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社会から外れ、記録する価値

 2022年11月4日(金)。21時37分。

 非常に疲れています。なぜ。

 ブログが意味ないというか、存在してはいけないとか、謎の思考に囚われています。

 2022/03/01から毎日続けていたはずのブログに自信が持てていない。

 職場で色んなことがありました。

 人生で初めて懇親会に誘われました。用事があって行けませんでした。しかし、今まで懇親会が無かったのはひとえにコロナのせいと分かり、パートタイマーの自分でさえ、障害者の自分でさえ、実はチームとして迎え入れてくれていたことを思い知り、仕事に対する姿勢だとか、そういうのを考えてどっと疲れてしまいました。

 社会に属していながら、社会に属していないかのように振舞う姿勢。言動。それらはこのブログに嫌というほど集約されていますが、それらが全て罪というか、失礼というか、いざ、現実であなたは社会に属している、と面と向かって言われると、自分勝手に言い続けたこのブログの存在そのものが罪のように感じてしまうのです。

 「そういう人が社会では大半なので、色んな小説とか、ツイッターのアカウントとか、LINEのアカウントとかがいつの間にか音信不通になったりするのですよね。こんにちは。年賀らせです」

 らせ。もっと言ってくれ。僕を救ってくれ。

 「なんか井上さんが被害者ぶっているように思われるのですが、大学四年生の頃の統合失調症の最中、ホテルに向かう最後の手紙みたいな感じで、『人はそうやって生きていくんだよ』三足みつあしミアシさんに言わせていたのと同じ感覚になっていますね。『神さまは文章力が低い』ですよ。覚えていますか。なんかそれに似ているのですよ。変化することを怖がらないで、流されるときは流されて、上手くいってしまったときは上手くいってしまったでそれでいいじゃないですか。

 人生の岐路に立って、どうしてもブログを続けることが出来なくなったら、ブログを辞めていいし。

 統合失調症の記録を綴ったブログを残しておきたいなら残しておくでいいし。

 自分勝手に生きていいんですよ。多分。

 ほら。こんな感じで『名言を並べました』みたいな感じで私が話してしまうと、統合失調症前の最期の日記みたいになってしまうので、縁起が悪いです。まさか本当に最期の日記になるとは、あのときは思いもしなかったのですが」

 僕が少し悲しんでいるのは、なんとなく始めた小説家になろうのほうのブログも、勢いを以って結構読まれているということである。noteで分かったように、一気に記事を出すのではなくて、小出しにして、とにかく継続することがなによりも大事と分かったので、長期的な目線で小説家になろうに出していったら、結構いい線いくんじゃないのかとか勝手に思っているところだ。

 ツイッターのフォロワーも軽く2000人を超えてしまったし。

 そんなことを言ったら一気にフォロワーが減りそうな気もするけれど。

 自分が続けてきたことに、少しでも成功の兆しが見え始めると、そこに希望を見出してしまう自分がいるが、それは、社会から外れた際の自分であり、社会の中で、人と現実で交流する中で新たな局面に出会ってしまうと、途端に社会の外で行ってきた活動全てが無意味というか、現実に悪影響を及ぼしてしまうというか。

 「それ、最初に言ったことと全く同じことを言っているので繰り返さなくていいです。あなたに一言、授けましょう。

 『何を言おうと、何を書こうと、現実は何も変わらない』

 これ、井上さんがツイッターで何回もつぶやいた言葉ですからね。『常識に反していてこれは書いて大丈夫なのか』とか『これを書いたらまずいんじゃないのか』とか、そんな気持ちになったときに、毎回つぶやいていた言葉です。
 もう一つ、あなたに言葉を授けましょうか。

 『井上和音に立場など無い。考えがころころ変わるが、それは考えている証拠です』

 あなたに立場なんてありません。何を言ってもいいんです。誰が言うかが大切であって、なんの立場も持っていないあなたは何を言ったところで現実は何も変わらないのです。

 だから、オーバーキルドレッドさんを模した、名前も付いていない誰かさんが過去に言っていたじゃないですか。

 『現実では、お前が井上和音であることを絶対にもらすな』

 と。

 自分が何で、どこに住んでいて、どんな家族構成で、どこに勤めていて、どん名前で、みたいな個人情報は、もらして一番何が悪いのかというと、あなたの立ち位置や立場が決定してしまい、《《発言する内容が一方的な攻撃であったり批判だったりで凝り固まってしまうことなのです。》》そうなってしまうと、私は井上さんに失望します。ブログなんてやめて良いと思います。書く価値はありません。他の誰にでも出来ることなので、あなたがする必要性はありません。あなたは《《井上和音》》でしょう? それだけですよ」

 こんな格好良く発言を書いてしまうと、本当に統合失調症でホテルに行き警察に取り囲まれてしまった過去を思い出す。それくらい心が弱っているのか。しかし、整理できたことはある。僕は僕で、変わっている、変わり続けているということは変わっておらず、安心して文字を打ちこんでも、現実は何も変わらない、というそれだけは安堵してもいいのかもしれない。

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