『アブラハムコンプレックスとムスリム』(環境研究)
旧約聖書の創世記を読まれた方には、アブラハムは馴染みが深いと思うが、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教における人格神は、アブラハムの信仰した神を指す。具体的にはユダヤ教のアドナイ、キリスト教の父と子と聖霊、イスラームのアッラー、と各宗教で呼び名は違う。
共通の呼び名として統一するなら「アブラハムの神」となる。
キリスト教が普及しているヨーロッパで、フランスのサルトルという哲学者は「アブラハムコンプレックス」を唱えた。
心理学的には、子供の精神的分離に伴う父親の対抗的心理を指すようだが、サルトルはアブラハムは自らの意思でイサクに殺意があった、つまり「自発性≠神の命令」と分析している。(自発性はアンガージュマンとなった)
サルトルは1945年10月のパリ講演で一夜にして有名になり、その著書は当時の日本で300万部の驚異的なベストセラーとなった。サルトルは広い意味での無神論者だが、ユダヤ・キリスト教がラッピングされたヨーロッパに生まれており、アブラハムの子供はイサクであり、アブラハムの神はアドナイであり、そして、父と子と聖霊である、という認識の前提に立った考えが「アブラハムコンプレックス」だ。
ヨルダンのラニア王妃の絵本がアメリカでベストセラーになり、日本でも発売された。
リリーのサンドイッチイギリス式の食パンのもの、サルマのサンドウィッチはピタパンで半分に切り中身を詰めるものという違いがある。ピタパンはイスラエルでもアラブ諸国でも一般的に食べられるパンだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』で描かれたパンは丸いパンで、薄っぺらいピタパンやフムス(ホブズ)ではない。ラストサパーの参加者は全員が現在のイスラエル地域に住むユダヤ人だが、彼の生まれはフィレンツェなのでヨーロッパで食べるパンが描かれている。
余談だが、ミケランジェロの制作した彫像「ダビデ像」のモデルはエルサレムを都としたダビデ王だが、ご覧のように割礼をしていない。
(ミケランジェロもフィレンツェ生まれなので割礼の習慣がない)
サルトル、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロは、いずれもヨーロッパに生まれヨーロッパの視点で思考してきた人たちだ。ユダヤ・キリスト教の流れ、つまりアブラハムの息子イサクの流れだ。
しかし、アブラハムには、正妻のサラでなくハガルという女性が生んだイスマーイール(イシュマエル)という子供(アラブ人の祖先)がいる。
「自発性=神の命令」と考えるイスマーイールの視点から「アブラハムコンプレックス」を捉えたらどう映るのでだろうか。
(ちなみに、イスラームではアブラハムが神の命令に従って犠牲にしようとしたのはイサクではなくイスマーエルとみなしている)
H・G・ガダマーさんはドイツ人だ。
二つの価値体系の違いからの対立する二つの文化の地平融合を語っているが、現在グローバルでおきている構造変化は、食パンとピタパン違いをどう乗り越えるかという点にある。たまにはピタパンでパレスチナ料理でも味わい、その違いを知ることは、オープンイノベーションのみならずグローバルビジネスにもつながることになるだろう。
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。