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考えずに、無邪気に、文を書くなんてもうできない

まだ強い日差しの射す頃だった。ようやく体調が上向き始めて前向きに物事を考えられるようになっていた。前向きになってきたこともあって、「法人のことを知ってほしい」「子どもや教育のことを知ってほしい」と思うようになった。

実のところは代表・経営者として「情報発信が大事」という一般論に振り回されていただけだったのかもしれない。

そんな風に書き始めたものの、キーボードを叩く手が軽快に動くことなんてたったの一度もなかった。「代表として、できて当たり前だ」という思い、そして、焦りばかりが日々募っていく。「また書けなかった」という後ろめたさは書いたばかりの文をdeleteキーで液晶画面から消していった。

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もともと僕は文章を書くのが好きではなかった。むしろ嫌いだった。鉛筆で何百文字も興味のないことについて延々と書かされているぐらいの感覚しかなった。そのくせ、学校の作文などで稀に表彰されたりする奇妙なタイプの子どもだった。それに「素敵な文章を書きたい」なんて最近まで思ったこともなかった。あの頃と今では何が違うのだろうか。

気づけば夏休みで朝から遊ぶ子どもたちの声をBGM代わりにずっと考えていた。考え続けているとせっかくの冷房の効きも悪くなっている気がしてくる。こういうのを知恵熱というのだろうか。

知恵熱に悶えつつ、遠い過去を振り返る。振り返るというより走馬灯に近かったかもしれない。おぼろげな記憶の断片とイメージを追いかける。追いかけていると突然目の前が開けた。考えながら目を閉じていた僕はハッとした。目を開けて現実世界に引き戻された。

走馬灯のようなイメージからわかった。あの頃の僕はなにも考えていなかった。見たものや感じたことをただ言葉にしていただけだ。気の向くままに自分の辞書から言葉を選んでいた。そして、拙い手つきで原稿用紙に言葉と文を書きなぐっていた。

そして、僕はこれまでのことをどんどん思い出していった。
考えることが当たり前じゃなくて、無邪気に日々を暮らしていたこと。学校のカーストが嫌で橋渡しを無意識にしていたこと。自分の思ったことを率直に相手に伝えていたこと。そんなことを思い出していくうちに気づいた。自分が大人になっていたことに。

そうやって思い出して、感じたことをひとつの文章にした。

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あの時難しく考えて書くことはやめた。今の僕にできないだけなのか、そもそも僕にできないのか、それはわからないけどとりあえず難しく考えて書くのはやめた。不思議なことに考えて書くのをやめた途端に、書きたいことが湯水のごとく溢れてきた。なんだこれは。温泉を掘り当てたなんてレベルじゃない。

溢れてきたものは思考と呼ぶにはあまりにも心もとなく、そして不確かなものだった。きっと知らず識らずのうちに押し殺していた感情が溢れたんだろう。

「代表はこうでなければいけない」「大人はこうあるべき」という巷に溢れた誰かの言葉をすべて真に受けていた。その言葉は見えない手枷や足枷のように、あるいは呪文のように僕を疲弊させていた。

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と、まあえらそうにここまで書いてきた。それなのにまた小難しく考えて文を書こうとしていた。文なんて考えて書いたところでうまく書けない。だから幼子のように気の向くままに書けばいい。

そう言いたいところだけど、残酷なことに時間は不可逆だ。「無邪気に原稿用紙に文を書いていた頃に戻れたらな」なんて思っても時間は戻らない。それに、僕は言葉と文を通じてたくさんのことを知ってしまった。

自分の言葉や文がだれかに届く喜び。言葉や文がだれかの救いにも呪いにもなり得るという事実。ひとつひとつの経験に僕の感情は揺れ動き、思考を繰り返した。

深く考えずに書くには、あまりにも大人になりすぎてしまった。あまりにもたくさんのことを考えてしまった。だから考えずに書くことなんて、ただ無邪気に文を書くことなんて、もうできない。

そして、大人になりすぎた僕なりに書きたいことがある。言葉と文で描きたい世界観があったりする。こういう思いは間違いなく僕のエゴだ。自分のエゴだともわかっているからこそ、ただ無邪気に文を書くことなんて、もうできない。

でも、僕の書いた文がいつかだれかの救いになるかもしれない。だれかに宛てた文がいつかまた別のだれかを幸せにするかもしれない。

そんな祈りにも似た思いを抱きつつ、自分の中のエゴだとわかりつつ、また知恵熱が冷めないままに文を書くのだろう。

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