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『どん底』難民キャンプよりマシ

 黒澤明の「どん底」を観てみた。原作はゴーリキーで、物語には筋がなく舞台は木賃宿、当時のロシアのルンペンプロリアートを描いた戯曲。この映画では、江戸時代の棟割長屋が舞台。棟割長屋とは部屋が個室ではなく、今でいうシェアハウス。キッチン(炉端)が集う場所で、寝るところだけカーテンで仕切られているもの。集まっている住民は定職がない夜鷹、泥棒、職人、元旗本など。

 ルンペンプロリアートとはマルクスによると、「プロレタリアート(労働者階級)のうち階級意識を持たず、そのため社会的に有用な生産をせず、階級闘争の役に立たず、更には無階級社会実現の障害となる層を指す呼称」(wikiより)とあるが、マルクスはヨーロッパのジプシーのようなイメージを持っていたようだ。(今年のアカデミー賞映画「ノマドランド」が描き出したように、資本主義による階級社会は、家すらない人たちを大量に生み出しているが)

 江戸時代の棟割長屋(シェアハウス)に集まる人たちは、ここに留まり、自ら抜け出す行動に移すこともなく、一部の人は他力本願的に誰かに出してもらうことを考え、皆で文句ばかり言いながら、博打や酒で時間を費やしている。そこに訪れる左卜全が演じる巡礼者(原作ではルカ)は、ここに集まる人に外の世界を紹介し、潮時になると希望を求めてシェアハウスから去っていく。

 この抜け出しにくい同調圧力と心地よさや連帯感は、いつの時代も同じだが、21世紀のグローバル社会では、ゴーリキーや黒澤明が想像を超えた難民キャンプなども出現しているので、さらにどん底が自分の意志だけでは抜け出しにくい状況に陥っている。となると、巡礼者ルカ(左卜全)の役割の進化が必要なのだろう。

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