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田舎は『忙しいアピール』をする人が勝つ世界。結果は二の次。私は負け組。

 雨でどこかに警報でも出てないかと思ったけど、NHKは平常通り動いていた。

 雨の中、なんの楽しみも無く満員電車に乗り込み、雨の中、カッパを着て帰ってくる。すごくつらい。というか虚しくなる。「人は自ら問題を創って、それを解決することで人生の虚しさから己を守っているのだな」と発見した。人が仕事をしなくなったなら、おそらくひきこもりやうつ病患者は増大するだろうと思われる。何もしないと鬱になるのだ。

 統合失調症である。私は統合失調症で精神障害者保健福祉手帳2級を所持している本物の精神障害者である。それが雨の中、高校生のように自転車で帰ってきて、親は何も言わない。それどころか「初盆だから子供は金を出せ」だの「早く正職員にならないとどんこんいかん」と言う。まず「雨の中お疲れ様」くらい言えと思った。

 何も楽しくない人生。何も楽しくない実家。ここが京都ならば、京大病院西病棟にまた移り住んでいただろうか。

 ないか。

 私にとって幸せとは、薬物依存でしかない。それ以外の幸せが、何もない。

 言い換えるならば、それほど、トラマゾリンで鼻が通ること、コンサータで眠くない中で作業をすること、そこに、人間を狂わすほどの魅力が詰まってしまっているということだ。

 問題を解決したときに、人は幸せを感じるのだろうが、「果たしてその問題は解決するべきものだったのだろうか」と考えてしまうと、途端に虚しくなる。人の替えはいくらでも利くというのが、パートタイマーの立ち位置だし、家庭内の精神障害者の立ち位置だろう。死にたくはないが、死んだところで泣きもしないだろうと思う。私がリスペリドンを飲み続けてしまったために、「泣く」という感情を失ってしまったのと同じように、私はただお荷物なそれだけだ。

 なにかの役に立つというのが人間の真価ならば、文学部なんてなんであるのだろう、と思ったのと同時に、パートタイマーってなんのためにあるのだろう、とも思う。頑張ったら、頑張った分だけ、その人は幸福感を得るだろう。知っている。「自分が忙しいことを誇りに思っている」種族は人類の中でもかなりいる。そういう人たちに私は囲まれているため、《《仕事を省く》》という考え方をすると、一斉に怒られる。「それはなまけだ」と言われる。怠けて何が悪いのだろう。結局、忙しいアピールをしたい人は何かを恐れているように思われる。それは教育によって徹底に叩き込まれた「無駄なことでも一生懸命やる根性が大切」という田舎独自の理論ではないのかと思われる。

 仕事を省きまくったおかげで統合失調症になったのだが。
 この世はバランスが大事だ。
 今は、薬のおかげでバランスが良い。

 結局、私は怠けものの負け組なのだ。

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