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【経済】自分が求めていた経済圏とはどういう世界だったのか?

 2023年1月29日(日)。20時27分。つけ麵を食べすぎて吐きそうです。

 そういえば、今日も朝早く起きることが出来ました。日曜討論の前に朝食を食べ終わるとは、高校生以来ではないのでしょうか。

 はい。こんにちは。井上和音です。

 色んなことがあったような気がする土日でした。

 終わるのが早いですね。

 公務員試験に落ちたこともショックというか、「身バレしているのでは」と冷や冷やしていますが、note のメンバーシップに3時間くらいの審査で楽々合格してしまったこともまた一興。驚き。5000円/月のサブスクって、いったい誰がそんなサブスクに手を出すのですか。多分、半分以上をnoteの親会社が持っていって、私の手元には、5000円のうち、2000円くらいしか入らないと思うのですが。

 というか。名言を集めようの会という名の会費5000円のサークルなんだけれど、記事の数は8つしか無いのだけれど。「これって努力しないといけないのですか」と、閉鎖病棟で出会った女性が判断に迷っていた図を思い出すけれど、自分も全く同じ感じです。努力したところでサークルに入るかたが増えるわけでもなんでもないと思うのですね。一日一記事更新、とか、新しい習慣を一日のサイクルの中にぶち込んでしまうと、恐らく、現実のパートタイマーのほうが耐えられなくなり、「私は何をやっているのだ。記事を更新して少しでもメンバーシップに入ってくれる人の数を増やしたい」とか思ってしまうのが見え見えというか。

 note のほうはお金に直結しますからね。カクヨムよりもずっとお金に直結しますからね。現実と理想の狭間で、理想のほうが徐々に近づいてきて、問題は理想が現実に近付いてくる一方で、現実のほうに我慢して座り続けることが出来るのか。多分そこらへんがかなりきつくなりそうです。

 名言を集めるために本を買ったりとか。同志社大学の頃に読書メーターでやっていたことを、また同じようにやればいいだけの話なので、ノウハウとか、全て知っちゃってるわけですね。めちゃくちゃ楽ですよ。それでやりがいもめちゃくちゃありますよ。楽しいですよ。神にでもなった気分になります。お金があったらすぐに本に使ってしまう毎日に戻ってしまいますよ。名言を探すために。もしくは知っている名言をもう一度、一言一句引用するために、本を買ってしまうという、とても自由で若々しい学生時代の自分が《正義》のように見えてしまいます。

 甘ちゃんだった自分が正義のように見えてしまいます。

 過去の自分を否定しないと、今いる現実に到底太刀打ち出来ません。こんなことに時間を使っていいのだろうかとか、ダメなことを考えてしまいます。

 時間は無限には無いのですけれど。お金もまた無限には無いのですけれども。

 それが夢だって言うのならば、時間がある時にちょこちょことメンバーシップの記事も増やしていけばいいのでは? というまた常識的な提案くらいしか出来ません。

 年賀らせさんも出てきませんね。黄金糖をなめながらお風呂に入ったのですが。現実で予想外な出来事が続き過ぎている。未来がまるで分からない。自分は弱小だから何を言ってもいい。何をやってもいい。そんな定義というか。そういう自由な定義というか。そういうものも無くなっていってしまうのでしょうか。

 どんなに書こうと。どんなに書こうと。変わらない現実があるから、平気で自分のことを「弱小」と呼べていたのですが、現実が変わってしまうこともあって、自分の思い通りにいってしまう瞬間とかも確かにあって。全てが、何もかもが自分の思い通りにいかないと仮定できたとしたら、そう仮定していたのですが、そう仮定してたからこそ、自分のことを弱小弱小と言える権利を有しているかのような、論理的には正しくても、道徳的には不道徳のような自己謙遜だったわけですが。

 何かが変わると、やらなくてはいけないことが少しずつ増えていくようで。それもまた怖いことではあります。こんな駄文を書いていないで、今、部屋にある本の中で、名言だと思われる本の文章を切り抜いて、メンバーシップの記事にしたほうがよっぽど、お金の面では、そちらのほうが理知的な気がしますが。結局、習慣にしている、文章だけのブログを書く、ということを手放してしまうこと。それもまた怖いことであります。

 正直に言うと、今の貯金額で、障害年金を貰いながら、親から学費と仕送りを貰いながら、同志社大学に戻ることが出来たとしたら、狂ったかのように引用をしまくると思われます。楽しいですもんね。何でも知ってる神さまにでもなった気分になれますし、自分の文章力とかも上がって良いこと尽くし、みたいな感じになっていって。どこまでも。どこまでも。愚直にただそれだけをやっていきそうな気がします。今からもやっていきそうな気がしますが。

 今からやればいいのか。現実と折り合いをつけながら。自分のやりたいようにやればいいのか。自分の思い通りに何事もいかない。計画なんて全て無駄。そう。計画なんて全て無駄。やったことそのものが、それだけが残り、そこに他人がワーワー言う世界が、今のインターネットがある世界のパラダイムなのかもしれません。

 やったことそのことだけに価値がある世界。やったことそのことだけに評価される世界。実は、自分が求めている理想的な経済的な世界とは、そういう世界のことなのかなと思ってしまいます。お金とか時間とか、そういうもので価値が決まる世界ではなく、目に見えるもの、形として残っているもの。そこにお金という価値が付くのが健全な世界なのかなと思います。

 何時間いたか、とかの時給制ではなく、何をやったか。何を続けたか。そこでお金の価値が決まる世界。もしかしたらそここそが、自分が求めている経済圏なのかもしれません。

 パートタイマーという現実に耐えていきましょう。

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