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ちょっとした哲学的な「因果性」の話と、ポケモンgoフェスト2022一日目に行ってきました。

 タイトルで報告終了。んなわけないけど。

 実はここ最近、不眠症が続いておりました。10時半くらいに布団に入り、眠れなかったらヒーリング音楽を流して、ぼーっとしていて、ふと時計を見ると午前零時半を回っていたり。仕事でのストレスかなとか勝手に思っていました。

 しかし、昨日、2022年6月3日。次の日は別に仕事でもないのに全く眠れませんでした。「遂にレンドルミン錠に救われる日々は終わったか……」とか思っていましたが、以前私が書いた記事『【不眠症:提案】眠れない時の対処方法。これをやることでインプットが強制され、より豊かな人生を送ることができるメリットも含まれている。』(https://kakuyomu.jp/works/16816452221466841294/episodes/16816927861519162087)を実際に私がやってみることにしました。過去の自分に教えてもらう感じですね。

午 前零時半、遅すぎたかもしれませんが『現代哲学のキーコンセプト 因果性』を読んでみました。「哲学ってこんな感じだったな。常識よりも可能性を探る学問だった」みたいに感じました。高度な哲学は数学の論理学に似ていると思いました。難しいのは専門用語だらけであることのみで、論理は大して難しくないです。数学では無限に対して「強い」「弱い」という表現が無限を扱う際には使われると思いますが、哲学の因果性に関しても「強い因果性」「弱い因果性」が用いられるのだと知りました。哲学では可能性を全て排除しないために、例えば「人が死ぬのは、人が生まれたからだ」という命題と「人が死ぬのは、老衰のためだった」という命題では前者は直接的にどれだけ関与するのかを考えた時に「弱い因果」と見なすことができ、後者では「強い因果」と表すことができます。常識的に考えれば「弱い因果」のほうは因果と見なされない場合が多いし、そんなことを言ったら「あらゆる事象が因果になってしまう」と学問が崩壊しかねない事態に陥るわけですね。しかし、哲学ではどんな事象だって関係性だって無視をせずに命題として提示するわけです。

 と、まあ長々と因果性を書いてしまいましたが、面白くなければ飛ばしてもらって構いません。本当に書きたいのは次の日にちゃんと起きれたことと、ポケモンGOフェスト2022 一日目に行ってきたことを書きたいのです。

 ポケモンGOフェスト一日目、行ってきました。田舎の運動公園で、意外とマスクをしている人が少ないことに驚きました。まあ、暑かったですしね。

 結果。一番欲しかったのはカイオーガの色違いでしたが手に入れることはできませんでした。残念! というか、カイオーガのゲットチャレンジで普通のカイオーガを2匹も逃してしまい、精神が参りました。お昼ごはんも買っていってたので、おにぎりとお茶とポカリスエットを飲んで、運動公園をうろちょろしていました。

 色違いは、ノコッチ、エビワラー、ギアルを新しく手に入れました。グラードンは色違いを既に持っていたので、レイドがグラードン一色になったときなんかは、軽く絶望しました。

 カイオーガとグラードンのあの使える差は一体なんなのか。カイオーガのほうが明らかに強い。

 と、やりたいことをやったことで、満足した一日となりました。午後六時まであるみたいですが、午後三時くらいで帰りました。モンスターボールが不足しているのと、かつてコミュニティデイで捕まえ、既に持っているキャラの色違いがたくさんいたので、あんまり長居しても意味ないなと思い、途中で帰りました。

 楽しかったです。
 明日、2022年6月5日も楽しみたいと思います。

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