音楽と凡人#02 "メンバーを探す旅、京都編"

 自分の出番を終え、汗ばんだ手で楽屋のギターケースをまさぐり、煙草を手にビルの外へ出た。オーディションイベントに出演するため、京都の四条烏丸にあるライブハウス、京都mojoに来ていた。お客さんがいてもいなくてもライブがある日のバンドマンはいっぱしのロックミュージシャンになった気でいる。この瞬間の高揚の為に平生は心を仮死状態にして、街のいたるところで様々な表現者が労働者に擬態している。2015年、小晦日の京都は冷たい空気で満たされていて、急いだ車が行き交う四条通りは京都の静脈のように、冷えた盆地をそっと温めていた。深く息を吸い込んで、達成感か焦燥感かわからないようなため息と共に湿った煙を吐いた。

 「鯉の滝登り」はショーケース型のライブイベントで、mojoがプッシュするバンドを業界関係者に見てもらおうという企画だ。そしてその東京でのイベントの出演権をかけたオーディションライブがこの日京都で行われていたのである。この日の私はバンドではなくソロでの出演だった。この数ヶ月前、ベースがライブの直前に脱退しそのあとを追うように他のメンバーも皆どこかへ行ってしまったところであった。そんな折にmojoのブッカーである藤本さんがこの話を持ってきてくれた。家に居たところで新しいメンバーがインターホンを押してやってくるわけもないので、とりあえず、と思って出ることにした。出演権を勝ち取るためというよりは未だ見ぬメンバーとの出会いの可能性を1%でもあげられたら、という思いからの参加であった。「鯉の滝登り」の東京でのライブは、この時ではなく後にGOZORO’Pというバンドで行くこととなった。


 これまで組んだオリジナルバンドは編成のパターンだけで10以上、一人になった状態からメンバーを探したのは5回以上くらいある。音楽というより面白いことがしたいという感覚が先行していた私は、仲の良い地元の友達とはだいたい1回はバンドを組んだかもしれない。そしてそのために壊れてしまった関係も少なくない。この10年を振り返った時、活動した時間よりもメンバーを探していた時間の方が長く、バンドを組んでいる時も曲のことよりもメンバーのことを考えている時間の方が長かったかもしれない。非情になりきれず、優しくもなれない中途半端な自分は人間関係を複雑に考えすぎて変に絡まってしまい最終的にほどけなくなることが多い。GOZORO’P以外にも何度もバンドを結成したり解体したりしているが、自分の中で音楽を一生懸命やろうと思えたこのバンドのことをまずは結成から振り返ってみたいと思う。かっこいい音を出すことのできる人間が集まり、一生懸命に同じ気持ちで演奏するというのは本当に奇跡だ。

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