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【美術】ロートレック展で世紀末の「色気」に当てられた

SOMPO美術館のロートレック展に行ってきました!

フィロス・コレクション
ロートレック展 時をつかむ線
会期:2024.06.22(土)- 09.23(月)


ロートレックのポスターアート

19世紀末フランスを代表する画家、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864年〜1901年)はポスターアートが有名です。

ポスターは宣伝や広告の目的を持っています。つまり、なるべく不特定多数の目に触れるための工夫が標準装備となるジャンルです。ロートレックもその例に漏れず、カラフルな色使いを駆使しており、遠目でもわかるデフォルメを用いています。

会場前にさっそく「ポスター」のポスター

美術史において、ポスターの地位は低いものでした。それは商品のPRや劇の上演の告知といった、ポスターそれ自体の表現以外に「目的」をもつ表現媒体であり、何か別の目的(商品とか)に従属する形で制作されます。ポスターとは制作される前から「手段」なのです。この理由で、いわゆる貴族お抱えの芸術家が手をつける高尚なジャンルではありませんでした。

純粋芸術の絵画(壮大な神話画や宗教画を思い起こしてください)の場合、当然それは商業や実用のために制作されたものではありません。何かに利用されるものではなく、絵画それ自体、表現それ自体が目的とされており、絵画だけで自立できています。目的なきポスターはありませんが、目的なき絵画は存在するのです。かくして、ポスターはいわゆる「芸術」の絵画とは対極的な位置にあるものでした。

しかし、そうであるにもかかわらず、ロートレックのポスターは美術館で絶えず鑑賞されてきました。通常、ポスターは告知の役割を終えたら処分されますが、ロートレック展の場合、没後からなんと100年以上も保存されていることになります。これは彼の技術と独自のスタイルが完成されている証なのでしょう。ロートレックのポスターには、それだけの価値と魅力があるのです。

貴族・ロートレックと馬

パリ五輪の馬術で日本代表が92年前にメダルを取りました。前回メダルを取った人は「バロン西」と呼ばれた西竹一男爵でした。そのニュースを聞いて真っ先に思い出したのは、ロートレック展の馬の素描です。

今回、ロートレック展には数多くの素描が展示されていますが、なかにはの線画もいくつかありました。

それもそのはず。ロートレックの家柄は中世の十字軍の時代から続く名門貴族で、伯爵の父は元騎兵連隊の騎手。ヨーロッパにおいて乗馬は貴族の嗜みですから、ロートレックにとっても馬は身近な存在でした。初期に師事した先生も、動物の絵を得意とする人だったそうです。若き頃を思い出すように、ロートレックは晩年にも馬を描いています。

ロートレックの描いた世紀末の色気

しかし、これほどの家柄に生まれたのに、彼の絵の題材で大半を占めるのはナイトライフを生きる娼婦や舞台俳優、芸人、歌手たち。何やら猥雑な雰囲気に飲まれそうになります。

パリ郊外にあるモンマルトルは家賃が安いので、ロートレックも含め、多くの芸術家がアトリエを構えていましたが、なんと一大歓楽街でも有名な土地でした。そうです、パリにおける新宿です。ロートレックはここに移住して以来、キャバレーダンスホールに通うようになり、そこに生きる人々を題材にしたのでした。

人間としての娼婦

ロートレックは売春宿に寝泊まりして女たちを描きました。娼婦をテーマにした版画集『彼女たち』の一部も展示されています。ただし、企画元の意図や読者層の期待に反して情事のシーンやエロティックなポーズは描かれず、娼婦の日常のワンシーンを捉えたものばかり。ロートレックはナイトライフに生きる人たちを単なる記号に還元するのではなく、一人の人間として描いたのです。

なお、この娼婦という扇情的なテーマでありながら、作品の売り上げは芳しくなかったとか。確かに、私が購買客だったら「肝心のシーンがないぞ!」「おっぱいを見せろ!」と怒り狂っていたかもしれません。タイトル詐欺として、Amazonのレビューで星2つにしたことでしょう。

世紀末の歓楽街

ロートレックの描いた俳優や芸人は個人が特定できるものが多く、個々人に解説のキャプションが添えられていました。官能的な歌で人気を博した女の歌手も、下町の俗語で最下層の暮らしを歌って一世を風靡した渋いおじさん歌手も、舞台の上でダイナミックに踊ってコミカルな動きで愛された喜劇役者も、100年後には忘れられて、このような線画やポスターで残るのみというのは世の無常を感じます。

現代のテレビの芸能人や映画の俳優やYouTuberも、ゆくゆくはこのようになるのでしょうか。19世紀末の人たちとは違って、現代人の姿は簡単に動画や写真で残すことができます。しかし、思い出して振り返る人がいなければ、ここにある線画やポスターの彼らと本質は何も違わないのかもしれません。

『エルドラド、アリスティド・ブリュアン』
有名な作品です。ポスターはもちろん写実的ではありませんが、デフォルメされている以上、彼らのトレードマークや特徴を簡潔に捉えています。

人々に愛されたロートレック

ロートレックは病気によりわずか36歳で亡くなりました。1880年代にパリ郊外のモンマルトルに移住して1901年に没するという、ほとんど19世紀末と重なった人生です。

晩年はアルコール中毒に苦しみましたが、残された手紙からは友人や知人に囲まれた姿が浮かび上がるようです。ロートレックは美食家で、友人たちと食事を共にし、ときには自ら創作した料理も考案していたといいます。短い生涯ながら、人生を存分に楽しんだといえましょう。

そういえば色恋沙汰にはまったく言及がありませんでした! 色気の漂うモンマルトルの街で女優や女の歌手を描き、よき理解者である女友達もいたのですから、ロートレックにも少なからずそんな夜があったのではないでしょうか。なにせロートレックは才能ある画家なだけではなく貴族の男。私はワンナイトでも後悔なく楽しめる派なので、そんな人が無言で自分をじっと見つめて描いてくれていたら、ロートレックにその気がなくてもアプローチを仕掛けたと思います。モンマルトルの魅惑的な雰囲気のせいにできて、シチュもたいへん都合がよろしいことですし。おっと。

おわりに

展示作品には素描が多く、デッサンを眺めるほどこだわりがなければ退屈かもしれません。しかし、完成された作品ではない以上、ロートレックがそのときそのときに筆を走らせた素描は、彼がどのような対象に興味を持ったのかを雄弁に物語っています。

貴族の生まれでありながら、19世紀末のフランスの猥雑な雰囲気に飛び込み、そこで懸命に生きる役者や歌手や娼婦たちを描き、多くの友人に囲まれたロートレック。展覧会を通じて浮かび上がってきたのは、そんなロートレックの生き方です。

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