見出し画像

日記 ()7-2 | ひとりじゃだめなんだろうな

今日の日記の続きです

日記 ()7 | トラストフォールという言葉を知っていますか?|inori,.;:[ (note.com)

話が変わるので

区切りました

その日記では

トラストフォールという

エクササイズから

無償の愛情をたくさん得ていないと

精神疾患のトリガーを引き

悪化の一途をたどるのではないか

という考察をしました

ここからはわたしの

もしかしたら

わたしたちの話です

実際にトラストフォールのような

無償の愛情を受けているという

具体的な実感がわく出来事が

少ない、もしくはない

という人たちは

どうやって

生きてきて

いるのでしょうか


これは、わたしの話ですが

子供のころ

無償の愛情を届けるのが好きで

かつそれができていました

優しくあるという態度がそもそも好きだったし

何かの影響もあったと思います

自然なことだと思っていました

しかしわたしはあるとき

わたしはみんなを愛しているけど

わたしは愛されていないのではないか

そんな疑念が湧き

その疑惑は

明らかになることはなく

晴れないままでした


そこがわたしの運命が

悪い方向に向かっていったきっかけだったのかも

しれませんね


わたしはそのあと

しばらくして精神疾患を患い

死にたい気持ちが強くでてくるように

なりました

いまは

その強い気持ちはありませんが

その残滓がずっと残っている

へばりついている感覚はあります

そのなかで

でもわたしがなんとか

生きてこれた理由は

相手が愛情表現に不器用だっただけで

愛されているはずだ

と信じること

もしくは

少ないけど貰った無償の愛であるはずのものを

それだと信じて

それを大切に握りしめて

世界から見放されていないはずだと

そこに標を見いだして

信じることにしました



そういった感じで生きていると

仲間や友達、あるいは恋人など

そういった人と接するときに

する行動は

わたしの場合は

相手にも自分にも本当の気持ちを隠して

お客さんに接待するような気持ちで

嫌われたり、トラブルが起きないように

行動する


全部そうだったという

訳ではないけれど

最期はこうなったり

大部分はこうだったり

わたしは世界に愛情をコミットされていないからか

暗闇で電気のスイッチを探すときのように

おっかなびっくりで

ゆっくり歩く

楽しくても

内心はそんな態度で接するしか

なくなっていました


本格的に社会の歯車としての魅力がなくったとき

自暴自棄になり

あるときは

これからは好きな態度でいこうと

自由に生きるのが

一番だと

頑張ってみましたが


思うに

わたしにとっては

これは良くなかったと思います

そもそもわたしはもう「人ならざるもの」に

なってきているか

もしくは

すでになっています

人間のふりをしているのです

そのなかで

自由や快楽といったもので

亭楽的に過ごしたら

世界にますます嫌われ

最期には

人ならざるもの

ですらなく

獣になってしまう

そう

感じます


いろいろとわたしも生きて感じたことは

精神疾患を患った人の中で

無償の愛で守られている人のリカバリーの速さです

無償の愛で守られている人でもさまざまな要因で

たとえば仕事で追い詰められたりだとか

不運が重なったりだとか

そういったことが原因でうつ病などの精神疾患を患った場合でも

わたしが見てきた人びとのなかでは

寛解に向かうのが早かったように感じます

ある人は三か月で

逆にそれがない人は

自身の体験も含めた

あくまで印象ですが

1年でも10年でも続いている気がします


わたしもそうですが

無償の愛を得るというのは難しいです

そもそも無償の愛を手に入れること自体が

多くの人が難しい時代だと思いますし

無償の愛を確認する機会自体も少ないです


では周りや自分はどうやって無償の愛がないまま

サバイブしているのかを

自分や出会ってきた人たちを鑑みると

やることはやせ我慢に近いです

ダウナーな感じのカルチャーを好きになって

現状の自分をなんとか

誤魔化して生きています


でも、無償の愛を感じるということは

追い求めるということ

必要だなと

感じています


チョコレートには

それでしか

得られない味があり


人工甘味料も

甘いけど

お砂糖の味ではありません


世界から愛されている感覚

というのも

人間にとって

必須栄養素で

代わりがきかないもの

なんじゃないかな

って思います

人工物で少しは得られるけど

どこかでちゃんと本当を

得ないと

壊れてしまうのかも

しれません


そう考えると

わたしが

もしくは

わたしたちが

目指すのは

ユナイトすることであり

合流することであり

あまったりんごを分け合うことであり

栄養素を与え合うことなのではないかと

思うところです


おそらくこれは

昔は

宗教やカルチャーで解決なされてきた

問題です

日本は宗教への関わりが薄いし

わたしもそうです

ならば今自分にできることは

改めて

それを切り詰めて

単純化した

祈ること

なんだと

感じています

あなたが世界に愛情をコミットされていない感覚があるなら

あなたが世界に愛されていない感覚をお持ちなら

それがいつか得られるよう

祈っています

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?