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夏に想うこと

まだこんなに暑いと言うのに
時折抜ける風に秋を感じる事がある。
それは暦の上ではもう秋だという自分の想いのせいなのか、ほんの些細なことを本能的に感じ取っているせいなのか、やたら目に入る風景がセンチメンタルな気分にさせる。

昨日と今日の何が違うのか

青一色の澄んだ大空には、くっきりと輪郭を残した白い積雲が、形を変えるわけでもなくどっしりと居座っている。
真昼の池にいる水鳥たちも、水辺から突き出た杭に1羽づつ間隔を開けながら静かに佇んでいる。
蝉もいつの間にか、いなくなっていた。
遠くで家を建てるための資材の音が不規則に聞こえてくる。
外で働く人はきっと汗だくに違いない。

きつい太陽光線でできた木漏れ日の濃い影、
日向が眩しくてサングラスをかけて来るんだったと後悔することや、喉に冷たい飲み物を流し入れたいと言う欲求も、この数日となんら変わることはない。

けれど、ノースリーブのブラウスはもうお終い、夏の賑やかで独特な雰囲気は、そろそろ落ち着いた方がいいよ、と諭されたかのように私に響いてくる。

子育てもとうに済んだ今、夏は特別なものではなくなり、ただの日常になった。夏休みを楽しみに迎えた子供の頃の気持ちも、遠くの親戚に会いに行く楽しみも、鬱陶しさや夏を避ける気持ちの方が大いに勝るようになった。

それなのに
さよなら、また今度、と言われると急に寂しくなる。
夏の暑さと、送り盆や戦争のやるせないイメージと、賑やかな学校のプールや盆踊り、夏の夜の花火大会、そんなものがスパイスとなって、重なりあってできた感情のようだ。

世界中の気候が以前とは変化してきている。昔を懐かしむ気持ちがある限り、その変化に追いつけない。日本の夏が、いつまでも日本の夏であるように、とそっと願うだけ。


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