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✨「アナタとワタシがいた時間」-(前編)✨

私には、赤子のころからの記憶がある。
全てじゃないにしろ
まるで写真の様に切り取られた記憶から
まるで昨日起こったのではないか
という映像まで。

強烈に覚えてる事がある。
あれは忘れもしないある日の夕方
私は3歳だった。
近所の肉屋さんの息子
シンちゃんの誕生日だったのだ。
「今日はシンちゃんの2歳の誕生日なのよ」
と言う母と、手を繋いでニコニコして歩いていたのを
とても強烈に覚えている。
普段、仕事で忙しい母と持てる幸せな時間だったからだ。
その時私は心の中で


「シンちゃんが2歳なら私は生まれてからまだ3年なのか」

と思ったのだ。
それをやはり人に言うと
大体の人は

「なんかの本で見たんじゃない?」
「人から聞いたんじゃない?」

である。

違う。

夢でも、記憶違いでもない。
その時確かに3歳の「私」の中に大人の経験を持った誰かがいた様な
強烈な戸惑いの感覚を今もはっきりと覚えているのだ。
時代が違えば「頭のおかしい子」に思われる経験だと思う。

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ひと昔前は、こんな話をする度に、


「写真見たからじゃない?」「テレビの記憶なんじゃない?」

と、まるで私が虚言癖があるように思われたモノである。
有り難い事に、昨今、流行りなのだろうか。
巷で「子供に聞こう!生まれる前の記憶はどうだったか」と
よく耳にする機会が増えた。
私は心の底で、過去に信じて貰えなかった人たちに


「ほーら、私が言っていた事は嘘じゃなの!!。見たことかっ、私にお謝り!(笑)」

と、心の中で呟く。
が、私はもう外見は大人だし
デヴィ夫人の様な毒舌地位を築いた者ではない。
だから口にして言わないのである。

私には、幼少から関わった人との記憶が異常にある。
全員全部ではないにせよ
人からすると、多分「気味が悪い」というレベルで覚えている。
まるで昨日の事のように
何年も何十年も前の話が出来るし
時にはその時話した会話まで鮮明に蘇る。
どうも他人との記憶の感覚がイマイチ違うようだ。


「他の人はこんなに覚えていないものなのだ」

そう認識するまでの長い間、
ガラスの様な心はバリバリ音を立てて砕け続けた。
ただその長年の苦労のお蔭で、ようやくシラーっと
人との距離感が取れるようになってはいる。

私は、細かなことまで鮮明に覚えている事が「普通」なので、最近まで他の人も皆そうなのかと思い込んでいた。
けれどもどうやらそれも違うらしい。

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最近なのだが、ある朝夫がふと言った。
「頭は、ある一定の記憶を忘れて、頭の中を掃除するメカニズムがあるんだよ。そこまで覚えてるから疲れるんだよ」と。
どの文献に載っている情報だか不明であるにせよ、
納得せざるを得ない。
なぜなら、本当にずーーーっと脳が疲れてるのだ。
ただ、私は、最近、生活の中の肝心な部分を忘れ、
とんだトンチンカンが発動する事が稀にある。
それが私の脳の掃除なのかもしれない。
だいぶ奇妙で困るのである。

後半へ続く。...............

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お読みいただき、有難う御座いました!!

SEE YOU NEXT STORY!! 

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 by nico☆ashida   ♡


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