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自分の行動基準を自分の為ではなく人の為に使う人。そういう人は日本語でなんと言うのだろう?

 2022年7月7日(木)。七夕。バタバタ。

 暑い。仕事がしんどい。普通には到底届かないことをいつもながら味わった。きつい。しんどい。アドバイスを受けている時も説教を受けていると勘違いしてよく分からない返事をした。午前中はなんであんなに元気だったのに、午後になってまるで反応ができなくなるのだろうかと不思議に思っていたが、いつも取るエネルギーバーを今日は取っていないことに気が付いた。

 何も、誰も、悪くない。
 悪いのは自分自身だ。

 なんでこんなにも体力が無いのだろうかと悲しくなった。普通には到底届かない。給料も生活保護以下。それで、世界の矛盾の狭間のなかをふらふらになりながら生きている。

 生きている。
 不思議なくらいだった。

 この暑さで大人は何故みな長ズボンのスラックスを履いているのだろうかと大学生活中に思っていたこともあった。

 今になって気付く。快適になるのを諦めていただけだと。
 それが日本の文化で、日本の常識で、一生夏は長いスラックスを履いて生きていくのか。

☆☆☆

 横やりが入ったので正気に戻って、ひとつ謝らなければならないことがある。
 かつて散々使っていた『アダルトチルドレン』の用法だ。
 アダルトチルドレンはヤングケアラーと一緒で、大人の役割を強いられた子供たちのことを指していて、大人なのに子どもっぽい性格をしている人間を指す言葉では無かった。

 正しくは『キッダルト』だ。
 もしくはヤングアダルト。

 キッダルトになると、大人なのに子どもの頃の趣味を続けており、その趣味に大金をかける人、という意味なので、「大金をかける」という意味で私とは違う。

 ピーターパン症候群でもない。いやいや言いながら暴れたりしていない。永遠に子どものような趣味を続けているわけでもない。

 当てはまる言葉が見つからない。「諦めた人」という意味の大人を表す言葉は無いのだろうか。

 ナルトの「いつ己を捨てた?」の言葉が一番しっくりくる。自分を捨てる。その言葉が一番しっくりくる。

 自分の行動基準を自分の為ではなく人の為に使う人。
 そういう人の為に自分に時間を使うことに諦めた人。

 そういう人って、日本語でなんと言うのだろう。

☆☆☆

 自分が熱中症で倒れそうになりながらも世界はいつも通り新しく変化して動いていく。

 遊戯王の原作者が亡くなったらしい。

 イギリスのジョンソン首相が辞任を表明したらしい。

 学校の給食では七夕ゼリーが出たであろう、あのキンキンに凍らせたゼリーが出て、まさしく夏の風物詩が出回っている頃、世界ではまた変化が起きている。

 中国でコロナが発生してから、世界中の変化が大きい。大きすぎる。スリランカは破綻したと聞いた。一度ギリシャが債務不履行になり、破綻して大ニュースになった時があったが今ではほんの小さな出来事のように扱われている。

 世界がそれどころではない。

 日本ではコロナの第七波が襲い掛かっている。重症者数が少ないが、熊本では1500人を超えたのが一番驚いた。福岡でも1800程度だったのに。熊本ってそんなに人口は多かったっけ? その前に沖縄か。2000人を超えている。重傷者が少ないのが何よりもいいことだが、後遺症にスポットライトが当たっている。コロナを重要視するな、という方針はテレビなどを見ていればだいたい分かるが、果たしてどうなんだろう。コロナにはなりたくない。なんの病気にもなりたくない。統合失調症だけで充分だ。

 耳鼻科で、鼻の通りを良くする薬をつけていつも寝ている。口呼吸で寝たら、私は眠れない。

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