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タバスコ

 食卓のパスタにタバスコをかけながら、幼馴染にLINEする。
食べながらスマホを触るなんて、お行儀が悪いけれどフルタイムの仕事を終えて、やっと自由になれた安堵の時間だ、昼に来たLINEの返しとちょっとした昔話を今、愉しみたかった。

「私さあ、タバスコを見るといつも思い出す事があるんだけどね、子どもの頃、Mちゃんの家族と、どこかのレストランでピザを頼んでね、ちょうど噛み切ったところにタバスコが付いててさ、唇がヒリヒリ、歩いて帰る間中、痛くて痛くて大変だった想い出があるんよ。でもピザの話以外、登場人物はMちゃん達じゃないよね?なんか記憶ちがいしてるよね?」

 子どもの頃は友達とレストランで夕飯なんて滅多になかった事だから、とても賑やかで楽しかった夜の想い出として心に刻まれている。けれども、それが本当にMちゃんだったのか、よく考えてみると自信がない。
するとMちゃんからすぐに返信が来た。

「懐かしい~それよく覚えてる!」

それは、間違いなくMちゃん家族との想い出だった。
ただ、わたしの記憶の保護者は母親同士だったが、Mちゃんの記憶は父親同士だったと言う食い違いは残った。

「わたしも当時タバスコをよく知らないで、口についたタバスコをペロペロ舐め回しちゃって、ふたりでヒイヒイ言いながら帰ったんだよ。こんな懐かしい話が出来るなんて嬉しいよ!」
とMちゃんは言った。

 あの頃、子どもだったわたし達は、とても賢そうには見えなかった。自分の娘には内緒だけれど、本当にそう思う。
自分の子育て中は、我が子のおバカな所に頭を抱えたり、ついつい苦笑いしていたけれど、自分の子ども時代と比べると今の子はとても洗練されている。これが私たちの持つ昭和感とでも言うのだろうか?昭和の懐かしさが、キュンと顔を出して何とも言えない。

 考えて見ると、昭和という時代のエネルギーの凄まじさは半端なかった。日本人のほとんどが欧米に憧れを抱き、誰もが初めての物事に触れる機会が多かった。ピザやハンバーガー、タバスコもそうだ。ナイフとフォークでお皿にのった白米をこれどうやって食べるの?なんて、みんなが同じ様だったから、間抜けな事をして恥ずかしい記憶を持った人も多かったに違いない。

親になった昭和の小学生は
「タバスコは辛いから、やめておこうね」
と、子どもたちに言える。すぐに注意喚起ができるのだ。

 今や世界とも簡単に繋がり、大人子どもに限らず、スマートに物事を成せている。世界に飛び出すことも簡単だ。そのせいで情報過多になり他人と比べることや、過保護になりすぎることもある。子どもに手を焼きすぎだと言う風潮も、自ら反省するこもあるが、だんだん過保護の意味合いも曖昧になってきた。

 なかなかぶざまで、ちっとも洗練されていなかった昭和の小学生、私はあの時代を子どもとして生きてこれてとても良かった。これから先に急激な時の流れをそうそう味わえないだろうな、と思うから。

 あんなに苦手だったタバスコ、いつの頃からか全然辛くない。そろそろからになりそうな瓶の底を見つめて、また買ってこなくちゃって思った。


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