福澤諭吉は、なぜsociety を「人間交際」と翻訳したか?

『公〈おおやけ〉日本国・意思決定のマネジメントを問う』第Ⅱ部「作家とマーケット」から「クリエイターとしての作家の誕生」の一部を公開します。

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 新しいソフトの担い手として

 あらためて作家の役割を考えようと思う。
 いまから約20年前、2001年6月にNHK教育テレビ『人間講座 作家の誕生』の結びで僕が述べた発言をそのまま採録する。
「1970年に三島由紀夫が自決して、これまでのあるかたちの作家像は終わったと思うのです。それはあくまでも、あるかたちということであって、ソフトを作る製作者、そういう意味での作家は終わってないと思うのです。古い意味での文士という狭い世界である必要はまったくないのです。
 ゲームソフトのデザイナーであったりあるいはインターネットのコンテンツ制作者であったり、あるいはベンチャービジネスを起こす人であったり、携帯電話でいろんなネットワークを作って、新しいその携帯電話の画面を広くしてつくったり、いろんなことをやっていきます。
 そのようなものも含めて、物語、生き方、ライフスタイルをつくっていくことが、新しい作家、広い意味での新しい作家の役割だというふうに思っています。新しいソフトを作るその担い手たち。そういう人たちによる新しい物語がいま求められていくように思います」
 まだスマートフォンが生まれる前、僕はこう予言していた。なぜなら「作家」という職業は、もともと新しい空間の成立に適応するかたちで生まれ、また空間の変容とともに進化するクリエイターだからである。
 現代のような職業としての作家が生まれるより前、江戸時代に遡ってみよう。三百諸侯と呼ばれる大名たちが支配する小さな国々による連邦国家であった。江戸の大名屋敷は、各国の大使館のような存在だった。
 人びとは城や寺、あるいは山や川など、目印になるランドマークが見える風景、いわばおらが国、カントリーに帰属していた。
 それが突然、明治維新後の急速な改革とともに国民国家、ネーションの空間に切り替えられる。北海道から九州・沖縄まで、気候風土も異なるにもかかわらず、単一の空間へと包摂されたのである。「日本」という名の近代国家が誕生して、カントリーの単位であった藩は解体され、「一君万民」すなわち天皇の下にすべての国民は平等・均質とされた。
 国民という概念はそもそも存在しなかった。いままでの身近な世界であった菜の花咲く里山、田園を流れる清流、そんなカントリーの心象風景から、日の丸、富士山、能舞台の気高い松、など抽象的な記号としてのネーションの風景のなかに生きることになった。
 カントリーであったものが突然ネーションになったときに、帰属感を失った自分は新しい空間のなかでいったい誰なのだろうか、と問い始める。よりどころがはっきりしなくなってくるのだ。
 カントリーからネーションへの空間革命によって、成立した近代国家では、自立した個人が国家の構成要素の単位になるはずであった。
 その自立の仕方が難しかった。
 福澤諭吉はその難しさを「政府ありて未だ国民(ネーション)なし」と言わざるを得なかった。つまり国民国家は、その成員である国民がつくるものであり、その意思決定を討議するのは、かつての幕府の老中・奉行など幕閣や各大名家の家老らによる限られた身分の者しか参加できない合議ではない。意思決定には民意が発露されることによる正統性が求められる。ヨーロッパの近代がたどり着いたのは、そういう方法であった。幕末の知識人たちはヨーロッパの議会制度を知ると、漢語の「公」を用いながら、「公平」や「公正」といった「公」によって討議への参加が正統化される国家を構想した。それは、いわゆる「公議輿論」にもとづいていなければならない。
 しかし、成立したばかりの明治政府は一部の藩閥出身者によって独占的に運営されている。これでは民意は介されていない。幕府の専制から新政府の専制になるのだったら意味がない。
 新政府の意思決定が「公」なしに運営されていることを憂慮した人たちのなかに旧幕府系のインテリがいた。福澤諭吉もその一人である。

 「社会」と「人間交際」

 福澤諭吉はヨーロッパの近代思想を紹介した『文明論之概略』(1875年、明治8年)で、なぜヨーロッパは「文明国」であるのに日本は「半開の国」なのかを説いた。それは日本には「権力の偏重」があるからだ。これは「官」と「民」という枠組みでもそうであるが、人間関係一般に当てはまる。「男女」「親子」「長幼」など家族関係だけでなく「師弟主従」「貧富貴賤」「新参古参」「本家末家」など社会的な関係にも、上の者が下の者を抑圧し下の者は上にへつらう重層的な構造、つまり「強圧抑制の循環」がある。これでは「公」の討議などできない。そもそも人間関係のあり方から変えなければならなかった。
 福澤は文明を「人間交際の次第に改まりて良き方に赴く有様」だと説明した。「人間交際」はsociety の訳語である。
 福澤諭吉はヨーロッパの思想を翻訳する際に、ずいぶんと苦心している。なぜならそのまま日本語にしにくいからである。たとえば「社会」という言葉、それにふさわしい実体が江戸時代までの日本には生まれていなかった。そこで初めにsociety を「人間交際」と訳してみた。人びとが自発的に集って交流し、グループをつくり別のグループと関わり合っていく。こうした人びとの自発的なつながりの総体が「人間交際」であり、現代的な「社会」と一致する。福澤はsocietyが人と人との交わりであることを強調した。
 江戸時代であってもカントリーの枠を超えて人びとは移動し活発な交流はあった。ただし儒学の師弟関係とか、狩野派などの画塾とか、俳諧の句会とか、剣道の道場など、少人数の対面指導やその塾生同士の横の繋がりがあっても、それぞれは小さなグループにすぎない。広い意味での「社会」というものが存在しなかった。
「社会」に対応する言い方としては「世間」あるいは「世の中」という表現はあった。だが構成要素としての個人の役割が見えない。まず士農工商として「世間」は分断されていた。武士のなかであっても禄高の差で上級武士と下級武士との交流は分断されていたし、農民のなかにも豪農から貧農まで階層別にグループが分かれ、商人にも豪商から小商いまでグループが分かれていた。むしろ士農工商による分断よりも、それぞれの身分間のなかの分断のはうが大きかったのが実状であった。分断は、タテにもヨコにも存在していた。
 士農工商の時代から天皇の下にすべてが平等とする一君万民の明治維新で、まず身分の分断が解消され、大小の大名など三百諸侯に分かれていた地域の分断が解消され、つまり里山のカントリーからひとつの宏大なネーション空間が誕生した。「社会」の素地ができたのである。
 福澤諭吉が「社会」を「人間交際」と訳したのは、人と人が交わる空間は狭い縦割りの状態ではない、国民国家(ネーション・ステート)の均一の空間のなかにある、と考えたからである。
 ネーション(国民)は「人間交際」の土壌から生まれるのだ。この「人間交際」で発揮されるべきものが「公器」である。「私」の範囲より広い場所での自分の役割は「人間交際」の世界では「公務」とされる。「公務」とは私的な感情で左右されるのではなく、説得力のある論拠が求められる。今日風にいえばファクトとロジックによる説明である。
 こうして「人間交際」のなかに「公」が形成され「ネーション」が生まれるはずだった。
 ちなみに「演説」という方法も福澤諭吉が実践した。「人間交際」という空間がなかったので、不特定多数へ向けて大きな声で、ファクトとロジックにより訴え、語りかけるスタイルが存在しなかったのである。

 明治政府はやがて憲法を発布し、議会制度をつくる。討議への参加、つまり「公」への参加の制度化である。
 伊藤博文が憲法をつくるためにヨーロッパを訪ねたとき、ウィーン大学の法学者ローレンツ・フォン・シュタインからこう忠告された。
「君らの国では、英国のような議会はまだ無理だ。百家争鳴になって何も決まらない」
「まずは議会の権限を一定の幅で制限して、官僚機構をつくってそこで政策を決めて、議会で承認するような形をとったほうがよい」
 つまり、法律を制定する際に帝国議会の果たす役割を小さくするように助言を受けたのだ。というのも、民主主義が未成熟の日本では議会が機能しないと予想されたからだ。百家争鳴で意見が乱立すると意思決定ができないどころか、果ては内乱が起きることになるかもしれない。
 そこで大学を創設し、外国人の教授を雇い入れて英才たちに西洋の制度や文物を教育する。西洋に留学させて官僚を育てる。そうやって官僚機構を立ち上げ、法律や制度をつくっていく体制をととのえた。明治憲法下では、官僚機構が法律をつくるだけでなく法律に次ぐ効力を持ち、かつ議会に諮る必要のない「勅令」が活用されるケースも数多くあった。勅令はいうまでもなく天皇の命令であるが、当然、官僚機構が作成する。つまり、政府、官僚機構は初めから議会に対し独立していたのである。
 近代をつくったヨーロッパに較べると、国民(ネーション)の土壌が痩せていると判断したために「公」を官僚機構に預けたのだ。意思決定の大部分は官僚機構に委託された。その帰結は、第Ⅰ部で示した不決断の構造である。本来は「公」による突き上げがなければならない。

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