言葉に出すのが怖かったあの頃
大学生の時、みんなの前で順番に夢を語っていく先輩たちをみて、
「どうしてそんな自信満々に言えるんだろう」
と思っていた。
というのも、当時の私は
叶わなくて進路変更したら言ったことが嘘になる
と思っていた。
嘘つきになるのはいけないことだから、
いつもやりたいことを喋る時、
保険をかけて話す癖があった。おそらく今も意識せずにそうしてると思う。
10年以上経って思うことは、
夢や目標にしていたものは全くもって変えても良いと言うことだ。
当たり前なのだが、嘘つきになってしまうと思っていた私にはこんな事を解るのも10年かかった。
人生は選択の連続で、
小さい事も積み重ねたらやりたいことって結構ある。
やりたいことの規模が大きければ、
それを夢と言うこともあるだろう。
大学生の時も、大人になってからもそれなりに夢があった。
ことごとく思い通りにはいかなくて、
自分に合わない選択だったとしても「嘘つきになってしまうから」と自分で逃げ道を無くして、自分の首を絞めたことも何度もある。
家族や友人に「私決めたんだ」と言った手前、それを辞めることについて相談すると、あのころの自分が嘘つきになってしまうと、相談もできずに自分に合わない環境で一人で悩みを抱え込みすぎてしまったりした。
今ニュージーランドに住んでいるのだけれど、
こっちで知り合った友人にこんな言葉をもらった。
I can draw a map of this world, but always draw it in pencil.
私はこの世界の地図を描くことができる、けれどいつも鉛筆で描くのだ。
なんて素敵な言葉だろうと思った。
そして心が軽くなったように感じた。
いつでも進路変更していいんだ、と。
挑戦することに意味があって、一度決めたことを成し遂げたり形にできなくて失敗に終わったって実はいいんだと、今は思える。
逃げなのではなくて、その失敗から「あれ、私って思ってたより○○だったんだ」「私って意外とこれの方が得意だったんだ」と気付いて、その気づきを受けて進路変更に役立てていくんだ、と解ることができた。
実は今、ニュージーランド生活、結構キツイな~って思っている。
でも今は、堂々と友人や家族に「辛い!帰りたい!」と相談できるし、
やっぱりこうすることにしたんだ、と恥ずかしげもなく言える。
このニュージーランド生活で何かを成し遂げたり、最初の目的としてたことと違う結果になっても、それはそれで良しとできる自分がいるから、
私はまだきっと大丈夫。
私は今、大学生だったあの頃の私よりも少しだけ大人になった気がしてる。
でもやっぱり、あと5年早く気づきたかったな。笑
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