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はじめまして|自己紹介|note始めました

はじめまして。井上博美(いのうえひろみ)です。

2021年6月に丸24年住んだ香港から帰国しました。その前から海外にいたので、人生の半分以上は海外にいたということになります。

家族は香港に住んでいますが、わたしは現在、日本に基盤を移しています。これからいろいろと書いていく前に、自己紹介をさせてください!


▪️プロフィール

生まれも育ちも大阪
・バレーボールに明け暮れた学生時代
・バブルがハジける頃、大手百貨店がはじめての仕事。

生きづらさを覚えて海外へ(1994〜)
・オーストラリアへ
・バックパッカーで世界一周を目指す
 その途中に立ち寄った香港で後に伴侶となる人に出会う

結婚のため香港移住(1997〜)
 ・遠距離恋愛ののち結婚。香港へ移住
 ・ふたりのこどもを授かり専業主婦として過ごす
 ・30代ブランクありからの香港での再就職
 ・ダメダメ新人からバリキャリへ
  週の半分以上は、香港にいないお仕事中心の生活。週末は家族時間。

日本へ長期帰国(2021〜)
・女性キャリア支援にて創業(大阪)
・キャリア、起業コンサル、ビジネス支援を個人向けに行う。司会、セミナー等も依頼に応じて行い。2024年からは法人向けサービス開始。  

▪️生きづらさを覚えたバブル終末期

時は、バブル真っ盛りという時代を少し過ぎていた頃、あこがれたはずの賑やかで煌びやかな世界に辟易としていました。多くの人が着飾り、これでもかというほどの装飾品を身につけ、贅沢な暮らしを送っているように見えました。現に当時付き合いのあった方々は、そんな生活をしていて、わたしもそんな世界にも顔を出していました。

当時のわたしが勤めていたのは大手百貨店。お客様サービス課という百貨店の顔と言われた受付やエレベーター勤務(今は死語?)をしていました。一流のプレタポルテのデザイナーがデザインした制服を着て、帽子をかぶり、手袋をし、パンプスまで提供され、綺麗に着飾っていました。メイクや姿勢、言葉使いまで講師から学び、表はそれなりに見えたでしょう。でも、なぜか、そんな見えるところを綺麗にしても、ちゃんとしても空虚さを覚えていたのが、本当の自分の姿でした。

▪️違う世界を見てみたい

漠然としたこの閉塞感から飛び出したい。自分を変える何かに出会いたいそんなことばかり考えていました。そんな時、偶然に出会った書籍の中の画像オーストラリアの赤い大地、底抜けに青い空と海に惹かれて、「この眼で見てみたい!」と思うようになりました。同時期に、社内の先輩が外国から来たお客様を流暢な英語で対応しているのを見て、決心したのです。「オーストラリアに行って、見たことがない景色を見る、聞いたことがないものを聞く、体験したことないことをする!!」と。

それからは、着々と準備を進め、1年後退職。オーストラリア行きのチケットだけ購入して、到着後のホテルも何も決めずにとびブリスベンに飛び立ちました。

▪️「ありのままでいい」と感じた多様な価値観

ー英語もろくに話せないのに

ブリスベン空港到着。英語もろくに話せなかったのに、よく何も決めずに行ったものだと今なら思います。下調べだけはしっかりし、熱い想いだけで行きました。

「すべての選択も責任も自分。」という、自分を試す環境に身を置きたかったのです。当時は、ネットもスマホもない時代。「地球の歩き方」だけがわたしの情報源でした。

到着したブリスベン空港から市内行きのバスを見つけ、市内では案内所でホテルをとりました。実は、それだけでも大変なことばかり。なんせ、英語は知ってても、話せなかったんですから。案内所で予約したホテルまでの道中は、重いスーツケースを引っ張りながら、ブリスベンのビジネスマンたちの早朝の出勤時間の人混みに逆らうように歩いていました。しかし、いくら歩いてもホテルは見つかりません。道に迷ったのです。

そんな時、汗だくになっているわたしに、ひとりのオーストラリア人が声をかけてくれました。「このホテルは、少しわかりにくいんだよ。」そう言い、約10分ほどのホテルまでの道を案内するだけでなく、重いスーツケースを代わりに運んでくれたのです。このことは今も忘れもしません。到着日1日目から心優しい人に助けられたオーストラリアでの初日でした。

ー出会いの中で

その後は、自分で現地の学校をいくつか巡り、「ここ!」と思うところに決め、語学学校に通い英語の勉強に没頭。その間にさまざま国籍の多くの友達が出来ました(今も数人とは関係が続いています)。年下の台湾人学生にバカにされた英語も上達していきました。久しぶりの学生生活では、嫌いだった英語が楽しくて仕方なくなっていました。

その後、バックパックを背負い、半年ほどかけてオーストラリア1周の旅に出ました。ガイドブックには載っていない、現地でしか得ようのない情報を元に未知の世界を冒険し、そこで出会う様々な人たちと過ごす時間、会話は、今まで見ることのなかった世界が広がっていく瞬間でした。

そして、旅は続き「世界一周の旅へ行こう」とオーストラリアを出ました。その途中で香港に降り立ったのですが、今の夫と「クレーマー」として出会っています。笑

Australia Out Back

ー自分は自分でいい

海外のさまざまな場所で多様な価値観、外見、言葉、生活に触れ合っていく中で「こうあらなければいけない」と日本で凝り固まっていた自分の価値観はすでに大きく変わっていました。

日本にいたときは、世間の目を気にしていたり、本来の自分に自信が持てなかったり、自分でいろいろ制限をかけていたことに気がつきました。

「多様な価値観があっていいんだ。正解なんてない。自分は自分でいい。」

▪️香港返還の年に香港へ移住


わたしが香港に移住のために渡った時は、まさにイギリスから中国へ香港が返還される年でした。7月1日のあの日は、夫と返還式のテレビ中継を見ながら、少し感傷的になりながらも、これから生まれてくる新しい命のことを考えていました。

その後は、2人の子供を授かり、しばらくは育児に専念。母としてとても幸せな時期でした。夫の家族は大所帯でありつつ、複雑でもあったので、あまり人が経験できないことを経験しています。今となっては、ネタの宝庫でしかありませんが当時は大変でした。笑

そんなある日、夫が働けなくなり「夫が働けないなら、わたしが働こう!大黒柱になろう!」と香港で再就職。その後の人生の方向性が大きく変わった時でした。また別の機会に書きますが、何のキャリアも自信もないひとりの専業主婦だった女性のひとつのサクセスストーリができました。他の人と比べてというのではなく、自分にとってのサクセスストーリーです。笑。(いつかNOTEでも書いていきますね。)

香港はわたしにとって、愛すべき人たちが住み、わたしを育ててくれ、多くの人たちと出会わせてくれ、考えられないほどの機会をくれた第2の故郷。嫌いな部分、悪い部分も含めて愛しています。この話は尽きることがありません。今までも、これからも。

Hong Kong 

▪️後悔したくないから日本帰国!?

さて、多くの海外在住者にとっていつも心にあるのは、日本にいる家族のことではないでしょうか?わたしも長い海外生活の中で、23年前に弟を、そして、7年前に母を天国に送り、「最期の時に会えなかったこと」「もっと時を一緒に過ごしたかった」という後悔が少なからずとも残りました。もちろん自分が選択してきた人生を悔やんではいません。でも「もっと何かできたのではないか?」という思いが払拭できなかったのです。

仕事は「一緒にやらないか?」と声をかけられた大手日系企業の新しい海外合弁会社をつくるメンバーとして意気揚々としていました。そんな中風向きが変わり始めたのです。

・日本で大学に行っていた息子が実家の家を就職のため家を出ること
・そのことで、高齢の父が一人
・娘が香港の大学を卒業すること
・こどもたちが社会人になるタイミングだった
・前年に香港で起こっていた大きな社会変化(国家安全法etc)。他に居住地を準備してもいいかも。という思いが芽生えた。
・父を一人にしたくない。そのことで、後悔したくない

この想いを家族と共有し、コロナで厳戒態勢が取られていた大変な時期での日本帰国を決めたのです。

定年までいる予定だった会社にも了解を得て、引き継ぎに6ヶ月をかけ退職しました。「日本に帰国するならウチで働かないか?」と声をかけてくださった方もいたのですが、それであれば、父を看ることができないと、丁重にお断りをさせていただき、起業しようと決めたのでした。

▪️久しぶりの日本。そして、起業

2021年6月中旬。コロナで思うように行動、計画ができない中での帰国でした。自宅隔離の期間が終わり、日本での生活の基盤を少しづつ整えていきました。しかし、一時帰国で帰ってきていた時と暮らすのでは、まったく違うもの。慣れるまでしばらく時間がかかりました。

同年9月に女性向けのキャリア支援をするために開業届を提出。個人事業主としてスタートしたのです。キャリアアップや起業したい方、目標達成などの100%働いている女性の方がクライアント様でした。そして、法人様にお声をかけていただいたことをきっかけに、2024年から、法人向けにも支援をさせていただくことになりました。

今やっていること

現在、ビジネスプロデューサーという肩書きとともに、海外進出、人材育成、組織開発、女性のキャリア支援をしています。正確に言うと、今年から本格的に始めました。

正直なことを言うと、もともとは、この仕事をするとは全く思っていませんでしたし、どちらかといえば避けていました。というのは、海外でお会いしてきた方々は、本当にすごい人たちばかりで「わたしなんてあの人たちと比べたら全然ダメ。」と思ってたし、当時の仕事での相当なプレッシャーで、香港を離れたなら、全く今までとは違う仕事に携わろうと考えていたんです。

でも、「海外ビジネス」のなんぞやをリアルに現場に踏み込みながら、経営者の側でも働かせてもらい、幅広く仕事をしてきたので、それなりの経験とノウハウは持っていたんですよね。仕事をすることは大好きで、人にも恵まれてきました。

今は、こうやって海外と関連のあるお仕事、直接関係はなくともグローバルな経験を活かしたお仕事の依頼をいただいています。

オフィス飛躍

▪️これからやること、やりたいこと

ーNOTEでは

・わたし個人の海外での経験などからの気づき、お役立ちetc
・海外進出のこと、ビジネス・仕事のこと、人材育成、キャリア
・香港・中国華南地域情報
などを発信していく予定です。

ー仕事では

・2024年 今までの個人対象のみサービス展開から法人様にもサービスの提供をしていきます。海外進出支援やビジネス、人材育成、組織開発などの実質的な支援と経営者の心、また、セーフティーゾーンとして伴走者となり、企業の前進に貢献していきます。
・個人のご支援も引き続き行います

ープライベートでは

・趣味の筋トレでボン・キュッ・ポンになりたい。
・海外在住の友人とヨーロッパで落ち合う。
・読みたい本を読み・好きな映画を観る!
・家族で団欒を大切に

▪️最後に

はじめて書くにしては、随分長いものを書いてしまいました。
ここまで、読んでくださってありがとうございます。

これからも、お付き合いいただけましたらすごく嬉しいです。

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