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【☆】パニック障害を持つ患者が閉鎖病棟隔離室に入れられ、何の薬も貰えなかったらこれしか対処がありません。パニック障害を持つ人は必読です。

 2023年4月10日(月)。21時12分。

 こんにちは。井上和音です。

 暑くなってきました。と言っても体温は上がらずに朝からウルトラライトダウンを着てから出発しますが、自転車をこいでいるうちに「暑い。暑い」となり、駅に着いた頃には「なんでウルトラライトダウンなんて持って来たんだ」と過去の自分の感性の記憶を忘れてしまい、ウルトラライトダウンは着ないまま、家に帰り着きました。

 眠い。

 今日はどこかの高校の入学式だったのか、駅には定期券を買う親子で長蛇の列が出来ていました。「(なんで親子なんだろう)」と思ってしまいましたが、うちの親の方針が厳しかったのか、自分が背伸びをしたかったのかは覚えていませんが、色々なことを高校時代は一人でやっていたように思います。

 どうでもいいことですね。いい、が打ち間違えて、いいい、になった途端に幻聴で「いいいじゅー! 始まるよ!」と聞こえてきました。

 はい。幻聴が酷いですね。幻聴が酷い。間違いなし。

 あと、髪の毛もはげてきました。もうダメです。髪の毛を短く切るのはもうダメです。ツイッターのアイコンのようなM字はげが徐々に進行しつつあります。職場のトイレで鏡を見て愕然としました。髪の毛の脱毛サロンにでも行ったのでしょうか。髪の毛がM字にはげてくる、前兆として、髪の毛のM字の箇所がニキビだらけになってきます。なんで。夕食もワタミの宅食で特に強い塩分を摂っているわけでもないのに。というか。顔にはニキビは無いのに何で頭皮にニキビが出来始めるの。これはもう髪の毛が抜け始めるサインです。親は髪の毛がふさふさなのになんでやねん。せめて恋人とか結婚とかしてからはげ始めてくださいな。私はまだ20代なんですけれど。

 なんではげるのだろう。

 中学時代から「ああ。将来はM字にはげていくな」と分かるくらいには、M字ラインにニキビが出来始めていて、ニキビが出来るとはげて、髪の毛を長くするにつれてニキビも減っていき、はげも減っていきます。はげの後退運動です。この振動が徐々に大きくなっていくのが、大人になるという証拠なのでしょうか。

 しょうもない。

 というか、仕方がない。

 向精神薬のせいなのかな。

 というわけで。本当に話題にしたかったことその1。頓服とんぷく薬を断薬し始めました。勝手にです。勝手ではあるけれども、「別に飲まないならば飲まないでいいよ」と言われていた薬、セパゾン錠を勝手に断薬しています。

 セパゾン錠とは、大学時代にパニック障害になってしまったときに、心療内科で「これ飲んでみてください」と言われ、飲んでみたら自分一人ではどうしようもなかったパニック障害(呼吸器官がうまく働かず、発汗し、動悸が激しくなる状態になっていました)が、ぴたりと止んで。これは神の薬だ、と思って6年近くずっと飲んできた薬です。

 統合失調症になる以前から飲んでいました。統合失調症になったときに、閉鎖病棟隔離室に入れられた時は、セパゾン錠も何も貰えず、液体のリスパダールだけを延々と飲まされて、どんどん動悸が酷くなって、鍵のかかった重い鉄板で閉じ込められた部屋の中で死ぬんじゃないかと思うほどの恐怖を味わいました。どうやってセパゾン錠が無い、鉄の扉をバンバン叩いて呼んでも誰も来ない密室の中でパニック障害を乗り越えたかと言うと。

 紙コップしか支給されていなかったので、その紙コップでトイレの横にあるちょろちょろと出る水道の水を貯めて、頭から勢いよく水を被りました。閉鎖病棟隔離室の中はびっちゃびちゃになります。着ている看護服もびっちゃびちゃになります。それでもそれでも、心臓の動悸が治まるまで、水を被り続けます。それで、鉄の扉をバンバンと叩きます。「着替えさせてください!」と叫びます。それでも誰も来ません。心臓の動悸も止まらず、「ヤバい。ヤバい」と考える思考も止まらずに、なんとか身体に変化を与えようと、冷たい水を頭からかぶり、水温によるショック療法を続けます。ちなみにこの時に幻聴もわんわん聞こえてきています。「この程度の心臓発作では死なない。こいつは嘘をついている。次」と聞こえてきます。

 何が「次」やねん、という感じですが。パニック状態なので笑えるわけもなく「ああ。これは本気で私を試しているんだ」と思い込みます。天罰とは思っていませんでした。何回も書いたかと思いますが、何かしらの実戦形式での試験だと思っていました。どうにか監視されて、幻聴で結果を告げてきて。

 こんな状態になったら自我とか崩壊するような気がしますし。トラウマこの上ない状態になると思いますが。はい。2018年に起きていた現象を今でもはっきりと覚えていますので、完全にトラウマになっていますね。徹底的な恐怖の中にいたことだけははっきりします。

 水を浴びまくって。床も雑魚寝のマットレス(体育の授業とかで使うのとほぼ同じです)も撥水はっすい性が高いために、水が溜まりまくって。横になってなんとか凌いでいるうちに、「井上さん。うわ。水が。着替えを持ってきますね」と言われて、看護師さんが着替えを持ってきます。「パニック障害が激しいのでセパゾン錠をください」と言っても「ここ(病棟)には無いので出せませんね。寝ていてください」としか言われません。どうやったら恐怖の中のパニック障害を出さずに冷静に居られるか、考えた結果、「夜も照明を消さない」という判断に至りました。窓には曇りガラスしかないので、太陽が出ているか、沈んでいるかしか分かりません。夜になると、看護師が来る確率は極端に減っていきます。「もうこれから朝食まで来ないのでちゃんと寝てくださいね」とか言われます。「睡眠障害も持っているので何かしらの睡眠導入剤をください」と言っても「ここには無いんですよ」しか言われません。

 私は何かの実験台にでもなったのか。本当にそう思いました。

 1ヶ月ほどでようやく、隔離室から出ることが出来ました。隔離室から出て、ちゃんとした病院のベッドで寝る際には、窓口で睡眠導入剤を普通に貰えました。「なんで渡してくれなかったの」と聞いても、「渡すことが出来ないのです」しか言われませんでした。隔離室から出れば、恐怖は少しは和らぎ……とはいかずに、やっぱりパニック障害は起きました。それでも、看護師さんにすぐに「調子が悪いです」と言えば、何かしらの対処をしてもらえていたので、隔離室に居た頃とは天と地ほどの差がありました。

 そんな隔離室から離れられた後にも「怖くなったら隔離室で寝てもいいから、遠慮なく仰ってください」とか言われたのですが、二度と隔離室には戻ることはしませんでした。当たり前の判断ですね。自分からパニック障害を起こすようなことはしませんでした。

 閉鎖病棟内を自由に歩くことが出来た後に、「なんで私を一週間も完全に隔離したのですか。なんの理由があったのですか。私は何か暴れたりしましたか」と問いかけてみたところ「いや、だって。頭から水を被るなんて異常な証拠でしょう」と言われて、「いや、あれはパニック障害をなんとかするには、紙コップしかない隔離室で、パニック障害に対処するにはショック療法しかなかったのです」と言っても、異常者扱いでした。

 どうしようも無かったし。どうしろと言うのかという感じになってしまいました。

 そんなこんなで、パニック障害が怖くて怖くて手放せなかったセパゾン錠を、遂に自分から、簡単には飲まずに、少しずつ薬を飲まないように訓練していこうかなと思い始めました。パニック障害を発症して実に6年振り。閉鎖病棟隔離室の恐怖が無ければ、もうちょっと早くセパゾン錠とも少しずつ縁を切るような生活スタイルにしたかったのですが。あのトラウマは抜け出せませんでした。

 恐怖が少しでも伝わってくれたら幸いです。
 

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