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「悲しい本 SAD BOOK」を読んで

マイケル・ローゼン作
クェンティン・ブレイク 絵
谷川俊太郎 訳の「悲しい本 SAD BOOK」を昨日買い、早速読んだ。

正直、タイトルには惹かれたけれど、絵のタッチは好みではなかったので、全然買う気なんてなかった。だけど手に取ってパラパラとめくってみて、これは家に置いておきたい本かもしれないと思い、買うことにした。

※ネタバレ注意です。


内容の説明を簡単にすると、息子に先立たれてしまったお父さんの悲しい気持ちが描かれている絵本です。

”これは悲しんでいる私だ。この絵では、幸せそうに見えるかもしれない。じつは、悲しいのだが、幸せなふりをしているのだ。悲しく見えると、ひとに好かれないのではないかと思ってそうしているのだ。"

と歯を出しながらにっこりと笑う男性(お父さん)の絵だけが描かれているページから始まる。その後、時には腹がたつとも言う。息子のエディが生まれてから少しずつ育って大きくなってゆく絵が描かれている。でも、途中で絵が無くなり、こう書かれる。

”私はひとりごとを言う、「よくもそんなふうに死ねたもんだね?私をここまで悲しませて。」エディはなにも言わない、もうここにはいないから。

そして、深い悲しみに襲われ、どうしようもなくなったお父さんが、街にある汚い川を上から眺めている絵のページにはこのように書かれてます。

”誰にも、なにも話したくないときもある。誰にも。どんなひとにも。誰ひとり。ひとりで考えたい。私の悲しみだから。他の誰のものでもないのだから。”

そのような感じで物語は始まり、その後色々な描写が続き、最後はなんとも言葉だけではうまく伝えられない不思議な気持ちにさせられるお話でした。

”そしてロウソク、ロウソクがなくてはね。”

最後はこの文章で終わります。

私は「ロウソクがなくてはね」という歌を作りたくなりました。それと、エディはどのように亡くなったのかは描かれていませんが、自死はやはりしてはいけないなと思いました。(まだ、したくないとは言い切れませんが。)でも、このタイミングにこの絵本に出会うことができ、本当に良かったと思います。自分の子ども、又は大切なひとが亡くなるということの悲しさは、そう軽いものではないことを知らしめられた気がします。これからも、毎年ロウソクは1本ずつ増えてゆくこと、それは悲しいことではないし、どんな形であっても生きてゆくこと、死なずにいるだけでもいいんだ、そう思いました。そんなこと言っていると「甘い」とか「人生舐めてる」とか思われるかもしれないけれど、本当にそう思ったし、周りにいてくれる大切なひとたちと一緒にロウソクを増やしてゆきたいと思いました。

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