見出し画像

映画 君たちはどう生きるか 感想

宮崎駿監督の君たちはどう生きるかを観た。
タイトルとポスターしか情報が無く、面白いかどうか全く分からないまま不安な気持ちで映画館の席に座っていた。しかし映画が始まった途端に、その不安は吹き飛んだ。


注意



ここから映画の内容に触れます。




映画の主人公眞人は、幼少期に火事で母親を失う。そして、その事実や悲しみを受け入れられないまま月日は経ち、父親は母親の妹と再婚してしまう。新しい母親は、実の母親の妹であり、顔が実の母親そっくりである。
そして、お腹には父親との赤ちゃんが居る。

新しい母親(夏子)は眞人に歩み寄ろうと努力するが、眞人はどうしても受け入れられない。

実の母親を失った悲しみを背負い続けている眞人が、新しい母親を受け入れられないのは当然の事のように思える。眞人からすれば、新しい母親を受け入れて楽しく暮らすというのは、実の母親に対する裏切りと言っても良い程、受け入れ難いものだっただろう。

家に向かう道中、眞人と夏子は会話をするが、その様子から眞人が夏子に対して心を閉ざして、距離を取っていることが分かる。

眞人は、夏子の家に案内される。
そこにはお手伝いのおじいちゃん、おばあちゃん達が居る。おばあちゃん達は眞人の父親の荷物に、鳩の様に群っていた。そして、中に入ってる高級な缶詰を見て、餌を貰った鳩の様に喜ぶ。
恐らく、育ちの良い眞人には、このおばあちゃん達の事が、理解できない気持ち悪い存在として映っているのだろう。

そして、眞人は新しい学校へ行く。父の高級な車で登校した眞人は、新しいクラスで自己紹介をするが、クラスメイトから睨まれる。眞人は下校中にクラスメイトにいじめられて、反撃する。クラスメイトの服装や表情から、彼らは貧乏で苦労していて、故に裕福である眞人を妬んでいるということが分かる。

その帰り道、眞人は落ちている石で、自分の頭を傷つける。きっと眞人の内面は世界の全てを拒絶していたのだろう。

家に帰ると、あばあちゃん達や夏子から心配され、看病を受ける。父親は眞人の話も聞かずに、躍起に犯人探しをする。

眞人は学校へ行かずに、自分の頭や手足を使って、弓矢を作る。
生まれや育ちではなく自分自身を見て欲しい、自分の力で生きたいという、反抗心や自立心なのかなと思った。

弓矢を完成させた眞人は、行方不明になった夏子を探しに、お手伝いの桐子と共に洋館へ向かった。実の母親が眞人の助けを待っているとアオサギから洋館の中に案内される。しかし、母親はおらず、眞人は桐子とアオサギと共に下の世界(死者と生前の生き物の世界)に連れて行かれる。

門をくぐり、眞人は若い頃の桐子に出会う。
桐子はたくましく生きるさっぱりとした女性で、上の世界では誰にも心を開かなかった眞人だが、桐子にはすぐに懐いていた。
自立していて、自分を特別扱いしない存在を眞人は、強く求めていたのだろう。

眞人はヒミと出会い、ヒミの家に案内され、彼女の手料理をとても美味しそうに食べた。上の世界で、母親の遺品の中から自分宛ての小説(君たちはどう生きるか)を見つけた時も静かに泣いていたし、眞人は母親の愛情を強く求めて続けていた事が分かる。

ヒミに案内されて、眞人は夏子の産屋へ足を踏み入れる。夏子と対峙する眞人だが、夏子からは「あんたなんか大嫌い」と真っ向から拒絶される。初めて夏子の本音が出たシーンである。眞人は拒絶されながらも"夏子母さん"と呼び、夏子へ歩み寄るが、紙によって引き離されてしまう。

インコに捕らえられた眞人は、夢の中で大叔父と出会う。下の世界を作った大叔父は、この世界は悪意のある石をバランス良く積み重ねて成り立っている事。大叔父が集めた悪意ない石を使って、悪意のない世界を作って欲しい、と眞人に頼む。

眞人は、目を覚ますと鎖に繋がれて身動きが取れない状態だった。アオサギに助けられた眞人はインコ達から逃げて、ヒミと大叔父と再会する。

大叔父から悪意のない世界を作って欲しいと再度頼まれた眞人だが、この頭の傷は自分の悪意から生まれたもので、悪意のない世界は作らないと言う。

西瓜糖の日々という小説では、心を持った人達は皆、自殺を選ぶ。残された世界は、純粋で無機質で完璧なユートピアとなる。心が存在しないから、そこはユートピアなのだ。

心には必ず悪が含まれるから、悪意のない世界とは心の無い世界だろう。
悪意のない世界には、悪が無い代わりに心も存在しないのだ。眞人は、自分の中に悪がある事を認め、心の無い世界ではなく、悪があっても心のある世界で生きる事を決意する。

ヒミは火事で死ぬ未来を知っても、上の世界に帰って生きると決意する。

君たちはどう生きるかの問いに対する宮崎駿の答えは"どれだけ世界が悪に満ちて酷い状態になっても生きろ"なのだろう。

下の世界では、ペリカンやインコは悪の象徴として描写される。大叔父が悪意のない世界を作ろうとしていると知ったインコは激怒した。悪意のない世界とはインコの居ない世界である。大叔父がインコの存在を否定する言動を取ったから激怒したのだろう。そしてインコは積み重なった石を壊してしまい、下の世界は壊れていく。

大伯父に庇われて、夏子と桐子とヒミと眞人とアオサギは上の世界に帰っていく。夏子と眞人は上の世界で、父親とお手伝いのおばあちゃん達と再会する。彼らの顔や服はペリカンとインコの糞まみれになりながらも、生きる喜びに満ち溢れていた。

数年後、眞人は父親と母親と弟と一緒に、別の家へ引っ越すシーンで終わる。

総括

この映画は今までの宮崎駿の映画とは全く違い、主人公の内面に深く踏み込んでいた。下の世界へ行くまでは、眞人の主観的な描写が多い印象だった。

この作品は、母親を失って深い傷を負った少年が、異世界で冒険をしながら傷を癒やして、世界や自分を受け入れる話だと思った。

この作品のストーリーは村上春樹の小説にそっくりだが、村上春樹の小説よりもストーリーが良く出来ている。

恐らく、宮崎駿は幼少期に母親からの愛が足りなかったのだろう。その傷を80代になった今でも抱えていて、君たちはどう生きるかは宮崎駿の幼少期の理想を描いた物語なのだろうと思った。

とても良い映画だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?