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第3回「105号室」

郵便受けを開けると一枚の真っ白い紙が入っていた。
信じられないくらい薄手のA4用紙を二つ折りにしたそれには、中央揃えのタイトル部分に「室内リノヴェーション工事のお知らせ」と赤字で書かれていた。
内容に目を通すと、自分が住んでいるアパートの一室で工事が行われるため、Chu!搬入搬出ごめん♪音騒がしくしちゃってごめん♪、ということが簡潔にまとめられている。

まず、「ヴェ」が気になった。
この文書内容を考えた人は、きっとヴィレッジヴァンガードを省略するとき「ビレバン」とは書かないだろう。ちゃんと「ヴィレヴァン」と書く。
昔から気になっていたのだ、ヴィレッジヴァンガードのことを「ビレバン」もしくは「ヴィレバン」と表記する人の存在が。
略さないときは正しく「ヴィレッジヴァンガード」なのに、「ッジ」と「ガード」を削るとなぜ「ビ」と「バ」が現れるのだろうか。「ヴィ」と「ヴァ」はどこへ消えた。捜索願を出せ。そして、なぜか「ビレヴァン」はあまり見かけない。一体なんなのだ、この勢力分布は。
ちなみにヴィレッジヴァンガードのオタクたちは「V/V」表記を使用します。

いやいや、わかる。わかるよ。
だって発音するとき「ヴィレヴァン」なんて言ってないもんね。確実に「ビレバン」って口にしてる。ワンチャン、「ヴィレバン」もあるよ。
「幸せになりたい」は「しやわせになりたい」と歌うもんね。

そこまで考えて、はて、リノヴェーションは正しい表記なのだろうか?という疑問がちらつく。ちゃんと発音すると、リノベーションではなくリノヴェーションになるのだろうか。わたし、気になります。
「デジャブとデジャヴとデジャビュはどうなるんだ」論争はあちらの会議室で始めてください。

OK Google!リノヴェーション!

検索結果「もしかして:リノベーション」

ん!?

もしかされてる。
リノヴェーションは誤りなのか。リノベーションが正しいのか。でもGoogleが全て正しいわけではないもんな。うーん。
意味が伝わるならどっちでもいっか。

次に気になったのは、お知らせの紙が封筒に入れられていなかったこと。
ずぼらな人間だったら文書内容を確認せず、他のチラシと一緒に迷いなくまとめて捨ててしまうくらい存在感がないというか、世界一重要性や緊急性を微塵も感じ取れないA4用紙だった。湯葉のほうが厚い。
「はい!すぐ読んで!封筒を開封する手間ないよ!今すぐ読め!」と言いたい気持ちはわからないでもない。効率は良いってことか。

三回ほど繰り返して文書の内容を確認する。
工事日、作業時間、部屋番号。ふむふむ。
あれ?そういえば、この工事がある部屋って、確か車いすに乗ってたおじいちゃんが住んでた部屋じゃなかったっけ。違ったっけ。

年に数回、アパートの住人とすれ違うときがある(活動時間が違いすぎてエンカウントすることはほとんどない)。
しかし、ほとんどが夜、それも駐輪場で見かける程度なので、顔の特徴までは覚えていない。でも、車いすのおじいちゃんのことは覚えている。
日中、アパート前に停車した介護施設の車から降りてくる姿を何度か見かけた。必ず介護スタッフの人が車いすを押していて、自力で立って歩く姿は一度も見たことがなかった。

昨年、おじいちゃんの姿を見たっけ?一昨年は見たかも、どうだったかな、見てないかな。わからんけど昨年は絶対見てないな。えっ、ということは、そういうこと?リノベーション工事するってことは、住んでる人がいないからできることであって、住んでる人がいないってことは、つまりおじいちゃんは、そういうこと?

点と点が繋がっていった。ミステリー映画だったらあと10分でエンドクレジットが表示される。人ってこうやって静かに死んで記憶から消えていくのか。

工事案内の紙は丸めて捨てた。

翌日、スーパーへ買い物に行こうと部屋を出た。
ついでに、おじいちゃんが住んでいた部屋、105号室の扉の前に来てみた。なんとなく確認がしたかった。扉には「空室」の証である補助錠がかけられている。
やっぱりおじいちゃんはいなくなってしまったのか。そう考えてすぐ、あることに気付いた。105号室の両隣には部屋がある。記憶をたどると、車いすのおじいちゃんは角部屋に住んでいたはずだ。
ん?じゃあ、リノベーション工事が始まるこの部屋はおじいちゃんが住んでた部屋じゃないじゃん。あれ?
105号室の隣、106号室を見るとそっちは角部屋だった。あっ、こっちか。おじいちゃんの部屋、こっちだわ。普通に人が住んでる感じもするわ。105号室じゃないわ、違った。
おじいちゃんまじでごめん。

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