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ネット上のアカウントが、個体ではなく数値に見えてしまったら確実に友達は減る。

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 タイトルは「疲れて吐きそうだ」「吐きそうなのは食い過ぎのせいだ」「正職員さんたちはなぜ昼飯抜きで頑張れるのだろうか」のいずれかにするか、しないかもしれません。
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 残業の時間だけで、労基法が決められるのはおかしいような気がする。
 きついよ。でも職員さんはヤバイ。なぜそのパワーを大学受験などで注がなかったのかは分からないが、本当にヤバい。

 話しかけられないレベルでサクサクと、というかザクザクと物事が進んでいく。ストレスがこちらにも来そうなレベルでガツガツと進んでいく。

 今日は本当に職員さんは忙しかったらしく、年配のパートタイマーさんに「今日は職員さんには話しかけないで」と言われた。私は自分が福祉的に雇われていて、仕事ができるできない以前に、邪魔かそうでないかそれだけで実質は雇われていることを、なんとなくわかっている。誰も口にしないが、《《その場にいて邪魔をしないことが私の仕事なんだと自覚している。》》

 そして、それは統合失調症の、ゆったりとした動作しかできない状態と見事にマッチングしている。ストレスさえ無ければ、良い職場環境なのかもしれなかった。あと、同世代で話せる若い人がいれば完璧だが。実際には全員が既婚者である。

 考えてみれば、誰とも話が合わない。今日も黙ってポツポツとチェック作業を続けていた。人と話すのは大事なことだと思うけど、今日はヤバかった。誰とも話せなかった。

 これが人生なのだろうか。

 何故か知らないけれど、友達もどんどん減っていっている。また友達が減りそうになっている。原因は分かっている。ブログを毎日更新し始めてから、《《インターネット上にいる人がPV数にしか見えなくなってしまっているのだ。》》アカウントがPV数にしか見えなくなっているという、統合失調症になる前の私が陥った状態に、今なろうとしている。ツイッターで本物の友達がつぶやいているのを見ると、即座に「いいね」を押してみたくなる。それも連打だ。「ブロックしようかな」と空リプを送られて、「ああ、また友達が減る」と思った。多分そのうちその人からもブロックされると思う。

 人を個体ではなくマクロで見てしまう症状は、本当に孤独を創り出してしまう。自分のネット上のアイデンティティは誰にも見せないほうが得策なのではないかとようやく気付いたが、いや、気付いていたが、秘密を守っていたら統合失調症になってしまったのだ。

 ブログを書いて、人をマクロ的視点でしか捉えられなくなったとき、統合失調症は発症した。統合失調症になってしまう態度の遠因は、ブログへの発信かとも思ってしまう。

 全ての統合失調症患者がそうではないことを重々承知しているが。

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