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『地中海と死海をつなぐエゼキエルプロジェク』(目標設定)

 旧約聖書の三大預言書のひとつにエゼキエル書(2500年前)があるが、以下はその47章の日本語訳になる。

 彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。
 彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。見よ、水は南壁から流れていた。
 その人は、手に測り縄を持って東の方に出て行き、一千アンマ(450m程度)を測り、わたしに水の中を渡らせると、水はくるぶしまであった。
 更に一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は膝に達した。更に、一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は腰に達した。
 更に彼が一千アンマを測ると、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。
 彼はわたしに、「人の子よ、見ましたか」と言って、わたしを川岸へ連れ戻した。
わたしが戻って来ると、川岸には、こちら側にもあちら側にも、非常に多くの木が生えていた。
 彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。
 川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。
 漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海の魚のように非常に多くなる。
 しかし、その沢と沼はきれいにならず、塩を取ることができる。
 川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。 

エゼキエル書47章

 「汚れた海」が死海で、そこに水が流れ込み、流れる川には魚が住めるようになると、解釈される一節がある。先週の木曜日にアラビア語の勉強仲間とタイ料理を食べた際に思い出したことだが、この一節をプロジェクトにしたいと考えている人たちがいる。Ezekiel's Water Projectとサイトまでオープンにしてあり、各エキスパートがチームを作っている。エゼキエル書にあるように魚もいる。

 Ezekiel's Water Projectは地中海から死海へパイプラインを引き、直下型のトンネルで400mの落差から電気を作り、海水を淡水に変え、残った高濃度な海水を死海に流し込むという環境プロジェクトだ。通称、「Med-Dead」と呼ばれている。

 もうひとつ、アカバ湾から死海にヨルダン領で200km程度のパイプラインを引き、電力や、淡水を作り上げるプロジェクトは、「Red-Dead」と呼ばれている。

 死海の環境保全を行い、淡水を得るプロジェクトは、これらはすでにエゼキエル書に預言されていたという訳だ。それがどのルートとは書いてないが、イスラエルの人たちは「Med-Dead」をプロジェクト化したいと考えるのだろう。

 果たして、ジェリコの農業プロジェクトなども含めて、どのようになって行くのだろう。 Ezekiel's Water ProjectのWebの写真はマサダの要塞から死海を眺めたものだろうが、ヨルダン側から死海を見ても、水位が下がり、そのうち死海が干上がる(2050年までに干上がると予測されている)のではないだろうか。

 日本人には遠い離れた場所での話なのだろうが。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。