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統合失調症患者の美徳というのは、非正規雇用と障害年金で細々と生活をしながら清貧を過ごしている姿を見せること。裕福になろうとした瞬間に社会の態度が一変します。

 2023年7月26日(水)。21時20分。休みの日。

 暑いので涼みます。

 最近自分がおかしいです。自分で自分のことを「変人です!」と。

 暑い。小休憩。

 21時34分。

 裸でずっと居た。やっと文字が打てるくらいまで体温が下がり、部屋も涼しくなった。お風呂に上がった後に書く習慣をやめようか。夏の間だけは。暑すぎる。

 幻聴もひどい。

 「聞いてない」とか聞こえてくる。「嘘だ」とか聞こえてくる。

 幻聴のことを書いていないで、自分がおかしくなってきていることを書いたほうがいい。

 自分がおかしくなってきている。最近は特に親近者への言動があまりにも横柄な態度をとっている。すぐ人の意見を否定する。むかついたらすぐに発言する。知能が低い。我慢が出来ない。本当にコンサータ錠を飲んでいるのか。コンサータ錠を飲んで発達障害や勝手に決め付けるようなとちる言動をしないように工夫できているのか。対策が出来ているのか。本当にコンサータ錠を飲んでいるのか。飲み忘れていないだろうか。

 幻聴で「知らないよ」と聞こえてくる。統合失調症で間違いないようだ。もう誰とも話したくない。今日も友人にLINEをしたのに。誰とも話したくないは嘘だろう。

 ここには何も書きたくなくなってきたが本音だろう。

 近頃本を読めていない。と書いたら「違う」と聞こえてくる。何が違うのですか。多分あなたが合っているでしょう。ここに書いたところで人生は何一つ変わりはしないのだから。

 最悪、マイナスの方向性には変わっていく可能性はある。

 服を着よう。

 21時47分。

 服を着た。お風呂上がりの服を触ってみたら汗でぐっしょりと湿気しけっていた。どれだけ汗が出ていたかがわかる。普通じゃない。「汗のことなんか聞きたいと思う?」と幻聴が聞こえてくるのだけれど、どうしようかねこれ。

 勉強とお金の話だ。

 私は20世紀後半の後半の末に産まれたのですが、私が生まれた頃には「子どもには教育を受けさせるべき」という社会制度が整っていた。当たり前のように教育課程というものが存在していた。

 そもそもが教育なんて人間には無いものだった。生まれた時から共同体の中で働いて、食う分の食料をこさえてこなければいけなかった。時代は昇り、お金が生まれた。お金を稼ぐことが生きることと直結していった。

 子どものまず最初にしなければいけないものはお金を稼ぐことだっただろうと思われる。お金を稼いだうえで、次はもっとお金を稼ぐか、もしくは、お金を稼いだ後の高級な身分にふさわしいように、高級な身分の中での会話に付いていけるように、書物を買って教養を身に付けるようになるのだと思った。

 これが本来の姿だろう。これが教育制度など無い社会における人間の本来の学ぶ姿だったと思われる。

 要は稼いだ後の娯楽として教養がある。稼ぐ前から本を読んでも特に何も身に付かないと気が付いた。

 もっと稼ぐためには本を読みなさい。自己啓発書とかではなくて、教養の本を。哲学でもいいかもしれない。経済学でもいいかもしれない。英語でもなんでも外国語でもいいのかもしれない。

 要は私は特に本を読むに値しない人間だったのではないかと思い始めた。読んでも無駄な人間の部類に入るのではと、客観的に見れば気が付いていたことをようやく気が付き始めたのかもしれない。

 悲しい。自分を蔑んでいるわけではない。今日のようにいくらでも時間があったはずの日も、畳の上でごろごろしていた。ラテン語だろうと古典ギリシア語だろうと中国語だろうと、フランス語だろうといくらでも本は転がっている。

 それを能動的に読みたいと思わなくなってきたのか。これが本来の私の姿だったのか。もうちょっと稼いでから、自分が上流階級にでも参加する可能性が出てきたら本を読んでみればいいと思い始めた。

 そんなことを言っていたら一生本を読めずに終わりそうだ。そうだ。終わっていいんだ。お前の生きている価値など無くて、テレビから発せられる娯楽やスマートフォンから流れてくる娯楽を延々と循環していけばいいのだ。お前なんてその程度だ。ようやく気が付いたかい。本なんて読んでいるとうつ病にでもなっちゃうよ。ほら、本を読んでいないから出費も特にかさんでいないじゃないか。

 君なんて。その程度。

 「やめたほうがいい」とか聞こえてきたね。そうだね。やめないよ。なぜかと言うと馬鹿だからだよ。やっても意味がないことを誰もが知っているのに、一度続けたことはやめてはいけないとか強迫観念に駆られているただの馬鹿だからだよ。やろうとやめようと変わりはしないのに。誰も読んでなんていない。これは誇張表現では無くて、実際のPV数を見て言っているよ。2PVか。意味ある? 無いよ。

 統合失調症なんだってね。なんで自分から白状したの。この世には統合失調症患者は何も管理できないという社会風土がはびこっているし。事実だけれどね。統合失調症患者になって有利に働くことは、周りのみんなが勝手に助けてくれることだけだよ。障害年金とか。被害者面してお恵みを得ていることが統合失調症患者であることのメリットだったのさ。残念ながら本当で事実だ。これを言われて不愉快に思われる障害者の方もいるのかもしれない。しかし、統合失調症患者が勝とうとすること。稼ごうとすること。管理しようとすること。上の立場に立とうとすること。その瞬間に社会の目は一斉に批難の方向へとかじを取る。「私たち《《健常者ですら》》勝てていないのに、なに統合失調症患者が勝とうとしているの。なに戦略とか立てようとしているの。少額の賃金で働きながら、負け組だけどみなさんのほどこしのおかげで細々と生きています、とかいう生活スタイルが統合失調症患者の美徳の有り様なのさ。なに勝とうとしているわけよ。障害者が勝ったら障害者じゃないでしょ」

 とまあ、こんな感じで。

 何故か知らないけれどよくこんな文章を打てましたね。

 障害者に対する見方はこうでは無いのかもしれません。ただ私が卑屈なだけなのかもしれません。ただ、私が統合失調症患者で無ければ、統合失調症患者が成功したら異常に嫉妬すると思います。統合失調症患者は非正規雇用が精いっぱいだよと言ってやりたくなります。多分、同じことを心の底では思っている、統合失調症患者と一緒に働いている、直に触っている人なんかはそう思っているのかもしれません。

 さて。

 「統合失調症ではないあなたは勝ち組です」というかつてのキャッチコピーのような雰囲気が出てきましたね。どう足掻いても統合失調症患者は統合失調症から抜け出すことは出来ません。一度統合失調症の烙印を押されたら、一生統合失調症患者です。障害年金という、甘いけれど、別に大金でもない。だけれどもそれを一度受け取ったら最後、ここまで楽にお金が振り込まれてくるシステムも他にはありません。年金。一時的な給付金ではなく、一生涯を支えてくれる支援金。政府認定特別給付金。これはこれは、甘い世界。ああ。これを元手にもうちょっと贅沢しようと投資などするのか。事業でも始めるのか。事業を始めるのはやめたほうがいいですね。あなたは働かなくていい存在にいるのに、なぜ自分から自分に責任を負わせるかのような世界へと入ろうとするのですか。あなたは苦労しないで我慢する世界で生き続ければいいのです。障害者でしょ。統合失調症患者でしょ。統合失調症患者。とうごう。とうご。

 さて。

 ツイッターでも最後に見て終わりましょうか。

 「古物商は6ヶ月営業しないと取り消されるのですね。知りませんでした。」

 そもそもが古物商が許可が下りるかという話です。古物商許可というのは、言ってみれば警察の出先のようなものです。盗品がお金になることを防ぐために作られた古物商と言う名の組織になります。古物商が引越しをしたら14日以内に届け出を出さないといけません。出さなかった場合には罰金10万円です。正直に古物商として申請を出したほうが警察とガチガチのタッグを組むことになります。古物商で不正なんてしたら一発でアウトですよ。警察署内でパトカーのランプを盗むようなものです。古物商と言う名の監視員なのですね。

 そもそも許可が下りますか。許可が下りたらやりたいことは、まあ、あります。やりたいことというよりも、やらなければならないことが一つ二つあります。下りてからやればいいのですけれどもね。

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