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『日本のいちばん長い日』当時の日本軍の規模が830万人とは驚き(日本の歴史)

 昭和天皇の玉音放送までの24時間(特に宮城事件)を描いた半藤一利氏のノンフィクションを映画化したもの。自決した阿南惟幾がセリフで陸軍600万人と発言するシーンで、そんなに日本にはたくさんの軍人がいたのかと驚いてしまった。少し調べてみると軍人の数は以下のように推移している。

日清戦争        15万人
日露戦争        104万人
第一次大戦が終わった頃 30万人
日中戦争        108万人
太平洋戦争       240万人
敗戦時         830万人

 現在の自衛隊は24万人、アメリカ134万人、中国218万人、ロシア83万人、フランス20満員、ドイツ17万人、イギリス15万人、インド139万人、韓国63万人と比較しても敗戦時の日本軍の830万人は巨大組織だ。

 830万人を有する軍隊はポツダム宣言を受け入れることができず、広島、長崎に原爆が落とされた後でも、2000万人が特攻攻撃できれば神風が吹くと考えていた。昭和天皇を含め、ポツダム宣言の受託の条件は、以下のひとつだけ。

「国体護持」

 そこには「国民」がすっぽり抜け落ち、天皇の国体護持のみを受諾の条件として連合軍に提示。連合軍からの返事は、GHQが昭和天皇を「subject to」するというもので、その日本語訳が「マッカーサーの制限下に置かれる」とか「マッカーサーに隷属する」とか、意味のニュアンスが違いで大騒ぎ。しかし、昭和天皇は「国体護持」を信じ、ポツダム宣言を受諾するようにした、というストーリーになり、その「御聖断」から戦争を終わらせたということで、「敗戦」でなく「終戦」と言われることに。

 だが、玉音放送を行う前に、戦争継続を訴える放送を流したい、と敗戦を受け入れたくない一部の軍人がクーデターを起こした。それが宮城事件だ。結果失敗に終わり、玉音放送は流れこの映画は終わる。

 しかし、日本の軍人の中で、以下の2つの組織だけは戦争を終わらせていなかった。

 日本の降伏直前の1945年8月10日、ソ連対日参戦が発生。北方軍を指揮していた樋口季一郎は停戦後の8月18日以降、占守島、南樺太におけるソ連侵攻軍への抗戦を指揮し、これを成功させた。樋口季一郎は阿南惟幾、石原莞爾とは友人だ。

 1945年8月17日に後の正副大統領スカルノとハッタは急遽インドネシア独立を宣言する。しかしオランダは再植民地化しようと軍隊を送り込み、インドネシアは4年5ヶ月もの独立戦争を戦わねばならなかった。この中心となったのが、ルビスら、日本軍によって鍛えられた義勇軍だった。日本軍は彼らに大量の武器を渡し、また1,000~2,000名の日本兵が、独立軍に身を投じて一緒に戦い、そのうち400名ほどの人々が戦死した。

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