音楽と凡人#07 "初めてのスタジオ"

 私は中1のクリスマスに親にエレキギターを買ってもらった。赤いストラト型のギターで、フェルナンデスの入門セットであった。ギター本体、チューナー、シールド、ギターアンプ、ギターケース、ストラップ、ピック、そしてクリーニング用品とクロスという初心者にはうってつけのセット内容である。当時の日記には親への感謝の思いと絶対に続けるという意気込みが書かれていた。

 初めてエレキギターの音を出した時の風景は未だに記憶に残っている。私は二階の奥の部屋でギターをアンプに繋ぎ、母と姉がいる前で生まれて初めてのオーバードライブサウンドを出した。新しいおもちゃを手に入れたような感覚だった。

 その日からは早く学校から帰って自分のギターに触りたかった。全く興味のない部活の練習中は、ラケットをギターみたいに持ってイメージトレーニングで左手の動きを確かめたりしていた。それから多くの時間は過ぎたけれど、今でも新しいフレーズを練習している時や弾けなかった曲が弾けるようになった時の気持ちは中学生の時と同じである。当時の自分が今の自分を見たら俺の貯金に頼ってないでもっと練習してよ、と言うかもしれない。それほどに毎日部屋でひとり地味な基礎練習をただただ楽しんでいた。

 ギターを初めてすぐの頃に近所に音楽スタジオができた。父が、なんか駅前にできてたで、とその情報を知らせてくれた。当時の私はスタジオというものがなんなのかいまいちわかっていなかったが、なんとなく自分が行くべき場所がこのタイミングで近所にできたんだなと思った。家の近所は自然が溢れているようなところなので、タイミングといい場所といい本当に自分のためにできたんだと思い込んでいた。

 初めてのスタジオは父と行った。スタジオのオーナーのオオニシさんが何もわからない自分にアンプの使い方から何から全てを教えてくれた。ギター歴を聞かれ、数ヶ月と答えるとうまいなと驚いてくれた。私は得意気であった。

 その後、私はそのスタジオに通うようになり、ギタリストとしてバンドをしていたオオニシさんは様々なことを中学生の私に教えてくれた。お小遣いを握りしめ一時間だけスタジオで練習をしてはあとはだらだらと居座って何か新しい話をしてくれることを期待した。自分から積極的に話しかけるわけでもなくモジモジしながらなかなか帰らない僕にオオニシさんは優しく話しかけてくれた。ギターはアップストロークが大事だからと教えてもらった単調な練習法をひたすら実践した。今の自分のギタープレイの芯を作ってもらったように思う。オオニシさんは数年前に若くして亡くなったが、人の一生はいいとかわるいとか長いとか短いとかではかるようなものではない気がした。ただただ様々に関わりあいながら、日々が過ぎていくのだろう。

 大きな音を出すという行為はそれだけで素晴らしい体験だと思う。自分の脳の中にある音がそれだけ増幅した形で外に放出されるという行為はなかなか他に代え難いものがある。私がギターを介さず自分の中の音を増幅したのは、まだしばらく先のスタジオであった。


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