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【心理学:考察】会話の攻略法で、最初から想定される問答を用意しておくのは愚の骨頂

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 タイトルから書いています。話が逸れていったら申し訳ございません。ちなみに最初のタイトルは「会話の攻略法」です。
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 2023年5月10日(水)。21時05分。

 こんにちは。井上和音です。

 書こうと思ったことも時が経つと書くのを忘れてしまうことが往々にしてあります。今がそうだし、「このネタで書こう!」とか思い付いても、その出来事が時間的に遥か過去の出来事であったり、その出来事の後に刺激的な出来事が起こってしまうと、その出来事のことを書こうとする気持ちは徐々に徐々に薄れていきます。

 「会話の攻略法」というタイトルで書くらしいです。どうしましょうか。とりあえず起こった出来事と、思い付いたネタと共に早く書いてしまいましょうか。

 年賀いやがらせさんと一緒に。

 昨日、休憩から戻ってきた後に会話が出来なくなっていると書いた記憶があります。同じように、今日もまた、会話がちぐはぐになってしまう現実が起こってしまいました。

 耳鼻科での話なのですが。

 病院なのです。お医者様との診断の時の話なのです。

 「こんにちは。特にお変わりは無いですね。今日のお薬はトラマゾリンだけでいいですか」

 「はい」

 「では出しておきますね」

 「あ、あの。トラマゾリン以外も出してもらえますか」

 「え? ああ。目薬ですか」

 「あ、目薬もいいですね」

 「じゃあ、トラマゾリンと目薬を出しておきますね」

 「あ。あの。エメダスチンが欲しくなったらどうすればいいのですか」

 「ん? ああ、欲しくなったら処方箋も出しておきますよ」

 「ああ。分かりました。では次に貰いに来るときは処方箋を出してもらうかもしれません」

 「分かりました」
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 長くなったので☆で区切りました。

 「はい」

 「では出しておきますね」

 「あ、あの。トラマゾリン以外も出してもらえますか」

 「え? ああ。目薬ですか」 

 ここですね。ここでストップ。「はい」と肯定した後に、「やっぱり他のも……」と追加で注文してしまっているわけです。

 ここら辺がお医者様の「え?」という発言に繋がります。

 どうも最近会話が上手くいかないのです。昨日もそうでした。はい、か、いいえ、で答える会話に対して自信を持って回答することが出来なくなってきているのですね。

 今回のケースでは後から回答を取り止めて会話がちぐはぐになってしまっています。

 「こんにちは。年賀らせです。井上さん。会話のコツを教えましょう」

 と、思い付いたネタを喋るために年賀らせさんの登場。おひさ! ですね。

 「会話というのは、テレビの発言にいちいちヤジを入れたり、片方が一方的に喋り続けるものではないのです」

 と。思い付いたことを喋らせてみたけれど、「~ではないのです」と否定の条文から入ると、それはコツを言っているわけではなくて、正しくないことを言っているだけで、真である条文を言っているわけではない。

 簡単に言えばコツではない。

 「会話のコツをお伝えすると、相手が気持ちの良い回答とは何かを事前に準備しておくことです。回答のカードをあらかじめ持っておくことです。他人が自分の思い通りにいくように上手く誘導していくことが会話のコツなのです」

 と言わせてみたけれど。そう。お風呂場でも分かっていた。そうやって予め回答のカードを持っているからこそ、回答のカードで持っていない質問が来た時に、どう返事していいか迷ってしまい、昨日や今日のような回答がちぐはぐになる会話になってしまうということを。

 予め回答のカードを持っていると途端に会話が詰まってしまうのですよ。論理式が上手くいっていないプログラミング言語が、想定のないコードを書きこまれてバグるのと同じように、会話の途中で回答するための脳みその回転がバグって沈黙しか出なくなる。

 回答のカードを予め持っていることは初級の会話術程度のツールにしかならない。

 むしろ、想定された質問を考えてしまうから咄嗟の会話が上手くいかないのでは。

 「うう……」

 というわけで。年賀らせさんは退却。泣かないで。

 概念だから。またいつか、登場するよ。

 というか、会話の攻略法のコツをネタとして出したかっただけで、そのあとの論理の詰め方とか、読んでいて特に面白くも無さそうな気がする。書いていてあまり面白く無かった。ただコツを書きたかったということで許してください。

 会話ってどうすればいいのでしょうね。

 恐らく、心理的には人間としての裏と表を作らないということが上げられそうな気がします。

 だったら、カクヨムに毎日、毎日何かしらを書いていることを誰これ構わずに教えてしまうのがいいのか、と問われればもちろんそれは、 NO だと思う。

 ペンネームを言ったところで現実で良かった試しが特に無い。酷いときでは絶交して終わってしまうケースもあった。ぺろっと言ってしまって、それから先の人間関係が上手くいかなくなることなんて数限りない。今でもそうだ。逆に言ってしまったことにより「この人は私の本音をしっかり知っている。何を言ったところで全く信頼など寄せてくれないだろう。何よりも結局会話をしなくなった。どうしようか。逆にお互いにストレスを抱えてしまっている」といったケースも少なくない。

 どうすればいいのだろうね。分からないや。

 とにかく言わないほうがいいと思うよ。

 狂うなら
 顔は見せるな
 ホトトギス

 ですよ。多分。

 頭が痛い。ツイッターでAIが描いたトランプ元大統領がタコを漁で捕獲し、調理し、バイデン大統領やオバマ元大統領、クリントン氏にタコ料理を振舞っている動画で笑い過ぎた。眼鏡を掛けている時に笑い過ぎると、こめかみ辺りがじんじんとして痛くなって来てしまう。軽く過呼吸だ。どうやったらあんなクレイジーな動画を見つけることが出来るのだろうか。

 ツイッターで笑いのツボが似ている人が、一人いる。その人とは関わってはいけないのだけれど、笑いのツボがどうも似ている。そのアカウントがリツイートした動画なり画像なりは心の底から、声を出して笑ってしまう。

 その人も現実を生きにくそうにしている。自分に正直になってまたフォローでもしようか。絶対にしないでね。私はその人に関わってはいけないから。ただたまにツイートを見るくらいで丁度いいんだ。

 それぞれ生きていきましょう。程々に生きて、たまにツイートを見て声を出して笑う。残念ながら笑いのツボがおかしいのか、結構な刺激が無いと心の底から笑えない。結構悲しい現実なのかもしれない。

 斜に構えた格好付けた人間とかは思わないで。もう何か特に今日は何も思い浮かばない。お風呂場では自分が有名になった後、芸能人から「おめでとう!」とかビデオレターみたいなのが送られるとか妄想してしまったけれど、ただ悲しいだけだった。リアルにそういう情景が浮かぶ分、余計に悲しい。統合失調症の妄想とかではない。どちらかと言えば発達障害の、勝手に自分の想像が豊かで、ものすごく繊細な描写でありもしない現実を思い浮かばせてくる。

 自分がTIME紙の「世界を動かす100人」に選ばれたとか勝手に妄想してしまう。何度も言うが、これは統合失調症ではない。誰にでもあるようなトリップ体験だ。「テレビで何かを言っていた」とかそういうことではない。全てを統合失調症に結び付けるようなことはしたくない。本当の統合失調症患者になってしまったことで、統合失調症の症状について嘘を言うような人間にはなりたくない。

 なぜか今日はプライドが高いような文章になってしまった。何でだろうね。会話がスムーズにいければいいね。明日から仕事だけれど、みそきんを食べたパワーか何かで乗り切っていきましょう。

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