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あの頃の友情に賞賛を。友のこれからの幸に祈りを。

数年前のその日、僕は打ち合わせのために梅田でスタッフを待っていた。
彼は遅れるときは必ず連絡をしてくる。少し心配になりながら液晶画面を操作して電話をかける。呼び出し音が鳴ったから電源は入ってるのかと少し安心しつつ、応答を待つ。「今、西梅田にいます。ズボンのチャックがはち切れて、ボタンがヒルトン前あたりでどこかに飛んでいきました…」

大阪でも一二を争う大通り四ツ橋筋に面する大きなショーウインドウ。そこには有名ブランドの商品が並び、自分の生活との乖離に笑ってしまいそうになる。そんなきらびやかな場所で彼のズボンは限界を迎えた。

ズボンを破壊してしまうほどに彼の太ももとお尻は圧倒的で、その圧倒的な太ももとお尻で数多のズボンを葬り去ってきた信頼と実績がある。

ブランドショップや高級ホテルが立ち並ぶ通りでずり落ちる彼のズボン。露わになった圧倒的なお尻と太ももを見て嫌悪や嘲笑の視線を浴びる彼。そして、捨て犬のようなつぶらな瞳に滲む涙。
そんな彼の姿が思い浮かんだ。これはまずい。このままでは『おまわりさんこっちです』が現実になってしまう。

なんとか片手でかつてボタンのあった場所を抑え、もう一方の手でチャックを押さえた彼が目の前に現れた。

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彼は笑いに愛されている。間違いなくサンシャイン池崎よりも誰よりも笑いに愛されている。笑いの神様が才能を与えた選ばれし人間だ。

そして、彼の纏う不思議な雰囲気や巻き起こす笑いに救われたことは枚挙に遑がない。その屈強な体から想像もできないあたたかい笑いを巻き起こしてきた。その笑いは何度もスタッフや子どもたちをあったかい気持ちにしてくれた。

計画性がなく大雑把なくせに繊細で面倒な僕と長年に渡って一緒に仕事をしてくれた。「子どもたちの状況を変える」という正解のない問いに真摯に向き合い続けてくれた。でも、なによりもその人柄が大好きだった。
「できれば子どもたちの前にこれからも一緒に立っていたい」「一緒に仕事を続けていきたい」と、いつしか願うようになっていた。

その願いとは裏腹に法人としての資金調達が難しいためメンバーの給与を確保しにくい業界に巻き込むべきではない。そう思う自分もいた。僕は子どもたちの前に立ち続ける覚悟を持って法人を作ったし、そのリスクなんていくらでも背負っていこうと思っていた。しかし、巻き込むことで彼の人生を狂わせてしまうような気がしてならなかった。

願いが強くなる一方で後ろめたさがどうにも頭の片隅から出ていってくれない。何度も無理やり引っ張り出そうとしたけれど、どうにも出ていってくれない。万策尽きた僕は忘れることにした。頻繁に打ち合わせをし、彼と顔を合わせても忘れたふりを決め込んだ。忘れようとして忘れられないうちに時間は過ぎ、彼が進路を決めなければいけないデッドラインはすぐそこに迫ってきた。

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「父が入院しました」その言葉を彼から告げられたとき内心ホッとした。「彼の幸せを捻じ曲げているんじゃないか」そんな後ろめたさが頭の片隅からやっと出ていってくれた。あんなに出ていって欲しくてたまらなかったのに、たった一言で出ていった。

そして、「友の幸せを心から願う自分がいる」という事実に気づいた。事業を広げていくために彼を巻き込んでいく経営者としての自分より、友の人生を応援したいと思う人間としての自分がいることに気づいてしまった。

「家のこともあるし地元に帰って就職したほうがいい」そう言い放っていた。言うと決めていたわけでも、ここまで書いてきたようなことを言葉にできていたわけでもない。本当に自然に、当たり前のことのように口にしていた。

いたるところで桜の蕾が膨らみ始めている。ともに子どもたちの前に立ち、ともに馬鹿なことで笑い、ともに酒を酌み交わした関西から彼がいなくなる。笑いの神様も彼と一緒にどこかに行ってしまうんじゃないだろうか。

今、彼は両親や兄弟とともにかけがえのない時間を地元で過ごしている。仕事でも先輩や上司に恵まれ、その頑張りが遠い距離をもろともせず僕の元にまで届く程に。

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2018年6月、僕は体調を崩した。ベッドから体を起こせず、感情も安定せず、日々をただ生きることで精一杯だった。地元にいる彼にお願いしていた仕事を一旦ストップしてもらおうと震える手で文章を入力した。

「体調は大丈夫ですか?休みが取れそうなので近日中に大阪に行きますね」数日後に本当に大阪に飛んできた。もはや遠距離恋愛のカップルのようだ。念のために触れておくとそういう関係ではない。

その日はいつもより体調がよかったから男二人で連れ立ち、近所の公園を缶ビール片手に歩いた。散歩しながら飲んだ缶ビールは初夏の大阪ではすぐにぬるくなってしまい、お世辞にもおいしくはなかった。でも、あんなに体に染み渡るビールは初めてだった。そして、あの日のぬるくなった缶ビールが教えてくれた。僕が望んだ未来はこれだった。「友として話し、友として酒を飲む」何のことはない、たったそれだけのことだった。

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無意識の行動が数珠繋ぎになって、笑いを巻き起こしてしまう。笑いの神様にその才を認められ、その才はもちろん周囲を笑顔にしてしまう。
腹を割って話した相手に家族と同じような優しさで接することができる。だれよりも情に厚く、巻き起こす笑いとは裏腹に武士のように筋を通すことへのこだわりがある。
そんな天賦の笑いの才と情の厚さは、あの屈強な体、特にあのはち切れんばかりのお尻と太ももに詰まっている。

人に優しい。だからこそ人に優しくされる。人を愛する。だからこそ人に愛される。彼はそういうやつだ。いつもまっすぐで正直なやつだ。

きっと僕は彼のそんなところに惹かれた。「仕事をする同僚」としてではなく、「ひとりの人間」として惹かれた。

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「友」「友情」この2つの言葉を幼い頃から耳にタコができるほど聞いてきた。それゆえ、薄っぺらさや浅はかさを感じてしまう人は多いだろう。でも、彼と僕の関係は「友」だ。その間にある情愛は「友情」だ。

薄っぺらくて浅はかさを想起してしまう言葉。たくさんの人に使い古されて手垢だらけの本のようにいびつな形になった言葉。でも、彼と僕の間柄のこの2つの言葉は古書のように深く厚みのある言葉で、読んだ人の気持ちをポジティブにしてしまう絵本のようなあたたかい言葉だ。

あの日、あの頃、僕が悩むのと同じようにきっと彼も悩んだだろう。葛藤の沼に沈みそうになりながらも必死に前に進もうとして僕らは選択した。だからこそ「友」「友情」の言葉を2人の関係に当てても、深く、厚みのある、あたたかい言葉になったんだ。

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大学生のボランティアのみんなが子どもたちに勉強を教える。大学生のスタッフが中心に教室の運営をする。そんな事業形態だと僕は見送る側になりがちだ。これまで数え切れないほどの大学生を送り出してきた。
その度に「またみんなどこかへ行ってしまった」なんて錯覚に陥る。

もちろん互いにつらさや不満を抱えたまま別れることだってある。つらさや不満はわだかまりとして心に残る。今はまだ「友」「友情」という言葉は不相応かもしれない。
でも、みんなに「友」として現在地点から賞賛を送る。僕はみんなの門出を祝う。あの頃、僕らは悩みながらも互いに選択したのだから。

選択はどんどん積み重なっていく。生きるほどに選択が増え、その中にうもれて自分を見失う日もあるかもしれない。

そんな日々を繰り返して互いに皺も増え始めた頃に、また友として話そう。かつての別れ際にわだかまりがあったとしても、円満だったとしても、互いが歩んだ道の話をしよう。わだかまりをそっとほぐすように、過ぎた時間を愛でるように。そして、これから歩む道の話をしよう。

歩んだ道、これから歩む道の話で泣いて、笑って、しかめっ面をする。泣き顔の皺も、笑顔の皺も、しかめっ面の皺も友の情愛の証として互いの顔に刻み込もう。そんな風に友として会える日を切に願うよ。

これからも「友」でありますように。そこに「友情」がありますように。そして、互いに幸多き未来がありますように。

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