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『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦』3つの大きな発見があった(日本の歴史)

 原一男監督のドキュメンタリー「れいわ一揆」の主人公である安富歩氏の著書をこの本以外、「もう『東大話法』にはだまされない」「ドラッカーと論語」を含め読んでみた。いずれの著書にも日本は「立場主義」だということが結論としての主張となるが、この本は満州事変の原因から軍部の暴走とその加速に立場主義が貢献したとしている。

 満州事変については以前に研究したことがある。樋口清之氏の当時の日本における食料不足という環境からだという説や、緒方貞子氏の博士号論文、あるいは新宿住友ビルの平和祈念展示資料館にある遺品などを調べ、満州に移民した人が多い信州にも機会があったら足を運ぼうと考えていた。安富歩さんの著書では以下の3つの大きな発見があった。

 ひとつは、満州では大豆をたくさん育てたが、それは食料というよりは肥料としての大豆粕、また植物油の元のニードがグローバルにあり、輸出先はイギリス(4.3%)、デンマーク(6.7%)、日本(24.1%)、ドイツ(23.1%)、と満州の大豆粕が多く利用された。満州は大豆バブルの一大拠点だったのだ。

 もうひとつは、満州の道の構造が県城を中心にして村があり、その間の道路に馬車が走っていたが、中国本土の農村には定期市があり経済が分散されていた。前者を「県城経済」後者を「定期市ネットワーク」と呼ばれている。関東軍は満州と同じ構造が中国本土にもあると思い込んでいたが、中国のゲリラ戦に定期市ネットワークが有効に機能し、攻めきることができなかったという。同じ中国でもコミュニケーションパターンが違うのだ。

 さらに、暴走へのループは立場主義から起こることは容易に想像がつくが、戦前に満州で大活躍した政治家が岸信介で、彼は「満州産業開発五箇年計画」の実行に辣腕を発揮し、頭角を表し首相にまでなった。彼の行った日米安保条約は、満州と日本の間に結ばれた「日満議定書」のまるまるコピーとしてしか思えない、と。当時日本にとっての満州から現在のアメリカと日本の関係が岸信介が水平移動させたというのだ。これは本書による発見だった。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。