4、投機的な決断の絶対について

サキエの出演箇所以外、全てカットするという芳子の決断は、案の定、
強烈な反対をもって迎えられた。
全員がそれぞれに真剣に稽古に望んできたのだから、当然である。

それに対し、芳子は完全なる黙殺をもって応じた。
台本はまず、冒頭の部分をわずかに書き改められた。
ついで、設定にも若干の修正があった。
物語の舞台は特に言及されていなかったが、今回新たに1937年の南京とされ、
凌辱された女(サキエの演ずる役である)が登場するところから物語が始まる。
他の役者の出番は全てカットされ、サキエのセリフが大幅に増加された。

壊乱された衣装はもう一度ゴミ袋から取り出され、
どうしても露出に問題があるところだけが補修された。
こうして、ボロボロの衣装を身に纏うサキエは、
南京虐殺の被害者として新たな役作りを始めることとなった。

演劇部の部員の中で、特に舞台上で演技する俳優たちは、
日頃から贔屓にされているサキエが衣装壊乱の憂き目にあい、
内心ザマミロと思っていたところだったので、この展開には穏やかならざる心境であった。
裏で芳子を罵るのはまだ良い方で、
人目も憚らずおおっぴらに芳子を批判するものが拍手喝采をもって迎えられるというのが
この時の演劇部の大勢であった。

だが、中にはこの非常時に新しく自分の仕事を見つける役者もおり、
裏方の部員とともにこの難局を乗り切るべく芳子に命を捧げる覚悟をしていた。
芳子に忠誠を誓っていたのは主にサキエと同じ1年生であり、
たとえ役を外されても、自分たちに変わってサキエが頑張ってくれると信じ、
健気な奉公に身を投じていた。

サキエはサキエで、舞台を枕に討死の覚悟である。
他の者に比べ、舞台経験が遥かに豊かであるとはいえ、
本番一週間前に2時間の芝居を丸々一人でこなさなければならなくなるのは初めてだ。
だが、これこそ芳子が自分を信じ、与えてくれたチャンスでもある。
これまでのどの舞台よりも大舞台となる予感に、サキエの体に熱い闘志が漲った。

ところで、読者諸氏は筆者が「投機的な」という文言を用いたのをご記憶だろうか?
これこそが、芳子をして大反対を恐れず決断せしめたメンタリティなのである。

全てが明らかになった現在から、当時を振り返れば、
この時の芳子の決断が間違っていなかったことを我々は知っている。
芳子は、未来を予測していたのだろうか?

この一週間、芳子は恐怖に打ち震えていた。
何しろ、結果いかんによっては、大嘘つきの謗りは免れ得ないのだから。
彼女にしてみれば、この時点ではまだ身の破滅は全然あり得たのである。

さて、読者は、芳子の決断の成否が結果によって左右されると考えておられるか?
公演の失敗は芳子の決断が間違っていたことの証明になる、と?
なるほど、確かに、指導者たるもの、結果に責任を負わねばならぬ。
この時点ではまだ、決断の成否は明らかになっていない。

にも関わらず、芳子の決断にはある種の清々しさがある。
たとえ最悪の結果に終ろうとも、決断そのものに何か捨てきれない美しさがある。
いわばそれは、絶対的な清々しさとでもいうべき美しさである。

ここではただ、芳子の投機的な決断が、
演技によって真実に至る一つのヒントとなっている、とだけ指摘し、この節を終ろう。

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