見出し画像

インスタのストーリーを投稿する理由ってなんだ

私はインスタグラムを消している。

アカウント自体を削除することは流石に憚られる(自分の過去の記録をたまに見返したり、友人について近況が気になった際は確認したいという理由)ので、アプリをスマホ上から消している。

主な理由としてはシンプル。時間をとめどなく取られるからだ。

定時に全員のストーリーが同時に確認できるという仕様になれば、こんなに時間は取られないかもしれない。
しかしストーリーは投稿者のタイミングで随時更新されるため、空き時間を見つけてはインスタを開き、友人が何をしているかを確認したくなってしまう。

それにしても、人はなぜインスタのストーリーを投稿するのだろうか?

すでに擦られているであろう話題であるが、自身の経験、観察から自分なりの言葉で考えうる理由を挙げていきたい。
漏れ、構造的でない点、また私見があるのは悪しからず。

なお以下の理由は、必ずしも各ストーリーと1:1で対応するわけではなく、動機の混合したストーリー投稿があることを前提としている。


①:自分の感情を他人にも共有したい

旅行先の絶景やグルメをあげる投稿がこれに当たる。
溢れ出したこの感情を自分の中のみに留めておくのは勿体無い、みんなにも知ってもらい、ぜひ同じ体験をしてほしいという、共感を起点とした動機と言えるだろう。

②:周囲に自分の個性を演出したい

ストーリーをあげることで、自分の趣味や関心を発信し、自分のキャラ付けを周囲に行いたいという動機である。

「演出」という言葉を使用したのは、コミュニティごとに人は自分にとって居心地の良いキャラを使い分けていることに起因している。

多元的自己という言葉があるように、自分の人格は1つに規定されるものではなく、コミュニティや時期によって変化が訪れるものである。そのような意味で、「ストーリー上の自分」は自己の1つの側面でしかない。

正直、全てのストーリーにこの動機が多分に含まれていると思う。

例に漏れず、私もその1人である。以前映画の感想を書いたストーリーを投稿したことがあったが、「これって自分の感想じゃなくて、映画好きって周囲に思われたいからやってることなのでは?」と顧みて勝手に凹むことがあった。

③:思考・感想をアウトプットしたい

映画や小説などの写真に、自分の感想を添えているものがこれに当たる。
コンテンツが溢れ、それらを受容することで精一杯な時代に、少しでも自分の頭で考え言葉にして伝える力を養いたいという、現代を反映したストーリーと言える。

④:周囲の人間に近況を報告したい

引越しや結婚など、人生において大きなイベントがあった場合のストーリーがこれに当たる。

⑤宣伝したい

友人には少ないが、芸能人の「〇〇の番組に出演しました」や文芸家の「雑誌に寄稿しました、読んでください」などの投稿がこれに当たる。

⑥グループの帰属意識を再確認して自分を安心させたい

これは、例えば仲良しグループがあったとして、そのグループで何かをする・どこかにいくことで、「私たちってこんなに仲良いんだよ!」というストーリーをあげることで、グループの帰属意識を再確認したいという動機である。

「〇〇と一緒に〇〇行ってきた!」「このメンツで〇〇行ってきた!」を趣旨とする投稿がこれに当たる。「このメンツで」という言葉は文中に出ず、友人と自撮りした写真によってそれを婉曲的に表現していることが多い。

これも③と同様、現代的な動機と言える。会社や地域などの共同体によったアイデンティティ確立が難しくなった現代で、人はアイデンティティを自身の選択によって確立せねばならなくなった。

そんな不安定な状況の中、家族以外で近しい人とのストーリーをあげることは、SNSが浸透した時代で有効なアイデンティティ安定の手段となっていると思われる。

⑦日々の生活を記録したい

休日何かしらのイベントに行った際や、普段の日常の中における投稿がこれに該当する。

日々必ず行われる活動だからか不明だが、日常系のストーリーは「飯系」の投稿が多い。そのため、ラーメンのドアップ、居酒屋で友人とわいわいしている様がこの動機のストーリーでは多く観測される。

理由を挙げてみての感想

このように、インスタのストーリーを投稿する動機を7つに分類してみた。
いかがだろう、世のストーリーは大体この分類のいずれか、もしくは組み合わせを動機としているのではないだろうか。

動機を挙げてみた感想としては、インスタのストーリー1つとっても動機は意外に様々あるということや、これらの動機を踏まえた上で、健康的なSNSの使い方とは何か、各種SNSで動機に違いはあるのかについて考えてみたいということである。

そして抱いた疑問としては、どれだけの人がこれらの動機に自覚的になりながら投稿しているのだろうか、ということだ。

いいねをもらうこと、他人から反応を得られることの快楽に飲み込まれすぎてはいないだろうか。
投稿する前に「なんで私は発信するのか?」と一旦立ち止まることはしているだろうか。

ストーリーを発信することが悪いということではないが、発信を誰でも気軽にできる時代になったからこそ、その意味が背景化されてしまってはいないかと、自戒も込めて思うのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?