『鬼滅の刃』は動画配信サービスの普及で映画館へ引火したが、それならNetflixで『太陽を盗んだ男』(1979年)を鑑賞できるから、日本の映画が喪ったものを見届けよう。

 1980年代、90年年代、00年代にかけて西麻布(といっても僕の住んでいるあたりではなく、住所はほとんど六本木に隣接)に「ホワイト」という知る人ぞ知るバーがあった。僕より5歳ほど年長のママのミィー子さんは姉御肌の美人で、客筋は出版系からテレビ・映画系、作家や(大人の)芸能人が多かった。
 このバーは30年ぐらい存在した(僕の30代半ばから60代前半まで)。ママは酒浸りの日々でついに糖尿病になり、最後は眼底をやられ盲目になり仕込みは助手の男の子に任せながらそれでも5年ほど続けてたが肝臓癌で亡くなっている。
 イラストレイターの黒田征太郎が壁に即興の落書きを、ジャズピアニストの山下洋輔が勝手にピアノを叩いたりしているアナーキーな場所だった。
 ビートたけしにも、井上陽水にも、その他もろもろもいちいち憶えていないが、僕はここのカウンターで並んでいた。
 いろいろな人物が行き交ったが、今日はひとつだけ、あるシーンを思い浮かべている。
 長谷川和彦という人物である。沢田研二主演の『太陽を盗んだ男』が上映されたのは1979年だった。
 僕は当時、この作品を見逃している。売れないころで四苦八苦していたから映画など観ている余裕がなかった。今回、僕はNetflixにその作品があると知り、木曜日の夜に、また彼の処女作『青春の殺人者』(1976年)を昨日、金曜日の夜にAmazon primeで観た。
 長谷川和彦は生涯この2作しか撮っていない。年齢は僕より1歳上なだけだから、30歳以降、彼は何をやっていたのか、である。
 結論を言うと、長谷川和彦は監督として才能があったが、その才能をその後に発揮できず腐らせてしまう。
 『太陽を盗んだ男』は、中学の理科教師(沢田研二)が東海村の原発施設に潜入しプルトニウムを強奪し原子爆弾を製造、国家をゆするという物語である。発想がおもしろいし、当時の日本映画には見られないハリウッド並みカーチェイスまで見せ場もよくできていた。
 ある日、「ホワイト」のカウンターでバーボンを呑んでいると、後ろのボックス席で野太い声が聞こえる。ママが「あれはゴジ(長谷川の通称)だよ」と言った。
 集まっていたのは、1982年6月につくられた若手監督9人による企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」(通称ディレカン)の連中だった。メンバーは大森一樹、相米慎二、高橋伴明、根岸吉太郎、池田敏春、井筒和幸、黒沢清、石井聰亙でそのうち何人いたか憶えていないが5〜6人だったように思う。
 長谷川が独りで檄を飛ばしているだけで、みな少し歳下でもあり叱られているようにおとなしかった。
 僕が長谷川とすれ違ったのはこの1回限りである。
 日本の映画界は、黒沢明や小津安二郎らの全盛時代から、大島渚や篠田正浩らの時代へと移り、徐々に観客を減らしていたが、まだそこまでは監督はエリートだった。その後、僕の世代の監督はテレビに押されて斜陽となった映画産業では食えなくなっていく。日活ロマンポルノをやったりして糊口をしのぐしかない時代へと堕ちていく。
 結局、ディレカンは話題を集めたが空中分解してしまう。長谷川は飲酒運転で自ら起こした交通事故で実刑6カ月を喰らい市原の交通刑務所に収監された。
 その後の人生は、脚本を書いたりそこそこにやっていたようで、女優の室井滋と再婚してヒモ人生を送っているようだがよくわからない。
 何を言いたいか。彼らの挫折により日本の映画は、ハリウッドどころか韓国や中国にも遅れをとり、日本の得意技はアニメーションということになってしまった。いくら『鬼滅の刃』が繁盛しても大人の鑑賞にふさわしいわけではない。
 ディレカンの末席にいた黒沢清が最近、『スパイの妻』でヴェネチア映画祭銀獅子賞を受賞した。まだこの映画は観ていないが、期待できればと思う。
 『太陽を盗んだ男』を一度ご覧になるようおすすめします。太ってしまう前の沢田研二はかっこいいオーラを発している。
 〈追記〉
 ・この1982年の「ホワイト」の場面は、僕が『天皇の影法師』や『昭和16年夏の敗戦』を出版する1年前にあたります。
 僕は新宿のゴールデン街には行きませんでした。
 ゴールデン街の、人を罵りまた傷を舐め合うナルシズムの雰囲気が嫌いだった。実際、そうして消えていったアーティスト、フリーライターは無数にいた。
 ・「ホワイト」は客同士は互いに干渉せず、孤独で静かに刃を研ぐ、そんな場所でした。
 ・『太陽を盗んだ男』について。追加の見解。
  脚本にレナード・シュナイダー(『タクシードライバー』の脚本ポール・シュレイダーの兄)が加わったことでハリウッドの先端のDNAが接続された。長谷川の才能もあったが脚本が果たした役割が大きかった。ディレカンの失敗というより、日本映画がそのDNAを生かせなかった損失が大きい。

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