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『エルサレムの旧市街からの発想』(イスラエル)

 一般的にイスラエルでビジネスを行う人が拠点とするのはテルアビブだが、私が拠点としたのはエルサレムだった。時代的には第1次インティファーダからオスロ合意によりパレスチナの自治が認められ、ラビン首相が亡くなった頃の経験だ。
 その後、第2次インティファーダの終息した時期にも観光で訪れているが、パレスチナが分離壁で囲まれ、レバノン侵攻がはじまろうとしていた。第2次インティファーダは聖地アル・アクサー・モスクへの強硬派リクードの侵入がトリガーになり、最近のイスラエル人とパレスチナ人の衝突もアル・アクサー・モスクの封鎖がトリガーで、第3次インティファーダが起きそうな雰囲気になってきた。

黄金ドーム

 そこで、今回はエルサレム、特に旧市街という歴史が凝縮した地域からオープンイノベーションを考えてみたい。エルサレムの旧市街という約1km平方キロメートルの狭い地域を指し、19世紀まではここがエルサレムだった。狭い地域にユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が集中しているため、いろいろな問題が起きる。

 『マイクロソフト戦記』の著者 トム佐藤氏が、エルサレムの旧市街を訪れた際のブログに詳しい歴史遺産などを語っている。特に注目すべき2つの知恵をベースに話を進めてみよう。

 ひとつの知恵は、Status Quoだ。

 各宗派は、一つの神の基の宗教にもかかわらず、大きく対立している。聖墳墓教会内では紛争が絶えず、時には暴動となることもあり、19世紀半ば、各宗派は自己主張を辞め現状維持(ラテン語で[Status Quo])を保つことで同意した。・・・ Status Quoを無視すると大変なことになる。

 夕焼けの日がまぶしいという理由で、決められた場所から椅子を20cm移動しただけで、乱闘騒ぎになるのだ。
 数年前にとある宗派の聖職者が、定められた時間外でキリストの墓内部で祈りをささげようとしたところ、瞬く間に3宗派で大乱闘になり、その映像はYoutubeにアップロードされBBCやCNNなどのニュースになって大騒ぎになった。 

 キリスト教全宗派のメンツをつぶす惨事は、ネットで散々非難される羽目になったのである。

聖墳墓教会

 Status Quoは、イエス・キリストの墓の跡地に建てられた聖墳墓教会におけるキリスト教の各宗派の主張を鎮める唯一の手段だった訳だ。これは歴史が示唆する人間の知恵のひとつだ。

 もうひとつは「鍵」を誰が持つかということだ。

 対立する宗派が紛争なく自主運営することは難しい。聖墳墓教会の玄関のカギはどの宗派も保持していない。鍵は利害関係のない第三者である隣人のムスリム二家族によって管理されている。キリスト教徒とムスリムは敵対しているが、利害関係もない。そこで、19世紀からこのムスリム家族が中立のゲートキーパーとしてバランスを保っているのだ。それしか方法がなかったのである。

 この点については、別の角度から『中空構造と甘えの構』で考察しましたが、バランスを保つゲートキーパーという役割はもうひとつの知恵だ。

 日本でも山梨県の三分一湧水に同じような知恵を見出すことができる。そこで、トム佐藤氏のブログから私のnoteに話を移してみる。

 ひとつの湧水を3つに分け、6つの村でこの水を水田の灌漑に使っています。400年以上前から3つに分割した水を6つの村の3方向の3地域に分配していたそうです。なぜ、3つに分割したのか。

 八ヶ岳南麓標高1100m付近は湧水が多いのですが、下の台地に水田の灌漑に見合うだけの水量をまかなえる湧水や河川がありません。江戸時代から労力と費用をかけて水路を作り、水を確保してきたのは、このためです。しかし、どれほど労力をかけても、水が水田にたどり着くまでに、途中で水漏れがあったり、他の村に水を取られたりします。そして村同士の争いに、、。

 米を作る農家にとって水は死活問題なのです。そこでひとつの湧水を3つに分割する『分水池』を作り、池の中央に『水分石』という3角柱の石をおき、水の流れすらも可視化し、公平に分配したのです。・・・・『三分一湧水』の地主である坂本家は1772年から2002年に長坂町のものになるまで『水元』として管理をしていたそうなので、民間の人が水元だったのです。

 三分一湧水の「水分石」は「Status Quo」で、聖墳墓教会の「鍵」を持つムスリム二家族の役割は「坂本家」が担っている。エルサレム旧市街の静墳墓教会と山梨県の三分一湧水の三角柱(トライアングル)に共通する2つの知恵はいろいろなところで役に立ちそうだ。

 欧米人は、ユダヤ⇒キリスト教の流れはバイブルや教会で子供の頃から慣れ親しんでいるが、日本人にはエルサレムの旧市街は遠い存在だ。しかし、その地域の歴史や人、そしてボトルネックを学ぶことが、特に人と人とのつながりが重要なオープンイノベーションでは必要ではないだろうか。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。