見出し画像

文芸的な、余りに文芸的な(生活)

どうも。離脱期間にいろいろありました。しばらくパソコンが入る機会がなさそうなので、大学時代から使用しているぼろのパソコンをこうして引っ張り出して使用しています。やっぱ書き物楽しいーーーーー

…はい。正気に戻りました。これもまたいろいろありまして、この度わたしは2週間程、仕事もせず、外出もせず、社会というものからおよそ切り離された生活を送ることとなりました。しかしそうは言っても元来これといった趣味もない人間なので、日がな一日本を読み、映画を観て、気の済むまで眠り、時々書き物をしたりしなかったり。なんだかかつての文人のような生活に突入したなと思いを馳せながら、はや3日目になります。そろそろ仕事のことも進めないと、2週間後のわたしが痛い目を見る。わかってはいるけれども、今は優雅なモラトリアム。満喫するしかないのです。

必然家にいる時間、誰とも会わない時間が増えると、思索の時間も増える。以前はこんな風にふっと休日を振られても、うまく時間を過ごすことができなかったな…と振り返ったりする。というより、何をしていても、心の片隅に、「こんなことに時間を使っていいのか?」という何とも寂しい空虚な想いが霞のごとく、しかしいつまでも巣食っているのであった。その霞に対して、以前のわたしはこれまた飽きもせず言葉を投げかけていた。今はこのための勉強の時間だから。仕事に必要だから。息抜きも大事だから。しかし仕事とも社会とも関係が(一時的にではあるが)断たれた今わたしが思うのは、「気の向くことを、気の向くままにやればいい」という子供でもわかりそうな純真な発想だった。そうはいっても日頃は時間に制限がある。生活のために必要なことが、いつも頭を擡げる。徹底的に自分自身にのみ時間を使える今、わたしがやりたいと頭に浮かぶことこそが、本当にこれからもやっていきたいことなのだろうと思う。
そしてこのような思索の時間がいつまでも、とは言わないものの、これからも定期的に持つことが出来たら、とも。

仕事のほうは、夏の終わりとともに、1年で最も忙しい、いわば山場の部分を乗り越えようとしていた。これは長時間労働という意味ではわたしにとって過酷ではあったが、昨年の秋の、自分の思考も情緒も完全に停止した地獄の実習期間と比べれば、大したものではないとも言えた。畢竟教育サービス業というものが、自分に合っているということの証左でもある気がしたが、しかし身体のほうは至って正直で、職場と家の往復を余儀なくされる、労働の奴隷となっていた。思考の時間がなかったのだ。まだ少しでもエネルギーがあれば、時間など無理矢理にでも設けていたところだが、何せ日々の生活に余力がなかった。

https://note.com/inori_724/n/n5062fe526a3a
体力の話、ここでもしてた

心穏やかに過ごすことができるのは、思索の時間をこうして持てているからだ、と思う。自身の未来のことは考えないが、国の行く末とか、世界の向かう方向性については、どうも自然と思いを巡らせてしまう。破滅的なのか、安泰を求めているのかわからない。けれども、自分だけ安心安全に、というのは、なんだか違う気がする。だから文を書くし、本を読む。映画を観る。言葉を自分の中に徹底的に溜めて、放出する。排泄や自涜ともとれるかもしれない。

けれどもわたしは、この行為が好きだ。
話すにせよ書くにせよ、わたしは言葉を大切にしたい。
言葉に絶望していても、それでも諦められないところがわたしの残念なところであり、魅力であるとも思う。

https://www.amazon.co.jp/%E8%8B%A5%E6%9E%97-%E6%AD%A3%E6%81%AD/dp/4041026148/ref=sr_1_2_sspa?crid=1IQK6BPGDU65F&dchild=1&keywords=%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E4%BA%BA%E8%A6%8B%E7%9F%A5%E3%82%8A%E5%AD%A6%E9%83%A8&qid=1629876938&sprefix=%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA%E5%A4%A7%E5%AD%A6%2Caps%2C405&sr=8-2-spons&psc=1&spLa=ZW5jcnlwdGVkUXVhbGlmaWVyPUEyUjJPWktaTDFVTjFKJmVuY3J5cHRlZElkPUEwOTIxNTkzMUM2TFRPU1lXSEtYRCZlbmNyeXB0ZWRBZElkPUEyMDNBTUxWUk5DRlpMJndpZGdldE5hbWU9c3BfYXRmJmFjdGlvbj1jbGlja1JlZGlyZWN0JmRvTm90TG9nQ2xpY2s9dHJ1ZQ==

若林正恭 『社会人大学人見知り学部卒業見込』
「考え過ぎないぞと考え過ぎる」という性分が、非常に共感できるなと。
「そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、20年調査した結果、それただの穴だよ。」
自分のもやもやした、霞に手が触れたような心地になる、非常にシンプルかつアイロニカルさやエゴも多分に含まれたこの言い回しに惚れました。他にもキーフレーズがポンポン出てきて、癖になる読中読後感です。

https://www.amazon.co.jp/-/en/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB/dp/B08X3YSXH6/ref=sr_1_1?crid=1GJVEJME7IFVL&dchild=1&keywords=%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB&qid=1629876855&s=instant-video&sprefix=%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB%2Cinstant-video%2C307&sr=1-1


「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」
まずもって、三島の生前の動きが生々しく映像で蘇ることに一番の意義を感じる。内容は非常に難解ですが、当時の熱量を確かに感じられる、シナプスがばちばち焼き切れそうな、稀にみる最高の映画です。言葉で闘っていきたくなる。パフォーマーとしての三島の在り方に、魅了されっぱなしの108分でした。アマゾンプライム会員の方、今なら無料で観られますので、この熱狂を、是非全身で味わってみてください。


新しいキーボードを買います。 そしてまた、言葉を紡ぎたいと思います。