外の世界に強い刺激を求めるのではなく、小さな物事から世界をそこに見出す
自分に対して「なんて、“普通”なんだ。」と思っていたことを以前に書いたが、
春樹さんもそれほど変わった育ちや経験をしたわけでもなく“平凡な少年時代”を送ったらしい。
戦後の混乱や革命も経験していなければ、飢えや貧乏で苦しむこともなく、穏やかな郊外の平均的な勤め人の家庭で育った。特別に幸せというわけではなく、ひどく不幸ということもなく、学校の成績も良くも悪くもなく、これといって特徴のない"平凡な少年時代"を送ったと書かれている。(『職業としての小説家』ハードカバー本P121)
世界の村上春樹と僕を並べてしまっては申し訳ない気もするが、どことなく自分に似ている感じがして共感を覚えた。「あぁ、わかるわかる」という感じで、少しうれしくなったりもした。
そんな春樹さんが二十九歳のとき、「小説を書きたい」と思った。しかし、特別な経験をしているわけでもなく「これだけは書いておきたい!」と思うようなテーマや材料が見当たらなかった。
そこから春樹さんは「特に何も書くことがないからこそ」の書き方を編み出していくわけですが、それと対象的なのが、誰もがその名を知るヘミングウェイ。彼は強い経験をベースに小説を書いていくスタイルだったようです。
それに対して春樹さんは「とくになにもない」を起点として、小説を書くしかないと思い至ります。
「強い経験・重いテーマ」を自分のなかに持ちあわせていなくても、自分の日々の日常のなかにある出来事や光景、出会う人々をベースとすればいい。春樹さんがこう考えていると知ることは、自分を「”普通”の人」だと思っている人間にはある種の救いになる。
ここから思い出したのがジブリの宮崎駿監督の言葉。
なにも遠くまで「世界でなにが起きているのだろう」と見に行かなくても、自分の周りにある世界を観察していけば、世の中で何が起きているのかもおおかた見えてくる。そういった意味だろう。この記事は、ジブリの「職場としての雰囲気」を大切にしていることが伝わってきて面白いので、ぜひ読んでみてほしい。
その昔、NHKで「驚異の小宇宙 人体」というタモリさんが進行役をつとめる番組があった。NHKアーカイブで視聴することができ、YouTubeでも一部を見ることができる。
正直、中身をしっかり全部見たわけではないが、人体の内側を探っていく旅は、たしかにまるで外側にある宇宙を探索していくようだった。
それは先述の「外側の強い刺激」を求めて外へ向かう意識と「日常のささいな出来事」から内側へ向かう意識の対比で、矢印がまったくの逆であるように見えながら、それがぐるりと一周していくと、結局はどちらからのアプローチでも世界が見えてくることに近い。
外の世界に強い刺激を求めずとも、小さな物事からそこに世界を見いだすことができる。小さな出来事からでも、この世界の素晴らしさや面白さを見いだしていくことができる。小さな世界に宇宙を感じるような視点。それこそが人生を豊かにもする。
面白い芸人の周りだけに、面白いことが起きているわけじゃあない。切り取る"視点”が面白いから、それが面白くなっている。
鋭い感性を持つアーティストも、心に響く言葉を生み出すコピーライターも、”普通の日常”を過ごしている。しかし、そこにある自分にとっての小さな”さざなみ”に遭遇したときに、それをスルーして流してしまわずに、ふと立ち止まって考えてみる。「これは、いったい何なんだろう…」と。
”普通”と聞くと、ほぼ日の糸井重里さんの言葉を思い出す。コピーライターとして時代を築いてきたといっていい糸井さんは、僕らから見ると「すごい人」。“普通ではない”鋭い視点とそれを表現する言葉の力を持っている。しかし、糸井さんは「普通であること」について、こう語っている。
自分の”普通さ“に辟易して、”あの人みたいになりたい”と思ってしまうことがある。
でも、目を向けるべきは、
いまここにある日常。
そこにいる自分。
自分が感じていることを、つぶさに見ること。
どうやら、それでいいみたいです。
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