数字って「宗教」?

なんでもかんでも「数字」に置き換えて、近代人は「可視化」が好きだな〜と常々思う。製造業を経営しているので自らもその行為を止められないのだけれど。

先日、長男との会話で(発端は違う話)
私: 「味」と「匂い」の体験はまだデジタルだけでは難しいわね
長男:「匂い」はできてるはず
私: それは「プリンター」のような機能をもったサブマシンが必要だよね
長男:「う〜ん」
私: でも「味」、特に「糖度」はお店で表示されるようになったから、
   経験値があがれば、「数値」からどんな甘さか想像できるように
   なるんじゃないかな?
長男:個人差でない?
私: そもそも「味覚」「嗅覚」その他、全て個体差あるよね。

私: 最近、数字って「宗教」みたいだなって考えているの。
  「数字」が「正しい」と信じている。
   存在を数値化する=「絶対値」が発生すると「相対関係」が生じ、
   それは人に「安堵」や「不安」を同時に与えることになって、
   我々はそれらにしがみ付いたり、克服しようとしたりする。。。。
  「理論」がさまざま生まれるのはその戦いの産物なのかな。。
長男:心の声(母は考えるのが好きな面白い人)
私: 心の声(息子よ、社長って否応なく学びを詰め込まれるのだ。)


もっと勉強して、経験して、考えを深めたい。
まだまだ旅の途中。



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