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時代は”競争”から”共創”へ――そんな未来型ビジネスのカタチを感じた一日

先日の投稿でご紹介させていただいた私の若かりし頃の思い出の場所。もう一つの思い出の場所として、新宿サザンテラスがあります。
 
都市開発の一環で造られたサザンテラスには、高島屋や日本初上陸だったクリスピー・クリーム・ドーナツ、エディー・バウアー、フランフランなどがあり、待ち合わせ場所としても有名だったかもしれません。私が西新宿に通勤していたのは既に10年以上前。そんな時の流れを感じさせるかのごとく、いくつかのショップはクローズしていました。
 
この地にオープンしたセンチュリーサザンタワー20階にあるホテルラウンジは、もう一つの私の隠れ家的なパワースポットでもあります。
 
パノラマに広がる窓からは、東京タワーやスカイツリーを一望できて、訪れる時間や気候によって眺めが変化します。この景色が大好きで、気分を一新したいときや、落ち込んで自分に喝を入れたいときなどに立ち寄って、窓の外に広がる街並みを眺めていました。
 
1月中旬、そんなもう一つの思い出の場所で、お声がけくださった20代の起業家の周さんにお会いしました。
 
LinkedInで知り合った周さんと私は共通点が多くて、とてもお若い方にもかかわらず、親近感を感じていました。
 
同じヘルスケア業界出身で、ともに医療機器を扱う企業に勤め、同じ循環器領域を担当していました。循環器領域は主に心臓や動脈などの循環器全般を取り扱い、日本の三大疾病の心疾患を含むことから、医療の中でも技術革新が活発な重要課題とされる分野です。
 
ヘルスケア業界では、どんな仕事に従事していても、「人々の命を守る」という同じミッションに向かって仕事をしています。異なる企業にいても、まるで連合軍のように会社の枠組みを超えて、医療に貢献するために連携して協力することが多い業界でもあります。
 
使命感に溢れた業界であるために、すべての会社は企業理念が根付いた環境であることも特徴的で、パーパス(存在意義)、ミッション(使命)、バリュー(共有する価値観)について、入社当時から社員教育を受け、自分たちが何のために仕事をするのか、その仕事によって、どんなことに貢献できるかについての共通認識を持ちます。
 
そしてもう一つの共通点が、ともに10代の頃から異国で苦労した経験があること。私はアメリカへ留学し英語圏での社会への順応に悩んだ経験があり、周さんは中国から日本へ家族で移住し多感な時期を過ごされました。
 
中学生時代に日本に来られた周さんは、全く日本語ができなかったにもかかわらず、高校受験に間に合うように日本語をマスターしながら勉学にも努め、一般の日本人と同じように受験し入学されたそうです。さらに大学受験も同じように受験して、日本語で学ばれて卒業されました。
 
当時のお話を周さんは笑顔で振り返ってくださいました。そこまで辿り着くために、どれほどの努力を重ねて来られたか、悔し涙をながした日も多かったのではないかと思うと、想像を超えた壮大な世界に身の引き締まる思いがしました。
 
心理学の世界などでは、成長のためには変化を恐れずに“コンフォートゾーン”を超えていくことが必要といわれますが、きっと普通の人の何10倍、またはそれ以上の成長の機会をこれまでの人生で重ねて来られたのではないでしょうか。
 
だからこそ周さんのお話は、とっても示唆に富んでいて、思わず「お姉さま♡」とお呼びしたくなってしまうくらい(笑)。
 
お会いした午後の日差しから、夕陽が沈んだころ、窓の外には美しい夜景が広がっていました。ご自身のビジネスの未来を語る周さんの瞳は、パノラマの夜景に負けないくらい、キラキラと輝いてみえました。
 
世界中がコロナ禍に見舞われて、VUCAの時代を迎え、大変革を余儀なくされた昨今。これまで以上に複雑性が増し、予測困難な新たな時代へと突入した社会の中で仕事をしていくためには、“確固たるビジョンとともに前進してくしなやかさを持つこと”だと日々痛感させられていますが、それがいかに大切であるかを改めて感じました。
 
今年年初に、周さんはこんな言葉で新年の抱負を投稿されています。
 
2022年、
私は日本と世界を繋げます。
日本と世界を繋げる仲間を増やします。
日本の若者にグローバルに働ける機会と希望を与えます。
 
今回の出逢いを通じて、周さんのようなリーダーシップ溢れる方が、次世代の日本を支えていかれるのだなと、つくづく感銘を受けました。これからもコラボレーションのカタチでご一緒させていただけたらと思います!

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