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画家

面白いことに気がついた。気がついてしまったからにはおちおち寝ていられない性分なもので、慌ててベッドから飛び起きてノートパソコンを広げた次第である。

小説の一節

わたしが書くのはほとんどがエッセイ(もどき)だけれど、ごく稀に“小説の一節”のようなものが混じっている。例えば、『Short Short Short -ココア-』とか『ただの日記』とか。こういうのはすごく楽しいし、少なくとも書き上げたその瞬間は「美しいものが出来た」と心から満足する。我ながら。

そういうのを書くときは大抵浮かんできた情景をそのまま文章にすることが多くて、それまでに経験したことやその時の状況が映画のワンフレーズのように映されるのだ。それから頭の中で流れるようにことばが並べられて、わたしはそれに従ってキーボードを叩く。あとで微調整はするものの、これでほとんど完成する。

せっかく綺麗な”一節”が出来たのだから、これをもとに一本の小説を書いてみようじゃないか。aikoも『ボーイフレンド』は「あ〜テトラポット登って」から始まったって言っていた。

「かく」こと

いざ小説を書き始めてみると、当然だけども本当に難しい。わたしには件の“一節”が美しく完成されたものとしか思えず、何を繋げても納得がいかないのだ。この現象について考えていて、はたと気が付いた。

絵と一緒だ。

わたしは物心ついたときから絵を描くことが好きだったけれど、いつの頃からか「女の子の顔」しか描かなくなってしまった。背景はおろか、体もない、ただの顔。でもそれはそれで美しく完成されたもので、わたしは満足していた。けれどもどこかで「楽をしている」という劣等感も抱えていた。

「書く」ことと「描く」こと、わたしの中でこの2つが強烈に繋がった。

宣誓

ならばやってやろう。一本の小説を書き上げたら、わたしがずっと抱えてきた「楽をしている」コンプレックスは少しだけ軽くなるんじゃないだろうか。
少しずつ、書いてみよう。


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