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『3タイプのイスラーム』(イスラーム)

 ムスリムとイスラームという言葉の意味はどのような違いがあるのだろうか。

ムスリム:アラビア語でイスラム教徒(イスラム教の信者)を意味する語
イスラーム:アラビア語でイスラム教

 上記の区別が一般的ですが、アラビア語の語源からすると以下の意味がある。

ムスリム(muslim):能動分詞形、己のすべてを神に引き渡してしまった人(絶対帰依者)
イスラーム(islam):動名詞形、一切を相手に任せる自己委任(絶対帰依)

 語源からも、絶対他力信仰的なイスラーム(イスラム教)が『アブラハムコンプレックスとムスリム』で紹介した純粋なアブラハムの信仰に帰るもの(ユダヤ教やキリスト教で変化したものを元へ戻す)、と言われる所以が見てとれる。

 絶対他力信仰であるイスラームの信者であるムスリムは、現在でも国境を越えて「ひとつのイスラーム」「世界中のムスリムは一体」という連帯意識がある。メッカ巡礼はひとりひとりがムスリムとして自覚し、またお互いが確め合うイスラーム統一性の祭典だ。

 たったひとりのムハンマドというイノベータがアラビア半島で起こした血族サイロ組織の横串刺しは、サラセン帝国(正統カリフ時代⇒ウマイヤ朝⇒アッバース朝)を経て、現代では国というサイロ組織の横串刺しを継続し、拡大し続けているのです。

 このようなひとつのイスラームという連帯意識があるにも関わらず、イスラームには大きく3つのタイプがある。

スンナ派:イスラーム法(シャリーア)に全面的に依存するイスラーム
シーア派:霊性最高権威者(イマーム)による真理(ハキーカ)に基づくイスラーム
スーフィーズム:真理(ハキーカ)から成立するイスラーム

 旧約聖書に解釈集(口伝律法)であるタルムードがあることは『後ろ向きに座って櫓を漕ぐ』で紹介した。

 旧約聖書の解釈集(口伝律法)であるタルムードに『後ろ向きに座って櫓を漕ぐ』という格言があるが、フランスのポール・ヴァレリーの以下の詩や、スティーブ・ジョブズの2005年のスタンフォード大学の以下のスピーチでも、同じことが語られている。

 同じようにイスラームにもハディースという預言者ムハンマドの言行録(言わなかったことやしなかったことも含む)がある。これが合理的に解釈されイスラーム法のベースとなり、このイスラーム法に忠実に従うのがスンナ派だ。

 イスラーム成立以前の無道時代は、砂漠のベドウィンは血族サイロの組織の過去からの慣行的なルールに従って生活していた。血族サイロ毎にあるそれぞれの慣行はスンナと呼ばれ、その慣行(スンナ)はイスラーム成立後にイスラーム法(血族サイロのスンナ⇒イスラームのスンナ)に変わった。

 したがって、スンナ派はスンナの中身が違えど慣行(スンナ)に従う、ということが日常的になっている地域のアラビア半島や北アフリカの国々に浸透している。

 スンナ派ではイスラーム法(ハディース)の解釈は旧約聖書や新約聖書のように自由な解釈は西暦9世紀以降許されていない。
 それがたびたびローマ法をベースにした近代法との摩擦になることもあり、新しい解釈を求める声(イスラームのルネッサンス)もあるようだ。

 そして、旧約聖書の読み方は100人いたら100通りあるのです。(ちなみに、スンナ派ではクルアーンとハディースは法律に関する限り自由な聖典解釈は西暦9世紀以降許されていない)

 スンナ派トルコのように思い切りよくイスラーム法を捨て、アラビア語を捨て、世俗国家になるところも出てきたが、スンナ(慣行)はある程度浸透しているのか、トルコでは酒類規制法が可決している。

 もともとゾロアスター教が浸透していたイラン付近はシーア派だが、イラン人の思考は徹底的に論理的、存在感覚においては極度に幻想的と言われている。アラビア半島のベドウィンの超現実主義なリアリストの感覚とは正反対で、イラン映画にあるように内面的なものを追求する傾向が強くあるようだ。当然、クルアーンを読むスタンスも書かれた言葉の深層を探ろうとする。

 クルアーンには7層の深層があると言われている。スンナ派の人たちはイスラーム法(シャリーア)に忠実に従うが、シーア派の人たちはシャリーアの奥には表面的にはない内面的な真理(ハキーカ)があり、それを重要視する考え方だ。
(スンナ派とシーア派の対立は顕教と密教の対立と比較される)

 イマームと呼ばれる霊性最高権威者が預言者の内面と解釈され、人類の歴史に12人だけそのようなイマームが現れたとする12イマーム派がイランの国教だ。イスラームの創始者ムハンマドは最後の預言者で、その預言者の内面とクルアーンの7層の深層を全体的に解釈できたアリー(ムハンマドの従弟で娘婿)が初代のイマームだ。そしてイマームはアリーの子孫のみが相応しいと考えられている。

 最後のイマームである12代のムハンマド・イブン・ハサン(5歳)は11代の父が亡くなったその日(西暦874年7月24日)に地下の密室から行方が知れなくなってしまった。
 シーア派の12イマーム派のイランでは存在の目に見えない次元に身を隠した(ガイバ思想)、と信じられている。
(普通に考えると密かに誘拐された、と考えるが...)

 したがって、現在TVで見るイランの宗教上の最高指導者(ホメイニ氏を含め)は、イマームではない。最後の12代イマームは今でもガイバ(お隠れ)の状態で、終末の日に再び姿を現すとされている。アラビア半島のベドウィン(スンナ派)のリアリズムとは違い、なんという神話的な話なのだろう。(彼らにとっては歴史そのもの)。

外務省サイトより

 イマーム(霊性最高権威者)の存在はないが、同じような真理(ハキーカ)を中心におくスーフィズムがある。
 これらの3タイプのイスラームがあることを頭に入れておくと、例えば、日本政府が行っている『平和と繁栄の回廊』は、「パレスチナ⇒ヨルダン(アンマン)⇒湾岸諸国」のロジステックルートからもハディースを重要視する人たち(スンナ派)の回廊ということになる。

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