
(詳しく考えると違うけどな)

ノートパソコンでできることは、「考える」ことと「情報を作ること」

まず【考えること】とは。
人間の頭のなかの、考えている道筋を置いておけるスペースがある。
(物理的にも機能的にも)

例えば、求人の件で言えば、
確認することを箇条書き。
検索をかけた際に、いいなと思った媒体を箇条書き。
TODOリストを作って、打ち合わせまでスケジューリング。

・比較する
・工夫する
・しらべる

頭の中で行っていることを、文字に起こして取って置ける。
(そして、他の人とそのものを共有することができる)

そして大事なのは、それを確認しながら行動に移すことができる。
もちろん「メモを取る」という方法でも同じことは可能ではあるが、
比較すると、さばける情報量が圧倒的に異なる。

そしてこれが重要なこと。
【情報を作ることができる】
採用媒体を比較する際に、「比較表」を作成した。
そうすれば視覚的に、一目で分かる。
この媒体が一番高い。
この媒体が期間が長い。
この媒体の特徴はこうだ。

頭のなかだけでは比べることが難しいことを、「比較」することができる。
もちろん、他の人と共有できる。

なんかめちゃくちゃ当たり前で、基礎的なことを思ってしまった。
ノートパソコンとはただのツールであり、ワークスペース。
それになにを載せるのか、が人の能力であり価値。
その情報を元に、どういう決断をしてどういう行動に移すか。
それが人の能力であり価値。

同僚は私の初動のアドバイスなど無視して、いきなり求人媒体をネットで
検索し、担当にアポを入れ打ち合わせをしていた。

私が今まで、求人媒体を選定し、担当と打ち合わせをし、時には交渉して
求人費を下げてもらい、求人票の内容を書き、応募者に対応して、面接日も設定し採用出来たら制服などの手配のために、社内関係者に共有連絡し、
初日のオリエンに時間を割き、定着までの教育を勤める。

そういうノウハウも共有できるツールが、ノートパソコンがあれば使えるのに、流れるようなスルー。そして媒体比較表だけはちゃっかり使ってる。
同僚にとっては、媒体比較表だけはワークスペースに載せる価値があると
思ったんだろう。どうもありがとう。

しかし、私が今まで培った求人ノウハウから考えれば、次の施策は、
新しい求人媒体を探す、ではなく、「求人票の内容を精査する」
になるけどな。

8週間、求人を出して応募が1件。
担当の方に聞いたアベレージからは、平均かちょっと低め。
であれば他の店舗の求人票の内容と比較し、待遇系・やりがい系で、
自店舗でアピールできるポイントを洗いなおして、作成しなおす。
が、次打つ一手としては正解なのではないかな?

そんなことを考えている横で、せっせとアポを取る同僚。
上司から言われた指示通りに、「自主的に」仕事を進めていく。

当事者意識ってなんなんだろうね?

私は、上司からなにも指示はなかった。
明らかに〇月に人手不足が起きるのに、求人対応もおろそかだったのに、
上司も誰もなにも動かないから、致し方なしに動いたのだ。
上司からの指示などない。
自分を含める現場の毎日の営業が辛くなるのが目に見えているから動いたのだ。
自分のためでもあるし、お店のためにもなる。
だったら上司も聞く耳を持つよね。お仕事としても自分のリソースを使ってもいいだろう。

これが、当事者意識じゃなくてなんなんだろう。
持ってない方が指導されるのは分かるけど、持ってる方にはなにもないんだ。

持っているのが当たり前なのが当事者意識、なのかもしれない。
上司も誰もなにも動かないけど、もしかしたらみんな当たり前に持っているのかも、当事者意識。
まじ「意識」って持っていてもなんにもならないな。

意識を持っているなんて、他人から見たら分からないこと。
「当事者意識」なんてその最たるもの。(だって当事者しか関係ないじゃん)

なにかなるのは「行動」だ。

例えば、その場に居合わせた時、一緒になにかを行ったり、
状況に応じて行動すること。
適切に行動できればいいことかもしれないが、それはその物事に対して
「当事者意識」を持っているからできるのか?
持っていなくてもできるよ。なぜならそれは"反射神経"だからだ。
電車の中で、突然人が倒れたらどうする?
駆け寄るか、非常停止ボタンを押すか、なにかしようと思うだろう。
「行動」にもいろんな種類がある。

「当事者意識」を持っている行動とはなにか?

それは、「未来のために行動できること」だ。

いま目の前に起こっていることに対応する事でもなく。
もちろん、指示通りに"自主的に"動くことでもない。

いま、自分が立っているところから見えることをもとに、
望む未来に向かうには、今どう行動すればいいか考えて行動することだ。
その行動が、ある組織の関係者にとって、関係がめちゃあれば、
(めちゃあるな~と思われれば)「当事者意識」がある。

その行動が、関係ない(関係なさそうと思われ)れば、「勝手な行動」に
なるんだ。

発酵に対しての、「発酵」と「腐敗」の関係だね!

そうでも、やっぱりそういう「当事者意識」って実体はない。
その「当事者意識」という言葉自体がおかしいもん。
当事者だったら「当事者意識を持っている」とは言わないもん。

もし、その「当事者意識がある行動」と「勝手な行動」を、行った際に、
その行動の結果の責任を取るのが、組織的に行動を取った人ではなかったら。
行動は一緒でも、やっぱりどちらも構造的に「勝手な行動」だ。

その組織にとって、めっちゃ関係があって有益な行動をとらせたいなら、「当事者意識を持て」なんて勝手なこと言わずに、「責任者」にしろ。
構造上、それが一番適切だ。

責任には、権限と報酬がともなう。
「当事者意識を持て」なんて言われても、行動はともなわない。
だって責任にともなう権限も報酬もないから。

だから、「当事者意識」だけ持っています。
って言っておけば良くなる。

ちゃんと気づいてました。
そう思ってました。
未来にたどり着いて、結果が見えた時にそう言っておけばそれでいいのだ。
そのたどり着いた未来に反射神経を使って対応しておけばいいのだ。

私はノートパソコンを持っている。
与えられたものではなく、自分で手に入れた。
それを使ってワークスペースに、未来の予定をいっぱい書き込む。
これがどうなるか分からない。
予定通りに進んでも、進まなくても、軌道修正して行動していく。
なんせ当事者だからだ。
予定通りに進まないのは、何が起こるか行動しないと分からないからだ。
なんせ"未来"は、「未だ来ず」と書くからな。

その責任はちゃんと自分で取る。


今回のお話はフィクション(創作)です。

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